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2010.03.22 Monday

反竜伝記 第一部 第一話 白薔薇との再会 (上)

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    反竜伝記 第一部 第一話 白薔薇との再会 (上)

     反竜伝記 第一部 第一話 白薔薇との再会 (上)



     序章


     ラーの鏡にて映し出された醜き化け物は、その強大な魔力を振るい、立ちはだかる若者らを苦しめた。
     だが、彼が呼び出した化け物はすべて青年達に倒され、化け物自身、すでに身体にいくつもの傷をかかえていた。
     「おいつめたぞ! マーヴァル王妃の偽者めっ!」
     剣を片手に、緑の髪の青年が叫ぶ。
    「貴様の、貴様達のせいで苦しみ、死んでいった者達の仇を、今ここでとらせてもらうっ」
    「図にのるなよ、小僧ォォォっ!」
     金髪のカツラを振り乱しながら、化け物はその醜く引き裂かれた口から紅蓮の炎を吐き出す。
     炎は渦を巻きつつ、青年を食らいつくすべく迫る。だが、
    「バギ、マァッ!」
     明後日の方向から放たれた真空の渦が、その炎をかき消す。
    「リュカッ!?」
     青年が振り向く。
     傷つきながらも最後の力を振り絞って呪文を詠唱した黒髪の青年が、声を大にして叫んだ。
    「ヘンリー! いけっ! やつに、とどめの一撃をっ」
    「……あぁっ!」
     確かに頷いたヘンリーは、剣を振りかざし、化け物めがけて突進する。
    「くっ、おのれぇっ! 返り討ちに……」
    「やらせませんっ!」
     仲間の一人であるスライムナイトが放った剣が、鋭い爪を振りかざした化け物の腕を切断する。
    「なにぃっ」
     腕の痛みが神経に響く間も与えず、青年……ヘンリーの放った斬撃が、化け物を頭から股にかけて、文字通り一刀両断にする。
    「……が、はっ」
     化け物は緑色の血は吐き、よろめく。
    「……お、おろか、ものども、め。この、わたしに支配され続けていれば、このくには、世界一の強国になれた、ものを」
    「黙れっ!」
     ヘンリーは返す刃で、化け物の胴を真っ二つにする。
    「何もかも、お前たちの思い通りに動くと思うな! もう、お前らの好きにはさせない。これからもだっ!」
     すでに絶命した化け物を見下しながら、ヘンリーは叫ぶ。
     


     ……数年間、本物に変わりこの国を大恐慌に陥れた偽者の王妃は、こうして倒された。
     長く、苦しいラインハットの闇は、こうして祓われたのだった。
     










    「よう、リュカ。なにやってんだ」
     夜のテラスに一人佇む青年に声をかけたのは、ラインハット王国第一王子ヘンリーだった。つい先ほどまでは奴隷の布切れを身に付けていた彼も、今では立派な衣装に身を包んでいる。誰がどうみても、彼が十年間も石を運んでいたことなど信じないだろう。
     黒髪に黒曜石の瞳をした青年は、グラスを片手に持ったまま振り返った。
     外では楽隊の演奏が場を盛り上げ、テーブルには様々な料理が並び、人々は食べたり、踊ったりしている。
     皆、すさんだ時代の終末を喜んでおり、誰もが花のような笑顔を浮かべている。
     リュカは彼らを眩しく見つめていた。グラスを口に運び、ワインがなくなると彼はそれを手すりに置く。
    「これからのことを、考えていたんだ」
    「おふくろさんを、探すことか?」
     王子らしからぬ、しかし彼らしい言葉遣いで、ヘンリーは聞いた。
    「お父さん……父さんは言ったんだ。お前には母がいる。魔物に捕らえられているが、生きているってね。その時気づいたんだ。父は今まで母を助けるために旅をして、死んだってことが」
    「リュカ」
     ふいに夜空に花火が舞う。
     様々な色に移り変わる光を背に浴びて、リュカは笑った。
    「父さんの夢を、息子であるこの僕が叶えたいんだ。そのためには、天空の勇者を探し出さなければならない」
    「そうか」
     ヘンリーは頷くと、グラスを口に近づけた。そのまま一気にワインを喉に流す。
     目を丸くしたリュカににやりと笑うと、王子はリュカが置いたグラスに自分のものを並べた。
    「つきあうぜ」
    「お、おい、ヘンリー」
     黒曜石の瞳が、戸惑いの色を浮かべた。
    「君はラインハット王子だろう。長い間国を留守にしたんだ。デール王や君の母親を安心させてあげなきゃいけない」
    「そうだ、リュカ。俺はラインハットの王子だ」
     ヘンリーは胸を叩いた。
    「王子たるもの、受けた恩は二倍にして返さなければならん」
    「恩?」
    「お前は、ラインハットを救ってくれた。俺一人では、とてもじゃないがこの国を解放することは不可能だっただろう。つまり、お前には大きな借りができたってことだ。それを返さずにのうのうと城の中で寛いでいるような自分を、俺は王子だとは思わない」
     再び花火が上がる。
     リュカとヘンリーは互いの視線を交差させた。
    「ラインハットは、どうする? それに、マリアさんは? お前たちはもう……」
    「デールはもう大人さ。あいつはもともとオレより頭がいい。きっとこの国を立て直してくれるさ。それに、マリアの許しもとってある。それに……」
     ヘンリーは照れくさそうに、鼻をさすった。
    「この国でのオレの役目は一通り終わった。だから、今度はオレがお前の旅に力を貸す番さ」
    「負けたよ」
     やれやれと、リュカは肩を振った。
    「君は昔から頑固だったよな。こういう時は、とめても無駄なんだよな」
    「へへ、良くわかっているじゃねぇか。相棒」
     ヘンリーはリュカの肩に手を回した。二人は開いた片方の手で、がっちりと固い握手を交わした。
    「いつ終わるかわからない旅だぞ。それでもいいのか」
    「ああ、どーんと俺に任せときな」
    「あてにしてるよ、ヘンリー」




