<< 反竜伝記 完結編 第二部 第47話 死闘、四魔将 | main | 反竜伝記 完結編 第二部 第49話 禁忌の力 >>
2015.05.27 Wednesday

反竜伝記 完結編 第二部 第48話 三人目

0


     


    ……あの夢は、一体なんだったんだろう。
    空に浮かぶ太陽を眩しげに見つめながら、彼女はふと、今朝の出来事に想いを馳せていた。
    内容までは思い出せない。ただ、悪夢だったはずなのに、同時にどこか懐かしい哀愁のような感覚が未だに残っている。
    それが気になって、物干し竿にはまだ半分しか洗濯物が干されていなかった。
    そういえば、あの人は今頃どうしているのだろう。
    ふと、彼女の脳裏に、懐かしい顔が浮かんだ。
    黒髪に紫色のターバンが印象的な、涼しげな青年。
    フローラの、初恋だった男性。彼は突然サラボナに現れて、彼女の心に否応なくその存在を刻みつけた。
    伝説の勇者を探して旅をしている、風来坊。彼はフローラの家に代々伝わる天空の盾を求めて、はるばる海を渡ってラインハットからやってきた。
    ちょうどその頃、フローラの父ルドマンは一人娘である彼女の花婿となる男性を募っていた。
    炎のリングと水のリング、二つの指輪をこの世界のどこかから探し出した者に、娘のフローラと、家宝の天空の盾を譲ろう。
    その無茶難題に、彼は見事応えてみせた。
    フローラも、彼になら、と密かに心を決めていた。
    だが、彼女は思い知ることになる。リュカの隣には、すでに彼の生涯のパートナーとなる女性が立っていたのだ。
    結局、男性は幼なじみの少女を選んだ。
    ルドマンは二人を偉く気に入り、家宝の盾を惜しげ無く旅人に託し、二人のために結婚式の段取りまで執り行った。
    とっても、似合いの二人だった。自分の入る余地など、最初からなかったのだ。
    フローラは無理矢理自分を納得させた。そうするしか、なかったのだ。


    ……それが、今から約八年前の出来事だ。
    あの人は、今頃どうしているのだろう。
    風の噂では、はるか東の国グランバニアの王になったという話を聞いたが、同時に、妻ともども行方不明となってしまったとも聞いた。
    彼のことを想うと、結婚した今でも胸がちくっと痛む。
    ……だめね。いつまでも未練を抱いて。
    フローラはため息をつく。
    この叶わぬ想いを忘れるために、フローラはアンディの求婚に応えたのだ。むろん、彼は愛していないわけではない。だが、未だにフローラの胸には、あの青年が住み着いているのだ


    その証拠に、結婚して一月にもなるというのに、フローラの純潔は未だに誰にも犯されてはいなかった。いつも、寸前のところで拒んでしまうのだ。
    彼は君が納得してくれるまで待つと言って微笑んでくれたが……



    一方、その頃。
    「はぁっ!」
    天空城のフィアは、襲い来る魔物達相手に奮闘していた。
    むろん、彼女一人だけが戦っていたわけではない。
    ブライをはじめ、天空城の兵士達も総動員しての防衛戦だった。
    数で劣る天空城側の勢力であったが、フィアの卓越した指揮の元、実力以上の力を発揮し、戦局はじょじょに彼らの方へ傾きつつあった。
    その時だ。
    はっ、と、フィアのこめかみの辺りに電流のような衝撃が走った。
    「どうしたのじゃ、フィアよ」
    「あ、いえ、なんだろう。いやな予感が……」
    それは女の勘というものか、フィアはとてつもない不安に襲われた。
    「まさか、ロム達の身に何か?」
    「……っ」
    歯がゆそうに、フィアは唇を噛みしめる。
    そんな彼女を見て、ブライはやれやれと肩をすくめた。
    「いきたいのだろう?」
    「え?」
    「顔に書いてあるぞ」
    「け、けど」
    「なに、天空城ならもう大丈夫じゃ。魔物も、あらかた片づけたしな。それに、やはりそなたの力が、ロム達には必要じゃ。わしが許す。いっておあげなさい」
    そういって、ブライは優しく微笑んだ。
    「ブライさん……すみませんっ!」
    ぺこっとお辞儀をすると、フィアは走り出した。
    兄や両親が戦っている神殿へと。





    「おぉ、フローラや。久しぶりじゃのぅ」
    母に裁縫を習いに実家へ訪れたフローラは、数週間ぶりに父ルドマンの姿を見た。
    「お父様、お帰りになられたのですね」
    「あぁ、変わりはないかね」
    「えぇ、それよりも……」
    フローラは最近、父がなかなか屋敷に帰ってこないことが気になっていた。
    それと同時に、きな臭い噂を耳にするようになった。ルドマンが急に周辺各地の傭兵を雇ったり、武器や防具を大量に仕入れたりしているらしいのだ。まるで、敵襲に備えているかの

    ように。
    「お父様、いつも、一体なにを」
    「おっと、そうだ。わしはそろそろいかねば」
    紅茶も半分近く残して、ルドマンは慌ただしく立ち上がった。
    「ではな、フローラ。アンディくんによろしく」
    「え、えぇ」
    フローラの相づちも確かめぬまま、ルドマンはそそくさと部屋を出て行った。




    いったい、父はどうしてしまったのだろう。
    フローラが考え事をしながら、とある街角にさしかかった、その時だった。
    突然、目の前に小さな男の子が飛び出してきた。
    慌てて避けようとするが、間に合わず少年はフローラのお腹のあたりに顔をぶつけてしまう。
    「ご、ごめんなさい、だいじょうぶ?」
    「う、ううん、平気。こちらこそ、ごめんなさい」
    目をこすりながら、少年は彼女を見上げる。
    その時、はじめて二人の目線が合った。
    ……え?
    その時、フローラの胸に電流が走った。
    まだあどけなさが残る、齢十歳ほどの少年の、きょとんとした瞳に、心が奪われる。
    「……ロ、ム?」
    その言葉は、自然と口にでたものだった。
    なぜ、そのようなことを口走ったのか。フローラにもわからなかった。
    目の前の、金髪の少年が、なぜこんなに気になるのか。
    「レックス! もう、走っちゃあぶないでしょう!」
    その時だ。
    彼の後ろから、少年と同じくらいの年頃の少女が顔を出した。
    「ごめん、タバサ。はじめて来た町だったから、はしゃいじゃって」
    レックスと呼ばれた少年は苦笑しながら、髪を掻いた。
    「そう、レックスっていうのね」
    「ごめんなさい、兄が失礼なことを」
    礼儀正しく、女の子はちょこんとお辞儀をした。
    少年と同じく黄金色に輝く金髪が特徴的な少女で、首筋まで伸びたボブヘアの髪型、そして、両サイドに小さなリボンを巻いている、かわいらしい子だった。
    どうしてだろう。この子にも、どこかで会ったような。
    そんな錯覚に捕らわれた時だった。
    「はぁはぁ、やっと見つけた。こら、二人とも、迷子になったらどうするんだ?」
    聞こえてきたその声は、錯覚などではなく、確かに聞き覚えのある声だった。
    ……それも、すごく懐かしい。
    久しぶりに会った彼は、以前会ったときと少しも変わっていなかった。まるで、彼だけ時が止まってしまったかのように。
    目と目が合うと、彼は穏和な笑みを浮かべた。