     翌朝、リュカとヘンリー、そして仲間の魔物達はラインハットを発った。
     兄の旅立ちに国王のデールは残念がったが、最後は彼らの旅の無事を祈って送り出してくれた。
    「あのさ、リュカ。ちょっと寄り道していっていいか」
     道中ヘンリーがそう言い出したので、リュカは苦笑しながら首を縦に振った。
     悪いなといい残し、ヘンリーは一人南へ下った。オラクルベリーの町を通り越し、海沿いにそびえ立つ修道院の戸を叩く。
     門を開けた金髪の若い修道女は、彼の顔を見ると頬を赤らめて微笑んだ。
     男子禁制の修道院にて歓迎されたヘンリーは、苦楽を共にしたシスターマリアにひと時の別れを言い残し、リュカと合流した。
    「ヘンリー、マリアのねえちゃんと何話してきたんだよ」
    「スラリン、野暮な質問はするものじゃありませんよ」
     リュカの肩で目を細めたスライムを、スライムナイトのピエールがなだめる。
     二人、いや、二匹ともというべきか。ともかく、彼らは一度はリュカの敵だった。
     しかし、今では心強い仲間である。
     リュカがスラリンとピエールを改心させた時、ヘンリーは別に驚かなかった。リュカにはベビーパンサーのプックルという前例があったのだ。もちろん、彼らは魔物である。心は正義とは言え身体はまぎれもなく人外の者なので、町の中へと入っていくことはできない。
     大陸に渡る船に乗り込む際、スラリンはリュカの道具袋の中に隠れた。ピエールはスライムから降りれば甲冑の戦士と見分けがつかないので、そのまま甲板に上がることができた。従者のスライムも隙を見て船内に隠れこむことに成功し、かくして二人の人間と二匹の魔物は無事大海へ向かうことに成功した。
     帆が天高く張り、波が静かにざわめく。
     だんだんと離れていく陸地を、リュカは眩しい目で見つめていた。
     亡くなった父パパス、ベビーパンサーのプックル、行方不明の幼なじみビアンカ……少年時代に出会った忘れられない人々を顔が、脳裏によぎり、消えていく。そして、名前も知らないあの女性のことも。
     いつか、この地を母さんと共に踏めるだろうか。
     いや。リュカは唇をかみ締めた。
     必ず、踏んでみせる。父パパスの名にかけて。
     船は、ゆっくりと、だが確実に大海を漕ぎ出していた。