    「そうですか。ビアンカさんを探して……」
    はるばるサラボナへとやってきたリュカ親子を邸宅に招待したフローラは、彼からこれまでの出来事を聞いた。
    グランバニアへ行き、そこで自分の素性が判明したこと。ビアンカの懐妊。そして出産。
    王位を継いだはいいものの、策謀により十年間石にされてしまったこと。
    そして、大きく成長した双子との再会。
    中でも驚いたのは、リュカが長年探し求めていた伝説の勇者が、他でもない、彼の子供だったということだ。
    「これ、フローラさんの家宝だったんでしょう?」
    レックスはそういうと、天空の盾を見せた。確かに、それはルドマン家に代々伝わる勇者が使っていた盾に他ならない。かつて自分の家にあった盾より少し縮んでいるのは、今の所有

    者に合わせて形状が変化したせいだかららしい。
    「この盾のおかげで、何度も危ないところを助けてもらったんだ」
    「そう」
    きらきらした目でうれしそうに語るレックスを見てると、フローラは微笑ましい気持ちになる。
    「……フローラさん。実は、サラボナへ来た理由は他でもない、ルドマンさんの依頼によるものなんだ」
    「父が?」
    「あぁ、ルドマンさんとは、ポートセルミの港町でばったり再会してね。彼はなんだか、とっても切羽詰まっているみたいだった……」
    リュカはコーヒーカップにミルクをいれ、それをスプーンでかき混ぜながら言う。
    「……そういえば、ここへくる前に、北西にある小島にある、小さな祠に安置されてある壷を見てきてほしいと頼まれたんだが」
    「壷、ですか?」
    フローラは首を傾げた。北西に祠があること自体、彼女は初めて聞いた。
    「……その壷は、なんだか不気味に赤く光っていてね。今から、そのことをルドマンさんに報告しようと思うんだが」
    ……と、言おうとした、その時だった。
    突然、耳をつんざくような雄叫びがした。まるで、火山が噴火したかのような、轟音のような叫び声だ。
    「な、なんだ?」
    リュカは驚いて立ち上がった。
    「お、おとうさん……」
    気がつくと、リュカの娘タバサが、青ざめた顔をして縮こまっている。
    「どうした、タバサ」
    「どうしよう、とっても、とっても怖いのが来るよ……」
    タバサはがくがくと小さな肩を震わせながら呟いた。
    と、その時だ。
    「おぉ、ここにいたか、リュカ!」
    突然、叩くように乱暴に扉を開けて部屋に入ってきたのは、ルドマンだった。
    急いで走ってきたのか、息が荒く、全身汗塗れだ。
    「ルドマンさん、これは」
    「う、うむ。ついに来るべき時が来てしまったようだ。とにかく、外へ!」
    リュカ達はルドマンに促されて、邸宅の外へでた。
    そこで目にした光景は、我が目を疑うものだった。
    「な、なんだ、あいつは……」
    さすがのリュカも、こんな魔物を目にしたのは初めてだった。
    それは、すさまじく巨大な魔物だった。山ほどの大きさの、熊のような魔物が、ゆっくりと、サラボナめがけて迫ってきている。
    今はまだ遠目に写っているだけだが、その速度たるや相当なもので、サラボナに到達するまで、もう幾ばくもない。
    「ルドマンさん、こいつは、いったい……」
    「大昔に、このサラボナをめちゃくちゃにした魔物じゃよ。いや、これはもはや怪獣といった方がいいかもしれん」
    ルドマンは親の仇のように、遠くに写る魔物を睨みつけて言った。
    「……わしの先祖が、命をかけて奴を北西の祠の壷に封印したのじゃが……」
    「その封印が、解けてしまった、というわけですね」
    「飲み込みが早くて助かるわい。残念じゃが、わしが雇った傭兵達は、あいつの姿を見るなり、逃げ出してしまった……あとは、おまえさん達だけが頼みなのじゃ」
    「待って下さい!」
    フローラが叫んだ。
    「そんな、あんな巨大な化け物を、どうやって倒そうというんですか」
    「それは……」
    ルドマンが言いよどむ。
    「大丈夫よ!」
    タバサが自信ありげに自分の胸を叩いた。
    「お兄ちゃんは天空の勇者なのよ! あんなの、簡単に倒せるよ!」
    「そんな、勇者っていったって、まだ子供じゃない」
    「フローラさん。どちらにしろ、ここで奴を倒さなければ、世界は滅茶苦茶にされてしまう。僕の故郷グランバニアも……だから、僕らは逃げるわけにはいかないんだ」
    リュカは力強く答えた。
    「なら……」
    フローラは一歩進んで言った。
    「なら、私も」
    「な、なにをいうか! フローラ!」
    驚いて、ルドマンが彼女に近寄る。
    「おまえは、剣すら握ったことはないではないか!」
    「えっ……」
    言われて、彼女ははっと我に返った。
    そうだ。産まれてこの方、魔物と戦った経験すらない自分が、なぜリュカに加勢を名乗り出たのか。
    「とにかく、ここで待っていてくれ。フローラさん。このサラボナは、僕らが責任を持って守ってみせるよ。さあ、いくぞ、二人とも!」
    「うん!」
    「まって!」
    駆け出すリュカの後を追う二人の子供達。
    その背中を、フローラは不安げに見つめていた。



    一方、その頃。
    フローラ、アイメルとは別の場所へ落とされたリュカとライオスは、四魔将の一匹、グレイトドラゴンを圧倒していた。
    魔界最高の金色の竜も、さすがに相手が悪すぎた。
    リュカとライオス、人間と魔族の中でもトップクラスの実力者を二人同時に相手をしなければならないのだから。
    「お、おのれぇっ!」
    グレイトドラゴンは、ライオスめがけてその鋭い爪を振り下ろす。
    だが、その動作は完全に読まれていた。
    彼は素早く裏に回り込むと、ドラゴンの背中に深々とデーモンスピアを突き刺した。
    「ぬぅっ」
    がはっ、とグレイトドラゴンは吐血する。
    「いまだ、リュカ、止めをっ!」
    ライオスが叫ぶ。むろん、言われるまでもなく、彼は剣を手に飛び上がっていた。
    その刀が振り下ろされれば、さすがのグレイトドラゴンの首も真っ二つに落とされてしまうだろう。
    (ふっ、ここまで、か)
    グレイトドラゴンは、死を覚悟した。
    (すまぬな、イブールよ。先に逝くぞ)
    心の中で友に詫び、彼は潔く目を閉じる。
    だが、
    「…………む」
    いつまでたっても、その時が訪れない。
    そっと、再び目を開けると、リュカの剣は、彼の眼前で止まっていた。
    「どうした、リュカ! なぜ、止めを指さない!」
    ライオスが叫ぶが、リュカは剣を握りしめたまま、微動だにしない。
    「……なぜだ? 人の子よ、なぜ、止める」
    静かに、グレイトドラゴンは言った。
    「ふっ、なぜだろうな」
    やがて、静かに苦笑すると、彼は剣を鞘に納めた。
    「おまえさんが、それほど悪い奴には見えなかったから、かな」
    そういって、彼は涼しげにグレイトドラゴンを見つめた。
    その穏やかな黒曜石の目……
    それは、リュカ自身久しく忘れていた感覚だった。
    かつて、スラリンやマーリンと旅していた時は当たり前のように自身に備わっていた力、だが、デモンズタワーの一件以来、そう、自身をフェズリィと名乗り、自らを偽りだしてから

    、その能力は消えてしまっていた。
    それが今、元に戻り始めている。
    (心が、洗われていく……先ほどまで、命がけで戦っていた敵に)
    グレイトドラゴンの感情から、何かが抜け出ていくのを感じていた。
    「……そうか、これは、リュカのエルヘブンの力か」
    ライオスはそれを察した。
    そうだ。自分も、そうだったではないか。
    ……だが、
    「……甘い、甘いな」
    静かに、グレイトドラゴンは言った。
    「このわしが、四魔将のわしが、エルヘブンの力などに屈するとでも思ったかっ! こわっぱがっ!」
    くわっ、と目を見開き、グレイトドラゴンはその大きく開かれた口でリュカを喰い殺そうと迫る。
    「リュカッ!」
    ライオスが叫ぶ。
    はっ、と彼が目を見開いた、その時。
    突然、どこからともなく飛んできた剣が、グレイトドラゴンの喉元に深々と突き刺さった。
    それは、妖精の剣だった。
    バイキルトによって破壊力の増された剣を、バシルーラの力で投擲する。
    それは、フィアとアイメル、二人で放った必殺の一撃だった。
    これにはたまらず、グレイトドラゴンのその巨体は、派手な音を立てて地面に崩れ落ちた。
    「お父さんっ!」
    駆けつけたフィアが、父の胸に飛び込む。
    「……フィアか、すまない、助かった」
    だが、そう呟くリュカの顔は暗い。
    彼は自分の剣の柄に手をかけていた。フィアの攻撃がなくとも、彼は……
    「ふ、ふふふ……そんな顔を、するでないぞ、エルヘブンの男よ」
    倒れたグレイトドラゴンが、震える声で言った。
    「あ、あやうく、わしも、魔性を失うところであったわ……ふ、ふふふ」
    「なぜだ、なぜ、あのようなことを」
    「ふふふ、友のためよ。おまえ達にとって、イブールは単なる敵にすぎぬだろうがな」
    「……」
    そうか、そうなのだ。
    リュカは思い知った。
    光の教団とて、イブールとて、自分なりの大儀があるのだ。
    魔界の同胞を、暗く冷たい大地から救うために。
    それは、自分達にとっては絶対に防がねばならないこと、イブールのしていることは許されない悪行に他ならない。だが、少なくとも、このグレイトドラゴンにとっては……
    「……あなたとは、違う出会い方をしたかったよ。そうすれば、もしかしたら、仲間になれたかもしれないのに」
    「ふふっ……」
    グレイトドラゴンは、答えなかった。
    ただ、満足げに笑みを浮かべて、彼は逝った。
    「……奴は、真の戦人だったのだ。主、いや、盟友のために、おまえの手を払い、自ら死を選んだ。誇り高き竜だった……」
    ライオスは、静かに目を閉じ、彼の冥福を祈った。リュカも、フィアも、アイメルも、鎮魂の祈りを捧げる。
    ……しばらくして、
    「……んんっ、ところで」
    わざとらしく咳をして、リュカはなぜかこの場にいる娘に目を向けた。いささか、冷たい目線で。
    「どうして、こんなところにいるのかな?」
    「え、ええっと、やっぱり、聞きます、よね」
    ばつが悪そうに、フィアはしどろもどろに答える。
    「……まぁ、こうなる予感はしていたが」
    そういって、リュカは髪を掻きながら苦笑した。
    「やれやれ、ついてきてしまったのなら仕方がないな」
    「おとうさんっ」
    うれしそうに、フィアは目を輝かせた。
    「やれやれ、娘には甘い父親だな」
    「えぇ」
    そんな父と娘を、少し離れた場所で残された二人は微笑ましく見守っていた。



    「それで、お父さん、ロム兄さんは? 母さんは?」
    「わからない。たぶん、この先にいると思うが……」
    そういって、リュカは目の前に伸びている暗いトンネルの先を見つめる。
    ここが、神殿の地下に出来たダンジョンということは確かだった。
    「それにしても、フィア。おまえ、アイメルと一緒だったんだな」
    「うん」
    フィアはうなずく。
    フィアもリュカ達と同じくトラップを踏んでしまい、偶然にもアイメルと同じ場所に転移してしまった。
    そこで気絶していた彼女を見つけて介抱し、体力が回復したところで、先に進んだ。
    彼女達は、どうやら最下層の終点に転移してしまったみたいで、ここへたどり着くまでの間、幾度となく様々なトラップと魔物が徘徊するダンジョンを突破し、上へと続く階段を上っ