     一週間の船旅の末、船はポートセルミの港町へと到着した。
     ポートセルミは東の大陸の中で、唯一貿易が盛んな港町だった。織物、陶芸品から武器防具に至るまで、さまざまな品物が大海を越えて各都市へと送られる。
     また、ポートセルミ近海は魚介類の宝庫であり、港のすぐそばの市場には新鮮な海の幸が毎朝届けられる。
     東の大陸の中で一番活気に溢れた町こそ、このポートセルミだった。
     しかし、それも数年前の話である。海には魔物が潜み、すでに幾十もの船が船員と共に海の底に沈んでいる。また、ラインハットの鎖国政策も影響して、近年めっきりにぎやかな声は途絶えてしまった。
     しかし、二つの問題点のうち後者の方は改善されたこともあり、市場には再び活気が戻りつつあった。
     リュカ、ヘンリー、ピエール、スラリンは空っぽになった胃を満たすために、酒場へと向かった。
     町の大通りにどっしりと構えるその店は宿屋も兼ねており、昼は魚介類のランチがでる。しかし、この店がもっとも盛り上がるのは夜だった。日が沈むとレストランはバーに早代わりし、舞台には踊り子達があられもない姿で踊り、客達を魅了する。
     夜店に入ったリュカ達は、異様な熱気に驚いた。
    「はぁ、オラクルベリーのカジノに来た時も驚いたが、これまたすごいな」
     踊り場より少し離れたテーブルについたヘンリーは、頬杖をついてぽかんと踊り子達に見惚れていた。
    「ラインハットもまだまだ見習わなくちゃならんな」
    「おいおい、王子さま。諸国漫遊の旅をしているわけじゃないんだぞ」
     半ばのぼせているヘンリーの声に、リュカは苦笑しながら彼のわき腹をつついた。
     やがてテーブルの上には豪華な食事が並んだ。
     エビや貝が沢山詰まった子羊のシチューや、ワカメにトーストを油で焼いて各切りにしたものをあえたシーザーサラダ。とろとろのクリームが皿からはみ出しそうなほどのサケのムニエルなど、どれもこれもリュカ達のお腹の虫を慣らせるには十分なメニューだった。
    「うん、こりゃうまいや。リュカ、これ食べてみろよ」
    「なるほど、これはいけるな」
    「だろ? あ、お姉さん! スライムのあぶり焼き一つ追加ね!」
     次の瞬間、ピエールとスラリンが料理を噴き出したのはいうまでもない……



     テーブルの上の料理の大半を平らげた頃。舞台から上がった踊り子と親しそうに立ち話をしていたヘンリーが戻ってきた。
    「よう、面白い話を聞いてきたぜ」
     そう言うヘンリーは、なぜか含み笑いを浮かべていた。
     いぶかしげに眉を逆立ててながらも、リュカは身を乗り出して聞く準備を整えた。
    「情報は二つだ。一つは、聞いて驚くなよ? 天空の盾の在り処がはっきりした」
    「な、なんだって!」
     反射的にリュカは後ろ足で椅子を蹴って立ち上がった。たちまち他の客から好奇の視線が飛ぶが、彼は全く気付いていなかった。
     リュカが動揺するのも無理からぬことだった。パパスが死ぬ間際に息子に言い残したことがある。それは「天空の勇者を探せ」というものだった。
     魔物に囚われている母マーサを救出するには、天空の勇者の力が必要だと言う。
     天空の勇者。かつて太古の昔、この世界を邪悪な魔族から守った英雄である。天空の武具を纏いし者は、いかなる邪悪なオーラをも吹き飛ばし、天の雷を自在に操るという。
     彼の力を借りない限り、強力な魔物に守られている母を助けることは不可能に近い。あのパパスでさえ、強大な力を持つゲマには手も足もでなかったのである。ゲマの力を目の当たりにしたリュカとヘンリーは、勇者の必要性を誰よりも感じていた。
     そのためリュカは今まで勇者の情報を捜し求めていた。
     勇者伝説は古代の神話ではあるが、今もどこかに子孫がいるに違いない。
     いずれ会う勇者のために、天空の武具を集めなければ。
     天空の剣、盾、鎧、兜のうち、リュカはサンタローズの洞窟から、父が隠していた天空の剣を手に入れることができた。しかし、剣以外の武具の在り処は未だに闇の中だった。
     しかし、ヘンリーが聞いた話がでたらめでなければ、そのうちの一つが見つかったことになる。
     リュカの心臓の鼓動が早まった。
    「どこにあるんだ」
    「遥か西南の彼方に建つサラボナという町の、大富豪ルドマンが所持しているとのことだ。なんでも、先祖代々の家宝なんだとさ」
    「先祖、代々?」
    「トルネコ」
    「ト、トルネコッ! あの勇者と共に魔王と戦ったっていう七人の仲間の一人、武器商人トルネコのことか!」
    「そうだ。ルドマンっていうのは、そのなん…………代目かの子孫なんだとよ」
     リュカは眩暈を覚えた。
     大陸に渡って早々、天空の盾の居場所が持っている人が見つかるなんて。しかもその所有者があのトルネコの子孫である。
    「行き先は決まりましたね」
     鉄仮面の隙間から、ピエールの笑う目が光った。
    「でもよ、三人とも」
     リュカの道具袋から、スラリンがぴょこっと顔をだした。
    「ルドマンって人がいっくらお金持ちだったとしてもだよ? そう気前良く譲ってくれるかな?」
    「だからって、手を拱いているわけにもいかないだろう?」
     ヘンリーは言う。
    「オレ達には天空の盾が必要なんだ。頭を下げてでも、頼むしかないさ」
    「ヘンリー。それで、天空の盾のことはわかったけど、その」
    「あぁ、二つ目の情報っていうのはな……ああ、詳しく言うと、情報じゃなくて依頼なんだ」