    てきた。
    「ここまでくるまでの間、母さんやロム兄さんには会わなかったから、きっと、二人とも、もっと上の階層にいるはずだよ」
    「……よし、なら、急いだ方がいい」
    と、ライオス。
    「ロムはともかく、フローラという女性には、四魔将相手には荷が重すぎるだろう」
    「そんな、母さんだって」
    フィアが反論するが、ライオスは首を左右に振る。
    「私達とて、ニ対一だからなんとか勝てたのだ。それに、残るアークデーモンとヘルバトラーの力は今までの魔物とは別格だ」
    「けど、お母さんは、前世は勇者だったのよ!」
    「そのことだがな、フィアよ」
    ライオスは言った。
    「確かに、前世では勇者だった。だが、彼女は所詮、前世での記憶を受け継いでいるにすぎない。人格や剣の腕までそのまま同じというわけではないのだ。その証拠に、私が聞き及んでいる勇者エルフォーシアは、魔物には情け容赦ない、まさに修羅の如き女性だったと聞く。故郷を魔物に滅ぼされた復讐心のみで戦い、常に魔物の返り血で染まる彼女を見て、人々は恐

    れた。あのゲマですら、怯えて竦んだほどのな」
    「……そんな、そんなの、聞いたことがない」
    「伝承は、時に暗部を隠してしまうものなのさ。だが、おまえ達の知るフローラという女性は、エルフォーシアとは似ても似つかない女性だ。何度もいうが、彼女はエルフォーシアでは

    ない。エルフォーシアの記憶と、少々の剣と魔力を受け継いでいるだけにすぎないのだ」
    「もういいだろう、ライオス」
    リュカは彼の肩に手を置く。
    「今は、そんなことを言っている場合ではないはずだ」
    「……そうだったな、すまない」
    ライオスは素直に詫びた。
    「フィアも」
    「……うん、わかってるよ」
    彼女も内心釈然としなかったが、今はそんなことより一刻も早く皆と合流しなければならない。そのために、彼女は納得できない気持ちを押し込めて、父にうなずいてみせたのだった





    地響きと共に、巨大な魔物は刻一刻とサラボナへと迫る。
    フローラとアンディは、町の郊外に作られた地下豪に避難していた。
    そこはルドマンが万が一の時のために作っていた避難施設で、すでに大勢の人々が肩を寄せ合い、不安げに震えていた。
    「あぁ、神よ、どうか我らをお救いください」
    見覚えのある老婆……アンディの母親が、小さな十字架を手に、必死に祈りを捧げていた。
    「神になんて祈っても無駄さ!」
    そう叫んだのは、道具屋の親父だった。
    「神様は、天空の竜様はなにもしてくださらない。魔物の被害は減らないし、今回のことだってそうだ! 真に俺たちを救ってくださるのは、光の教団以外にありはしないんだ!」
    そういって、彼は光の教団はいかにすばらしいかを力説した。
    最近、巷で何かと話題になっている光の教団。
    入信すれば、世界の終わりが来ても、信者だけは神が救ってくれるという。
    「……そんな、都合のいい話が……」
    フローラはぽつりと呟いた。その時だ。
    「なんてことをいうんだ、フローラ!!」
    フローラをたしなめたのは、あろうことかアンディだった。
    「アンディ?」
    「光の教団を悪くいうなんて、どうかしているよ!」
    どうしたことか。普段は優しくて声を荒げることもないアンディが、目を血走らせて怒っている。
    まさか、とフローラは唖然とした。
    知らなかった。夫も、光の教団の信者だったなんて。
    「みなさん、さあ、祈りましょう! そうすれば、きっと、光の神が救いの手をさしのべてくださるはずです!」
    アンディは、まるで人が変わったかのように人々の中心に立って、まるで宣教師のように高らかに声を上げた。
    彼の言葉に、次々と「光の神様」「光の教団万歳!」という声が上がり始める。
    ただ一人、フローラだけが、この事態をはっきりと異常だと認知していた。
    (おかしい、こんなの、おかしいわ)
    一歩、一歩と後ずさる。
    ここにいてはいけない。
    フローラは逃げるように、地下豪を後にした。
    夫であるアンディの目には、すでに妻の姿など写ってはいなかった。





    「くっくっく、なかなかどうして、いい夢を見ているじゃないか」
    ヘルバトラーはゲスな笑みを浮かべる。
    目の前には、頭を抱えたままうずくまるフローラの姿があった。
    その顔は恐怖で青ざめ、身体は小刻みに震えている。
    「いつまで精神が保つか、見物だな」
    その時だ。
    「母さん!」
    少女の声に、ヘルバトラーは振り向く。
    「おやおや、お揃いでようこそ。勇者の仲間ご一行さん。てめぇらがきたってことは、他の連中はやられちまったみたいだな。けっ、情けない連中だぜ」
    「貴様、フローラになにをした!」
    只ならぬ雰囲気の妻を目にして、リュカの目は怒りに満ちた。
    「くっくっく、その女はもう二度と目覚めることはない。永遠に、悪夢を見続ける。死ぬまでな」
    「なんだと!」
    「まて、リュカ!」
    今にも飛びかかりそうなリュカを、ライオスは制止した。
    「そうだぜ、頭がいいな、そこのライオネック。この女は人質でもあるんだぜ。俺を攻撃すれば、この女がどうなるか……」
    そういって、ヘルバトラーはその鋭い爪をフローラの喉元に押し当てた。
    「卑怯な……!」
    「ふっふっふ、さて、どう料理してくれようか」
    ヘルバトラーは空いた片方の手を、リュカ達に向けた。
    バチバチと、手のひらから生み出された雷球が激しくスパークする。
    まずい、とフィアは感じた。一目見ただけで凄まじい威力を秘めているとわかる。まともに食らえば、ひとたまりもない。
    「……やめた」
    しかし、どうしたことか、ヘルバトラーは繰りだそうとした呪文を途中で中断してしまった。
    「このまま、おまえたちを殺すのもつまらんし……そうだ。いいことを思いついたぞ」
    そういって、ヘルバトラーは下品に舌なめずりをした。
    「喜べ、おまえたちも、この娘と同じようにしてやろう。俺の術によってな!」
    「なんだと!」
    「ふふふ、四人同時に術をかけるのは一苦労だが」
    ヘルバトラーの瞳が妖しく光り始める。
    見てはいけない、そう思うのだが、すでにリュカ達はヘルバトラーの術中にはまってしまっていた。
    頭がキィーンと痛くなる。
    「ううう……」
    「い、意識が、遠のく……」
    リュカやフィアはすでに戦意を喪失していた。だが、
    「な、なに……っ」
    ヘルバトラーの余裕に満ちた表情が、初めて愕然としたものに変わる。
    ただ一人、ライオスだけが平然としていたのだ。
    「な、なぜだ。どうしておまえだけ俺の術が利かない!? そ、そうか、
    確か貴様らライオネックには精神攻撃に対する耐性が備わっていたのだったな。だが、それでも状況は同じことだ。ふふふ、この『二人』が発狂する様を、一人で歯がゆく眺めているが