     こうして、リュカ達は思いもよらぬ寄り道をすることとなった。
     ここより南のカボチという村から来た人々の依頼を、ヘンリーは仲間の意見も聞かずに承諾してしまったのだ。
     前金で二千ゴールド、成功したらもう二千ゴールドという報酬は、確かにうまそうなのだが……
     カボチ村人の依頼はこうだった。最近畑が何者かに荒らされているという。
     野犬かと思ったが、荒らし方が尋常でないことから、魔物の仕業だと発覚した。
     武器といってもクワくらいしか持ったことのない村人達である。洞窟に潜む魔物を退治しにいくというのは、あまりにも自殺行為だった。そこで村長と話し合った結果、ポートセルミまで出向いて、屈強な若者に事件の解決を依頼しようとしたのだ。
     そして、彼らの目にとまったのが、ヘンリーだった。
     リュカ達は知らないが、ヘンリーは彼に因縁をつけてきたならず者の山賊ウルフを一人で片付けてしまった。四対一という不利な立場であるにもかからわず、ヘンリーは一度も山賊ウルフたちの攻撃を受けなかった。その一部始終を、カボチ村の人々は見ていたのである。

     カボチ村へと到着したリュカ達はさっそく洞窟内へと足を踏み込んだ。
     そして、洞窟の奥深くに待っていたのは、意外な魔物だった。
    「プックルッ! プックルなんだろ! 僕だよ、リュカだよ!」
     そう、カボチ村を荒らす魔物の正体とは、ベビーパンサーのプックルだったのだ。それも今ではリュカより二倍近い体重はあるかと思える立派なキラーパンサーに成長していた。
     プックルはリュカが取り出したビアンカのリボンの匂いで、すぐに目の前の戦士がもう片方の命の恩人だということに気付き、尻尾を振った。
     懐かしい旧友は主であるリュカにかけがえのない品を残していた。
     それは、彼の父パパスが愛用していた剣だった。
    「……父さんっ」
     リュカの目から涙が流れる。
    「プックル、お前がここで、父さんの剣を守ってくれていたんだな」
    「クゥン」
    「ありがとう、ありがとう、プックル」
     
     こうして、プックルと再びめぐり合えたリュカは、予定通りサラボナへの進路を取った。






     辺り一面が闇だった。
     天も地もなければ、風も音もない。
     存在するのか、してないのか。曖昧だが、何もない暗黒の空間に、リュカは漂っていた。
     ここはどこだ。出口を探し、彼は身体を動かす。しかし、まるで水の中にように、手足がバタバタ動くだけで、前にも後ろにも進まない。
     突然、辺りがフラッシュした。眩しい光に目がくらみ、少しづつ瞼を開いた時、目の前は一変していた。
     激しく揺れる狭いタルの中に自分はいた。自分一人だけではない。ドレイ服を着たヘンリーとマリアも一緒だった。
     狭い空間に三人は身体を密着しあい、激しい揺れに耐えていた。
     怒涛に唸る大波がタルを容赦なくたたきつけ、絶え間なく振り続く豪雨は波をさらに高ぶらせ、暗雲から突き出す稲妻は無力な三人をあざけ笑っていた。
    「どうやら、年貢の納め時がきたみたいだな」
     王族らしからぬ台詞を言ったのはヘンリーだった。額には脂汗がいくつも浮かび、頬はげっそりとしている。
    「何をいってるんだ、ヘンリー! がんばれっ」
     枯れた喉から、リュカはやっと声を絞り出す。
    「せっかく、せっかく助かった命だろう! 僕達に希望を託してくれたヨシュアさんや皆の好意を、ムダにしていいのかっ! それに、マリアさんだって……」
     振り向いて、リュカは目を剥いた。
     マリアはすでに俯いたまま微動だにしない。
     しばし呆然としていて、ふと視線を戻す。そこには、マリアと同じように力尽き、だらんと手がぶら下がった親友の姿があった。
    「ヘ、ヘンリーッ! しっかりしろっ! ヘン……」
     リュカの声は、途中で途絶えた。
     今までにない激しい揺れに足元が上下逆に傾き、リュカの頭は天井だった板に激突した。
     不思議と痛みはなかった。一回目は、頭蓋骨が割れるほどの激痛が走ったというのに。
     もう一人のリュカは気を失った自分を真上から見下ろしていた。
     再び、場面が変わる。
     はっと、彼は目を開けた。
     飛び込んできたのは冷たい海の底ではなく、石造りの天井だった。
     痛む顎を動かし、空気をむさぼる。確かに、水の中ではない。
    「よかった。気が付きましたね」
     女性の声が耳をくすぐった。マリアではない。湖畔の水のせせらぎのような、澄んだ声だった。
     その時はじめて、リュカは自分がベッドに寝かされていることに気付いた。あの時身に付けていた布切れはなく、そのかわりに全身に包帯が巻かれていた。
     リュカは身体をひねらせて、声の主に目を向けようと試みた。しかし、肘をベッドに立てた瞬間電撃に似た痛みが身体中をほとばしり、彼の身体は再びベッドの中に崩れ落ちた。
    「無理は、しないでください」
     幸運か、声の主はベッドにやや身を乗り出してきた。
     包帯の隙間から、毛布をかけなおしている若い娘の姿が目に見えた。
     それはまるでこの世のものとは思えないほど、美しい少女だった。
     澄んだ泉の長い髪をさらさらとなびかせ、肌は白魚のように白く、唇は桃のように鮮やかだ。抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な身体は、純粋潔白なシスター服が良く似合う。
     天使だ。リュカは唖然としながら、心の中でそう呟いた。
     いつの間にか、リュカの目は目の前の聖少女だけを見ていた。彼女の前では、背景など薄れて見えた。
     心臓の鼓動が肉体から洩れてしまいそうなほど、激しく鳴り響く。
     ふと、彼女がこちらを向き、控えめに微笑んだ。
     次の瞬間、リュカのこめかみから稲妻が通り抜けた。
     嵐は過ぎ去った。しかし、恋という名の新たな嵐は、早くもリュカの中で渦巻き、激しく揺れ動いていた。


     全治二週間の怪我を、リュカは負っていた。
     しかし、幸い骨などは折れていなく、すぐにベッドから出られるだろうと、オラクルベリーから来た医者はそう言っていた。
     リュカ、マリア、ヘンリーは名もない修道院に厄介になっていた。
     嵐が過ぎ去った後、一人の修道女が浜辺まで行ってみると、大きなタルが砂の中に半分埋まっていた。
     胸騒ぎがした十九歳の修道女は上になっていた開け口を開けた。するとそこには気絶した三人の若者達が詰まっていた。
     こうして、三人の脱出者は無事生きて大陸の空気を吸うことができた。
     そして、彼らを助けた少女こそ、リュカの看病をしていた娘だった。
     彼女の献身的な看病のおかげで、リュカは一時的には回復に向かっていた。

     しかし、意外なことが起こった。
     リュカが突然の高熱に襲われたのだ。
     氷もすぐに溶け出してしまうほどの病に、リュカは三日三晩生死の境をさまよった。
     しかし、幸いなことにリュカはなんとか一命を取り留めた。
     朝日が彼の瞼を刺し、リュカは目を開ける。
     ベッドには、あの少女が彼の膝に寄り添うように寝ていた。
     毛布には涙の後が点々と残っている。それを見て、リュカは胸が苦しくなった。
     この人は僕のために泣いてくれたのか。そう思うだけで。
     そして、気付いた。彼女の白魚のような手がカサカサになっていることを。
     その原因はすぐにわかった。彼女は夜も眠らず、苦しむリュカの額にタオルを乗せ続けたのだ。氷水の入った桶で、なんどもタオルを絞りながら。
     その時、リュカは初めて気付いた。
     目の前の少女が、自分にとって特別な存在だということに。
     再び睡魔に襲われて目を閉じ、しばらくして夢の世界から現実の世界に舞い戻ったとき。
     彼女の姿は、どこにもなかった。
     修道女の一人に聞くと、彼女は国へ帰ったという。
     熱は下がったが、リュカの目の前は真っ暗だった。
     もう、二度と会えないかもしれない。そう思うと、なぜあの時眠ってしまったのだという後悔が、じわじわと湧いてくる。
     包帯が外され、清潔に洗濯された衣服を身に纏い外に出る。
     暖かい春風が、リュカの頬を撫でる。
     空は、驚くほど澄み切っていた。
     春の青空。見あげると、あの少女が自分に向かって微笑んでいるような気がした。