    いい!」
    「ふっ、二人、か……」
    ライオスはヘルバトラーの挑発にいささかの動じず、嘲笑すら浮かべた。
    「念のために、保険をかけておいて正解だったな」
    「なんだと?」
    ヘルバトラーが声を上げた時だ。
    突如、胸に鋭い痛みを覚えた。
    気がつくと、胸に深々と剣が突き刺さっていた。
    それは、リュカが手にしていたはずの王家の剣……
    「バ、バカな、こ、この剣は……」
    ヘルバトラーは驚愕の表情でリュカの腰回りをみた。そして気がつく。そこに当たり前のように帯びているはずの彼の武器が見あたらないことに。
    「ま、まさか、四人目が、いた、とは……」
    「はぁっ!!」
    アイメルは剣を引き抜くと、袈裟懸けにヘルバトラーを背中から切りつけた。
    激しく血しぶきが飛び散る。
    ヘルバトラーは為すすべもなく、その場に崩れ落ちた。
    「くくく、だまし討ちとはな……意外と、卑怯な手を使う」
    「ふん、目には目を、というやつだ。貴様には似合いの最後だろう?」
    ライオスは冷たく言い放った。
    「母さん!」
    フィアは解放された母に駆け寄る。だが、その様子に変化はない。
    「バカめ、俺を殺したところで、そいつの術は解けぬわ。イブールよぉ、一人戦闘不能にしといたから、後はてめぇだけでなんとかするんだなぁ……ぐふっ」
    大量に口から血を吐いて、ヘルバトラーは絶命した。
    「フローラ!」
    リュカはすぐさま、妻の元へ駆け寄る。
    だが、ヘルバトラーが言い残した言葉の通り、彼女は錯乱状態のままだった。
    必死に呼びかけても、反応がない。怯えた目で虚空を見つめている。その視線にリュカやフィアは映ってはいない。
    「ライオス、フローラを助ける方法はないの」
    すがる思いで、フィアが訊ねた。
    「残念だが、ヘルバトラーの術にかかって、生還した者は一人としていない。精神が先に崩壊するか、それとも、身体の方が衰弱死してしまうか……」
    「そんな……」
    フィアは力なくうなだれる。
    「……かわいそうだが、もう彼女のことは諦めるしかない」
    「そんな! そんなのって!!」
    「このままここにいても、事態は何ら好転しない。我々は一刻も早くロムと合流しなければならないのだ」
    「冷たいよ! 私たちの、お母さんなのよ!」
    フィアはキッとライオスを睨みつける。だが、彼は全く動じずに言う。
    「フィアよ、元々、我々は死を覚悟してこの戦場に赴いたのだ……フローラとて、それは同じこと」
    「それは……」
    そう言われては、彼女はなにも言い返せなかった。
    そしてそれは、アイメルも同じだった。
    ロムの身体のことを唯一知っている彼女としては、彼を一人でイブールと戦わせるわけにはいかなかった。
    だが、だからといって、彼女を見捨てていくことなど、二人には出来ようはずもなかった。
    ……しばらく、沈黙が場を征する。
    「……みんな、先に行ってくれないか」
    その時、ずっとフローラを抱きしめていたリュカが、そう呟いた。
    「おとうさん」
    「私は、彼女のそばにいる」
    ぎゅっと、妻を抱きしめる手に力がこもる。
    「リュカ、気持ちはわかるが……」
    「ライオス、おまえのいうことは正しい。それはわかっている。だが、やはり私には、彼女を見捨てていくことはできん」
    「リュカよ、光の教団打倒は、お前の悲願のはずだ。それでも、ここに残るというのか」
    「……そうだ」
    リュカはまっすぐ、ライオスの目を見て答えた。
    「おまえたちは先に行き、ロムの力になってくれ」
    「もう一度聞くぞ。おまえはここに残るというのだな」
    冷たく、ライオスは言い放つ。
    「……そうだ。彼女は、私の妻は、ヘルバトラーなどの術には負けない。必ず、私が呼び戻してみせる」
    はっきりと、リュカは宣言した。
    しばらく、二人は互いの視線を交差し合う。
    そして、
    「彼女を救い出す方法が、ないわけでもない」
    ぽつり、とライオスは言った。
    「本当かっ!」
    リュカの顔に希望が灯る。
    「……だが、それは危険を伴う。もしかしたら、お前も帰ってこれなくなるかもしれん」
    「かまわない! 私は、二度も彼女を失うわけにはいかんのだ」
    「二度も、か……」
    意味深な笑みを浮かべて、ライオスはリュカにとあるアイテムを手渡した。
    それは美しい装飾が施された、白銀色のベルだった。
    「これは?」
    「天使のベルという、混乱した者を正気に戻す魔法具だ」
    「なんだ! そんないいアイテムがあったんじゃない」
    ほっとするフィアを尻目に、ライオスは首を左右にふる。
    「言ったろう。ヘルバトラーの術を使って、元に戻ったものはいない、と。こんなアイテムだけでは、奴の術を解くことはできん。だが、隙を作ることは可能だ」
    「隙……?」
    「そうだ。リュカ、このベルを鳴らしたら、お前は次にこれを使うのだ」
    次に彼が手渡したのは、白桃色の小さな花だった。
    「これは?」
    「魔界でしか取れない、夢見草という花だ。こいつは本来、睡眠薬として使う代物だが、一つの花を二人で分け合うと、互いの夢を共有することができるのだ」
    「そうか! この花を使って……」
    察しが早いリュカは、その説明だけで十分だった。
    そして、ライオスが言った、危険性も。
    確かに、これはミイラ取りがミイラに成りかねない危険性を秘めている。だが、それでもリュカは躊躇しなかった。
    愛する妻を、取り戻すことができるのなら。
    「リュカよ……待っているぞ、二人が駆けつけてくるのを、な」
    「ライオス……あぁ!」
    リュカは必ず行くという決意を込めてうなずいた。





    「はぁ、はぁ、はぁ」
    不気味になま暖かい風が吹く中、フローラはただひたすら駆けていた。
    曇天の曇り空。ドス黒い雲がものすごい速さで流れていく。その光景は、ただただ不気味だった。
    あんな顔をしたアンディをみるのは初めてだった。
    何かに憑かれたような、狂気を含んだギラギラした目。
    彼女は初めて、夫が怖いと思った。
    「これは夢よ、そうに違いない」
    うわごとのように呟いたフローラの一言は、実は正しかった。だが、どんなに否定しても、彼女が望む現実に帰ることはできなかった。
    気がつくと、彼女の目の前に、大きな塔がそびえたっていた。
    そこは、二十年前にルドマンが建設した見張り台だった。その屋上に、リュカ達はいた。
    彼と対峙しているのは、巨大な魔物、ブオーンだった。
    すでに、戦いは始まっていた。
    斬撃、攻撃呪文、魔物の吐く灼熱の炎。ありとあらゆる攻撃が相互に繰り出されている。
    その激しい戦闘に、ルドマンが建てた塔はよく耐えていた。この戦いを想定していたのだろう。少々の攻撃ではびくともしない強固さを誇っていた。
    「たあああっ!!」
    天空の剣を手に、レックスはブオーンの眉間に切りかかる。
    だが、
    「あまいわっ!」
    ブオーンの繰り出した大きく強烈な拳が、跳躍していた幼い子供を容赦なくたたき落とした。
    「がはっ!」
    その衝撃に、さすがの勇者も口から吐血する。
    「いかんっ!」
    リュカが慌てて息子に駆け寄り、ベホマを唱えようとする。だが、
    「お父さん! あぶない!!」
    タバサの悲痛な叫び声。
    振り向くと、ブオーンの鋭い爪が彼の眼前に迫ってきていた。
    避けられない。
    リュカは死を覚悟した。その時、
    「だめっ!!」
    突然、横から飛び出してきた人影に体当たりされ、リュカは横転した。間一髪、ブオーンの攻撃が逸れる。
    彼の命を救ったのは、他でもないフローラだった。
    「きみは!?」
    「うっ……」
    フローラは、倒れたリュカに馬乗りになってぐったりしていた。その肩は裂け、血が流れ出している。
    「大丈夫か!? 今ベホマを!」
    「そんなことより、逃げてください。いくらあなたたちとはいえ、あんな化け物にかなうはずがありませんわ」
    「バカめ、貴様等全員、生かして帰すと思うか」
    その低く不気味な声は、ブオーンが発したものだった。
    確かに、この状況で逃げられる確率は、極めて低い。皆無といってよかった。
    「特に貴様、ルドルフの家系の者だなっ」
    ブオーンが名指しでフローラを指さす。
    ルドルフ、その名はルドマンの遠い祖先であり、ブオーンを封印した偉大なる魔法使いだった。
    「我を封印した忌まわしきルドルフの血筋の者は決して許さぬ。生きたままその腹をかっ裂き、臓物を喰ろうてくれるわ!」
    そう叫ぶと、ブオーンはその大きな手を伸ばし、フローラの身体を鷲掴みにかっさらった。
    「ああっ……!」
    「や、やめろっ!!」
    「はーっはっははは!! さぁて、今からその美しい身体を切り裂いてくれようぞ」
    高笑いと共に、ブオーンは鋭い爪をフローラの腹部に突き立てようとする。
    「くっ、すまない」
    リュカは見ていられず、目を背けた。
    ……その時だ。
    「なにが、すまない、だっ!!」
    突然、天からどこかで聞き覚えのある声が響いてきた。
    はっ、とリュカは顔を上げる。
    そこでみたものは、大きな鎧を身につけた偉丈夫が、ブオーンの腕を一刀両断に切り捨てたシーンだった。
    むろん、その手というのは、フローラを握りしめている方の手である。
    「ぐおおおおっ!!」
    激しい痛みに、ブオーンは絶叫した。
    どすん、と大きな音を立てて、切断したブオーンの手が落ちる。
    そこに、フローラの姿はなかった。なぜなら、女はすでに、自分を助けてくれた謎の戦士の腕の中にいたのだ。
    すっ、と戦士は軽やかにリュカの前に着地する。
    「き、きみは、何者だ」
    突然現れた謎の戦士に、リュカはやや警戒気味に訊ねた。
    その男は、見るからに異常な姿をしていた。
    背丈はリュカと同じくらい。声からして、どうやら同年代らしい。だが、彼が身につけている重装の鎧は、魔人の鎧と言われる呪われた鎧だった。しかも、その顔は鉄仮面で覆われ、

    素顔を伺い知ることはできない。
    「それはこちらの台詞だ」
    鎧戦士はじっとリュカの姿をつま先から頭のてっぺんまで、くまなく見つけた。
    ……なんてことだ。私そっくりじゃないか。
    頭の中で、鎧戦士……現実世界のリュカはため息をついた。
    そう、彼はライオスの夢見草を使って、フローラの夢と同調してこの世界へやってきたリュカだった。
    どうやら、この世界では自分はイレギュラーの存在のようだった。その証拠に、リュカは鉄仮面を脱ぎ捨てようとしても、なぜか不思議な力が働いて外せない。まるで呪われた装備を

    身につけてしまった時みたいに。
    「……ん」
    気絶したフローラが、目を覚ます。
    目の前に飛び込んできた不気味な戦士を目にした彼女は、一瞬顔をこわばらせると、思いっきり悲鳴を上げたのだった。