     夢は、そこで途絶えた。






     ふと、リュカは目を覚ました。
     目をぱちくりさせ、ごとごとと揺れる馬車の床から身を起こす。
     立ち上がって、ひどく腰が痛んだ。やはり、砂利道を走る馬車の中で昼寝はするものじゃない。
    「お、目が覚めたか」
     手綱を握っていたヘンリーがリュカに声をかけた。
     傾いていたターバンを締めなおすと、リュカは椅子に座って背伸びをした。空を見ると、まだ青い。そんなに長く寝ていたわけではなさそうだった。
     カボチ村を出発したリュカ達は、山脈沿いに馬車を走らせていた。目的地はこんどこそサラボナだった。
    「サラボナは山脈の向こう側にあるらしいぜ」
     ヘンリーはもう少しで沈もうとしている太陽より少し下を指差した。
     そこには、険しい斜面が続く山脈が果てしなく続いていた。
    「これを、こえるのか?」
     思わずリュカはうんざりとした声を出す。
    「まさか」
     ヘンリーは笑いながら手を横に振った。
    「通り抜けの洞窟があるんだよ。大山脈を掘りぬいた代物だから、かなり深い洞窟らしい」
    「食料が持つかな?」
     リュカは荷台に積んであるキャベツや肉などの束を見た。二人ならば四日はもつだろうが、ピエール、スラリン、プックルら魔物達のぶんも合わせると、どうやら一日くらいは飲み食いをがまんしなければならなくなりそうだった。
     グルルルと、馬車の横を歩くプックルが不安そうに喉を鳴らした。
    「洞窟の前に宿泊所があるらしい。そこで一泊して、ついでに食料も買っておこう」
    「ああ」
    「ところで、リュカくん」
     突然、ヘンリーの声は思わせぶりなものに変わった。
    「な、なんだよ」
     つられて、リュカは少しどもった口調で答える。
    「いったいどういう夢を見ていたのかな?」
    「気になりますね」
     ピエールまで、含み笑いを浮かべてそう言う。
    「何しろリュカったら、うなされていたと思ったら急にニヤニヤしだしたりして、おかしいったらありゃしないよ」
     リュカの肩にのっかっているスラリンが、二つのまんまるい目をじぃーっと細める。
    「べ、べつに、夢なんか、見てないよ」
     そういいつつ、リュカはごくりと唾を呑んだ。
    「わかったぞ、リュカ。お前、あの人のことの夢を見たんだろう?」
     どきっ!
     リュカの身体がとびあがった。
    「べ、べべつに、そんな」
     慌てて顔をぶんぶん振ったが、この口調では説得力は零に等しかった。
    「あの人って、誰?」
    「リュカの女神様さ」
    「ええっ! 女神さまっ!!」
     ヘンリーがスラリンに告げ口をする。ほほうと顎をしゃくったのはピエールだった。
     ばれた。リュカは観念して手で顔を覆った。
    「ああ、そうだよ。夢見てたよ。それが悪いかっ」
    「べつに悪くはないぜ。羨ましいなって思っただけさ。ああ、俺もマリアさんの夢を見たいぜ」
     そういってヘンリーは胸に手を当て、ラインハットの方向へ向けて十字を切る。
    「マリアさんも素敵だったけど、あの人もすこぶる美人だったよな。健気で献身で、白薔薇のような人だった。名前はなんていったっけ? たしかフ、フ……」
     電撃が走ったかのように、リュカは身を乗り出した。
     ぐいっとヘンリーに向かって顔を近づける。
    「な、なんだよ」
    「そ、その人の名前、知っているのか、ヘンリーッ!」
     半ば血走った目をしたリュカに、ヘンリーはただこくこくと頷く。
    「どんな名前だったんだいっ!」
    「だから、フ、フ、フロ……」
    「お風呂?」
    「違うっ! あ……」
     鋭くスラリンにつっこみをして、次の瞬間ヘンリーはぽかっと自分の頭をコツいた。
    「あらぁ、すまん、リュカ。出かかってたんだけどな、忘れちまった」
    「そ、そう」
     がっかりとリュカは座り込む。
    「なんだよ。リュカ。命の恩人の名前も知らなかったの?」
    「うっ。あの時は、病で意識が朦朧としていたし、それに、気づいたら聞き逃していたんだよ……」
    「やれやれ、こいつったら、本当にとことん奥手なんだから」
     ヘンリーがため息をつく中、馬車は噂の祠へ到着したのだった。