    「す、すまん。驚かすつもりはなかったのだが」
    「い、いえ、わたしこそ、命の恩人になんて失礼な真似を」
    フローラは、顔を赤くしてぺこりと頭を下げた。
    すぐに誤解(?)は解けたのだが、鎧戦士、リュカはさらに困惑することとなってしまった。
    この姿を見ても、フローラは何の反応も示さないということは、彼女は完全に、現実の記憶を忘れてしまっているということだった。
    しかも、その横にいるもう一人の自分。そして、髪の色と名前こそ違うが、その横にいる二人の子供はロムとフィアの子供の頃にうり二つだった。
    「……その子供、お前の子か」
    「あ、あぁ」
    「妻は、この娘か?」
    「い、いや、違う。だが、なぜそんなことを聞く?」
    男の質問に、もう一人のリュカはさらに困惑した様子だった。
    なるほど。現実世界のリュカはようやくこの現状がどういったものかを悟った。
    要するに、ここは平行世界。パラレルワールドのようなものなのだ。
    なにもかも現実世界とうり二つだが、細部が微妙に異なる世界。その中でも決定的に違う点は、こちらの世界のリュカが、どうやらフローラ以外の女性を妻に選んだようだった。
    なんてことだ……こめかみの部分がズキズキと痛んだ。
    これでは、自分をリュカと名乗ったところで、フローラが信じるはずがない。
    「お、おのれぇっ、どこから現れたぁ」
    悶え苦しんでいたブオーンが、痛みを堪えて立ち上がる。
    その怒りで血走った目は、ただ一点のみに向けられていた。
    「話は後だ。今はこいつを片づけるぞ。私のことは……そうだな、フェズリィとでも名乗っておこう」
    そういって、リュカ……否、フェズリィはブオーンの血で汚れた剣を構えた。
    「味方、なのか」
    リュカはまだ半信半疑だ、だが。
    「お父さん、この人、信用できる気がする」
    よろよろと起きあがったレックスが、そうつぶやいた。
    「私も、不思議と、前から知っているような、そんな安心感があります」
    タバサも頷く。
    「レックス、タバサ」
    勘のいい二人がそう言っている。
    「なにを、ごちゃごちゃと!」
    完全に頭に血が上ったブオーンが、フェズリィめがけて拳を振り下ろす。
    激しい地響きと共に床が陥没する。だが、すでに彼はその攻撃をかわし、ブオーンの腕の上を走ってその巨身に駆け上る。
    「魔人一刀流、轟一閃!」
    繰り出した鋭い突きが、ブオーンの右目に食い込んだ。
    「ぎょえええっ!!」
    右目の視力を失ったことへのショックに、ブオーンは無茶苦茶に暴れ回り、フェズリィを振り落とす。
    「いまだ!」
    なんとか塔の上に着地したフェズリィが仲間に向かって叫ぶ。
    「バギクロス!」
    「ギガデイン!」
    「マヒャド!」
    三人が、それぞれ呪文を唱えた。
    リュカの真空の刃、レックスの聖なる雷、タバサの凍てつく冷気が重なり合う。
    その凄まじいダメージに、さすがのブオーンも悲鳴を上げてぐらりと地面に倒れ込んだ。
    「やった!」
    レックスが指を鳴らした。
    「勝負あったな」
    ふぅ、とリュカはため息をついて、フェズリィの方へと近寄った。
    「どこの誰かはしらないが、助かったよ。それにしても、すごい技だったな。見たことのない流派の剣術だったが」
    「あぁ、これは……」
    フェズリィはなんて説明したらいいか一瞬言いよどんだが、
    「我が一族に代々伝わる秘伝の剣術なんだよ」
    と、ありきたりな説明で済ませた。
    どうやら、この世界のグランバニアには、魔人一刀流という剣術は存在しないらしい。
    そのかわり、目の前のもう一人のリュカは、自分より呪文の腕は上のようだ。あそこまで強力なバギクロスを唱えることは、自分にはできないだろう。
    「やれやれ、なんだか肩身が狭いな」
    「え?」
    「いや、なんでもない」
    肩をすくめて、フェズリィはフローラの目をやった。
    彼女はぽかんと、こちらを見つめている。
    どうやら、まだ記憶は戻っていないらしい。
    (仕方、ないか)
    意を決して、フェズリィはまっすぐにフローラの元へと歩み寄った。
    びくっ、と明らかに彼女は怯えた様子を見せる。
    軽くショックを覚えたが、それでも彼は彼女の目の前まで来た。
    「な、なんです、か」
    「なんですかはないだろう。君を迎えに来たんだ」
    「わたしを、迎えに? ど、どこに」
    「フローラ、目を覚ませ、君のいるべき世界はここじゃない。忘れたのか?」
    「いったい、なにをいっているのですか? あなたは、いったい……」
    明らかにフローラは困惑していた。
    わかっていたとはいえ、この反応はフェズリィにとっては少なからずショックだった。今の自分は、彼女の夫ではなく、単なる他人に過ぎない。
    「えぇい、信じてもらえないかもしれないが、実は……」
    彼がしびれを切らして、真実を話そうとした、その時だ。
    突然、彼らの間を何かが横切った。
    それは、一筋の閃光だった。
    矢のように鋭い光は、油断していたリュカの胸を直撃する。
    舞い上がる鮮血。
    倒れる身体。
    「お、おとうさーーん!!」
    絶叫する二人の子供たちを尻目に、そいつはぐらりと立ち上がった。
    それは、ブオーンだった。
    全身血塗れになりながらも、その目はギラギラと殺気を含み、戦う意欲は全く失せていない。
    「くっくっく、まったくよぉ、どうして邪魔が入るかなぁ、せっかくの、覚めない悪夢が台無しじゃねぇか」
    その声はブオーンのものではなかった。みるみると、その姿が変わっていく。
    そこにいたのは、フローラに呪いをかけた張本人、ヘルバトラーの姿だった。
    「なっ! 貴様は、確か倒したはず!」
    「その通り、どうやら現実の俺はおまえたちに殺されてしまったみたいだ。この俺は、いわばヘルバトラーの意志を持ったウィルスといったところか」
    「そうか。わかったぞ。フローラの覚めぬ悪夢の原因は、おまえが寄生していたからか」
    「その通りよ。そういう意味では、正しくはメダパニではないわな」
    「……なら!」
    キッ、とフェズリィは手にした槍をヘルバトラーに向ける。
    「貴様をここで倒す! そして、フローラを現実の世界につれて帰る!」
    「できるかな? おまえに?」
    ニヤッ、とヘルバトラーは笑った。
    次の瞬間、
    「ライデイン!」
    天から降り注いだ雷が、フェズリィに迫る。
    ハッと気づき、とっさにかわす。
    「な、なにをする、レックス!」
    そう、術を唱えたのは、ほかでもないレックスだった。
    その目には、先ほどまでの生気はない。まるで操り人形のように無心だ。
    「はははは! 忘れたか、この夢を操作しているのは、この俺だぜ!? この世界では、俺が神! どんな登場人物も、俺の思いのままに動かせるのさ! こうやってなぁ!」
    「ヒャダルコ!」
    今度はタバサがフェズリィに術を唱える。
    凍てつく冷気が、彼の足を完全に凍り付かせる。
    「うっ」
    「そしてぇ!」
    巨大な手が、フェズリィの身体を鷲掴みにする。
    「この夢の中の死は、現実世界の死でもあるのだ!」
    グググッ、とヘルバトラーは握力を強める。
    ミシミシと鎧がヒビを立てて軋む。
    「……ッ!!」
    凄まじい激痛に、フェズリィは一瞬意識が飛ぶ。
    「宿主であるこの娘が死ねば寄生している俺も結局は死ぬ。だが、勇者の仲間ふたりを道連れにできるとあれば!」
    「か、簡単には、やられん!」
    フェズリィは手にした剣でヘルバトラーの腕を突き刺そうとする、だが、ヘルバトラーが握力を強める方が早かった。
    「がはっ!」
    彼の口から大量な血が吐かれる。
    バキバキとあばら骨が砕ける音が、生々しく響いた。
    「やめてぇっ!」
    たまらず、フローラが叫ぶ。
    「す、すまな……い……」
    薄れゆく意識の中で、フェズリィは最愛の妻に手を伸ばす。
    その姿に、フローラは言いしれぬ感情がこみ上げてきていた。
    なんだ、この想いは。
    胸が、苦しい。締め付けられるように、切ない。
    おずおずと、フローラが手を伸ばす。彼の手を取るように。