     そこは木がまばらに立っているだけの、辺り一面の高原地帯だった。
     水平線の向こう側には気高い山脈が延々と伸びている。その山々を見上げるかのように、バンガローに近い建物が草原の真ん中に建っている。そこが噂の祠だった。
     馬車を馬小屋に止め、宿屋の扉を開けたリュカ達は、手続きを済ませて中へと入った。
     受け付けの隣は小さな酒場だった。カウンターに椅子が五つ並び、円状のテーブルが二つ置いてある程度の、小さなバーである。しかし、その規模とは裏腹に、客の数は多かった。片方のテーブルには四人の商人風の男達が、カウンターには若い戦士風の青年と中年のシスターが、それぞれ夜の酒を楽しんでいた。
    「そこが開いてるな」
     リュカ、ヘンリー、ピエールの三人は空いたテーブルへと座った。プックルは馬車の中で見張りを自ら買い、スラリンは眠いといって、毛布に包まって夢の世界へ旅立ってしまった。
    「いらっしゃい、お客さん。何にします?」
     二十歳前のバニーガールがメニューを胸に抱いてやってきた。
    「オレは葡萄酒がいいな。リュカ、お前は何にする?」
    「僕は水だけでいいよ。お酒はあまり飲めないしさ」
    「かしこまりましたぁ」
     バニーガールはハイヒールを鳴らしながら厨房へ去っていく。
     間もなくして、テーブルには三種類のアルコールが並んだ。色鮮やかな飲物たちに、リュカ達の喉は震えた。
    「乾杯っ」
     グラスを鳴らし、三人は酒と水をを喉に通した。
    「おい、リュカ。オレとピエールが飲んでいるっていうのに、お前だけ水なんてバランスが悪いぞ.。ほら、リュカ、飲め飲め」
    「ぼ、僕、そんなには……」
     そんな時である。その話題は唐突に三人の耳に届いた。
    「聞いたか、お前」
    「ん、なんだ?」
     それは隣の席で円卓を囲んでいた商人達の声だった。背の高いちょび髭が、髪の薄い痩せ型に耳元で囁く。もっとも、地声の大きいちょび髭の声は酒場全体に響きわかったのだが。
    「サラボナのお嬢様が帰ってきたらしいぜ」
     唐突に目的地の地名が出てきて、リュカ一行は一斉に互いを見合わせた。すぐに視線を商人達の方に向けるが、彼らは微塵もこちらの目線に気付いていない。
    「あのルドマン公の一人娘か!」
    「ああ、ルドマン公はなんでも娘を花嫁にやるために修道院から彼女を呼び戻したらしい。現在サラボナには花婿候補達がぞくぞくと集まっているようだ」
    「そりゃすごい! もし彼女と結婚したら、美しい少女とルドマンの財産が自分のものになるのか!」
    「けっ、なんだそりゃ、アホらしい」
     吐くような声を上げたのはヘンリーだった。
    「相手が金持ちだったらすぐに求婚するのか?  バカバカしい」
     リュカはヘンリーの肩に手を置いてやりたくなった。無理もない。彼は子供の頃には、すでに十歳も年上の女性と婚約を交わしていたという過去がある。今ではそれは無効となったが、このことが原因でヘンリーは政略結婚などの類を毛嫌いしていた。本人の意思を尊重せず、お仕着せがましい愛情を娘や息子に押し付ける親が、彼は一番嫌いだった。結婚するのは親ではなく子なのに。
    「ルドマンっていえば、これから私達が尋ねに行く方ですよね、リュカ」
    「う、うん。そうだけど」「どうやら、そのルドマンってやつもたかがしれてるな。典型的な成金野郎だったってわけか」
    「ヘンリー。それはちょっと言いすぎだよ」
    「ん? なんだ、リュカ」
     ヘンリーがリュカの目をじろりと覗き込んだ。酒臭い息が間近にかかり、リュカは思わず唇をかみ締める。
    「お前、まさか。フローラとやらと結婚すれば天空の盾と船が同時に手に入る、だなんて思ってなかったろうな?」
    「バカ、僕だって、そんな奴らの気がしれないよ。それに、結婚なんて考えたこともないね」
    「そうだよなっ」
     ジト目が急に柔らなくなる。高笑いを上げながら、ヘンリーは嬉しそうにリュカの背中を叩いた。
    「さすが俺様の子分だ。そこらの俗物とはわけが違うな」
    「はぁ」
     リュカは肩を落とした。ヘンリーのやつ、もう酔っ払ってる。
    「それにしても、その子もかわいそうだな」
    「だろ? お前もそう思うだろ? 誰が好き好んでクソ親父の決めたオトコと結婚しなきゃならねぇんだ、バーローッ!!」
     まるでサラボナのお嬢様になったつもりで、ヘンリーの声がだんだんとトーンを上げていく。ついにはワックスをかけたばっかりの床を何度も踏みしめた。バーテンとバニーガールの視線が突き刺さり、リュカは身の縮む思いをした。
    「それにしても、白薔薇……か」
     リュカの脳裏に浮かんだのは、あの美しい少女だった。
     純白の修道服が一番良く似合っていた彼女こそ、白薔薇に相応しい女性だった。
    (いや、よそう)
     リュカは首を横に振り、妄想を振り払った。
     もう二度と会えないに決まってる。考えるだけムダだな。
     そう自分に言い聞かせたが、しばらくすると再び彼女の顔が浮かんできた。重傷だな。リュカは苦笑すると、ワインをくいっと飲み干した。


     翌日、朝早く宿屋を出たリュカ達は、草原を越え、ゴツゴツとした岩肌の山道を歩いていた。
     しばらく進んでいると、前方の岩壁にぽっかりと洞窟が口を開けていた。どうやら、ここがサラボナへと続く洞窟らしい。地面を見ても、幾つもの人の足跡や馬車の車輪の跡が残っている。
     洞窟内へ入ると、ところどころに整備の後が見受けられた。平らに歩行された地面や、壁につけられたランプなど、かつてここが沢山の旅人達で賑わっていたことが伺える。しかし、それらは皆壊れ、錆び付いていた。
     魔物が巣食ってから、この洞窟をくぐるものはめっきり少なくなってしまったという。
     しばらく真っ暗な通路をひたすら進んでいると、わらわらと魔物達が湧いてきた。
     一つ目の巨人ビッグアイや、泥の怪人ドロヌーバ。死者の屍リビングデッドだった。
     魔物達は獲物を見るなり飛び掛ってきた。
    「てやぁ!」
     リュカの剣が闇の中で閃光を発する。
     たちまちリビングデッドの腐った腕は切り落とされた。
     一方、ヘンリーとピエールにはドロヌーバとビッグアイが迫る。
    「メダパニッ!」
     ヘンリーが呪文を唱えた。すると一つ目をくるくる回したビッグアイが、隣にいたドロヌーバを踏みつけた。
     自分の数十倍の体重を持つ魔物に足蹴にされ、ドロヌーバの身体から泥が跳ね散る。
    「今です! イオッ!」
     ピエールの炸裂呪文がドロヌーバに直撃した。
     轟音を響かせて魔物は飛び散り、爆風でビッグアイは吹き飛び、岩肌に激突する。
     ヘンリーはふうと汗を拭った。リュカの方を振り向くと、彼は剣を鞘に収めているところだった。地面に崩れ落ちているリビングデッドの死体はしゅうしゅうと煙を出し、やがて骨だけになった。
    「さて、こいつをどうするか、だな」
     ヘンリーがプラチナソードを光らせる。
    「待って」
     リュカが慌ててヘンリーの前に出た。
    「もう彼には戦う力は残っていない」
     ビッグアイの前に座り込み、リュカは気絶したビッグアイに手をかざす。
    「ベホイミ」
     リュカの掌が青白い光に包まれた。その癒しの光はビッグアイの身体全体に広がっていく。
     やがて、魔物は目を覚ました。大きなあくびを上げて、一つ目を眠たそうにこする。
     その子供のような仕種に、ヘンリーはすっかり戦意をそがれてしまった。
    「ごめんね、痛かっただろう?」
    「そんなこと、ない。あんた、つよい。きにいった、おれ、あんたといっしょ、いきたい」
    「そうか、一緒に来るかい?」
     リュカの問いにコクコクとビッグアイは頷いた。
    「がんどふ、がんどふっ、おれ、がんどふ!」
    「どうやらガンドフという名前のようですね」
    「よろしくね、ガンドフ」
     こうして、ビッグアイのガンドフが仲間になった。
    「私もああいう風に説得されて、リュカ達の仲間になったんですね」
    「おいらもだぜ」
     スラリンとピエールはしみじみとリュカとであったときのことを思い出していた。
     今まで幾百もの旅人達と戦い、勝利を収めてきた魔物二人は、はじめて敗北を喫した。しかし、旅人は二人に止めをささなかった。それどころか、傷だらけの自分達を癒してくれたのである。
     その時に感じた黒曜石の優しさに満ちた瞳。思えば、この瞳に邪気を抜けられたのが原因なのかもしれない。
     リュカには不思議な力がある。それは、ここにいる誰もがそう思っていた。
    (リュカ。俺は思うんだ)
     声には出さないが、ヘンリーは親友の背中に話し掛けた。
    (お前には不思議な力がある。人間、魔物、いろんなヤツと、お前はお友達になっちまう。一見馬鹿げているようだが、俺はそうは思ってはいない。お前のその力は、必ずやこの荒んだ世界を平和に導くものだと、俺は信じているんだぜ。かつて、天空の勇者がこの世界に棲む全ての魔を打ち払ったという。だが、見てみろ。この世界を。この世界はこんなにも魔物で溢れているじゃないか。そのことに気付いたとき、俺は思ったんだ。善だの悪だの、どちらか一方を切り捨てても、本当の平和はこないじゃないのかってな。ふふ、俺は思うよ。この世界に本当に必要なのは魔を払う天空の勇者ではなく、魔を聖に浄化させる力を持ったお前じゃないかってな)
     そう思って、ヘンリーは苦笑した。
    (俺ってば、何を言ってるんだ。これから天空の盾の交渉にいくっていうのによ。まったく)
    「どうした、ヘンリー?」
     リュカの声に、ヘンリーははっとした。気付くと、馬車とヘンリーはかなり離れていた。
    「悪い悪い」
    「もうすぐ出口だよ」
     リュカの指差すところは、光が差していた。



     外壁に囲まれた小さな、だが小奇麗な町サラボナ。
     そこは古風な建物と木々の緑が融合した穏やかな町だった。
     人口は町と呼ぶにはやや少なく、活気があるわけではないが、人々の生活は