    だが、無常にも次の瞬間、彼の身体はグシャリと握りつぶされた。

    飛び散った血しぶきが、フローラの顔に注がれる。
    放心に似た、愕然とした表情……
    鎧の戦士は、ヘルバトラーの腕の中で、ぴくりとも動かない。
    「……ほらな、一人片づいた」
    ヘルバトラーが、残虐な笑みを浮かべて言った。
    「あ、あああ……」
    知らず知らずのうちに、大粒の涙があふれ出す。
    その時だ。まるで濁流のように頭の中に映像が走った。それは、今まで過ごした、リュカとの記憶だった。
    彼の、夫の死の衝撃が、フローラの記憶の封印を消し飛ばしたのだ。
    「いやあああああ!!」
    絶叫のような悲鳴と共に、彼女の身体から凄まじいオーラが火柱のように立ち上がる。
    それは、紛れもなく、勇者の光だった。
    「なっ……」
    薄ら笑いを浮かべていたヘルバトラーの顔が、こわばる。
    彼は、我が目を疑った。
    フローラの髪の色が、変わっていく。
    蒼天のような青から、草原のような碧色へと。
    その凛とした美しい顔つきは、今までのフローラではなかった。
    聡明さ、凛々しさ、そして、悲壮さを含んだその眼差し、それは、決して起こしてはならない、彼女の真の姿、前世の姿に他ならなかった。
    すっ、とフローラは手を伸ばした。
    次の瞬間、レックスの手に握られていた天空の剣が、まるで本来の主の元へ戻るように彼女の手元へと瞬間移動する。
    「き、きさま、夢の世界とはいえ、天空の剣を!」
    「はぁっ!!」
    それは、一瞬の出来事だった。
    目にも止まらぬ早さでフローラは跳躍すると、フェズリィを握りしめているヘルバトラーの腕を手首から切り落とした。
    「ぐおおおおっ!!」
    切断面から大量の血が吹き出る。
    もだえ苦しむヘルバトラーを無視して、フローラは傷ついたフェズリィの身体を魔物の手から引きずり出した。
    「あなた、あぁ、あなたっ!」
    泣きながら、フローラはフェズリィの身体に抱きついた。
    「ごめんなさい、わたしのために、わたしが、もっと早く……」
    その時だ。
    フローラは気づいた。
    フェズリィの、弱々しいが、確かに聞こえる息づかいを。
    彼は、まだ生きているのだ。
    「ば、ばかな、い、いまのフローラには、あぁまで天空の剣を使いこなせないはず……」
    ハッ、とヘルバトラーは悟った。
    彼女の勇者のオーラの発生源が、どこから来ているのか。
    「ま、まさか……この女、この女はっ!」
    そして、それはフローラも気づいていた。
    この力は、自分のものではない。
    この力は、そう、自分の中に宿る、もう一人の命からあふれ出る力なのだ。
    フローラはそのあふれ出る力を天空の剣に集中させ、それをヘルバトラーに向けて一気に解き放った。
    光は刃となって、ヘルバトラーの巨体を一刀両断に斬り伏せた。
    絶叫すら上げる間もなく、魔物はついに消滅し、それと同時にこのかりそめの世界もまた、泡のように弾けて消えた。




    夢の世界から生還したフローラだったが、その表情は悲しみで満ちていた。
    彼女を抱きしめるようにして、動かなくなった夫……
    「そんな、私だけ、私だけ生き残ったって……」
    涙を流して、フローラは愛する夫の亡骸を力一杯抱きしめた。
    「せっかく、お腹の中に赤ちゃんがいるってわかったのに、なんで……」
    むせび泣きながら、そう、呟いた時だ。
    「……それは、聞き捨てならないな」
    弱々しくも、その声は確かに聞こえた。
    「あなたっ!」
    驚いて、フローラは彼の顔をみた。
    リュカは、今にも気を失いそうなくらい青ざめた顔をしていたが、それは確かに死人の顔ではなかった。
    「よく、よく、ご無事で」
    「もうだめかと思ったが、寸前のところでヘルバトラーが死んだおかげで助かった。まだ、ダメージは残っているがね」
    確かに、リュカの身体は衰弱し切っていた。だが、その身体にはどこにもダメージはない。すべて、フローラの夢の中での出来事だったのだ。
    「よかった、本当に」
    フローラの涙が、うれし涙に変わる。
    しばらくの間、二人は片時も離れずに互いの生還を喜び合う。
    やがて、どちらともなく二人は抱擁を終えた。
    「喜んでばかりもいられませんわね」
    「あぁ、サプライズは、すべてが終わった時のためにとっておこう。そのためにも生きて帰らなきゃならん……お腹の子のためにもね」
    「えぇ」
    フローラはまだ目立たないお腹にそっと手を置いて、しっかりと頷いた。



    続く


    コメント
    コメントする








     
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    Calendar
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    293031    
    << July 2018 >>
    web拍手
    お読み頂けたらぽちっとおして頂けると大変うれしいです。
    Twitter
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Recommend
     (JUGEMレビュー »)

    小説執筆には必須ともいえる日本語入力ソフト&ワードです。
    Recommend
    キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック
    キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック (JUGEMレビュー »)

    管理人も使っているシンプルメモ帳。小説執筆にも使えますぞ!
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM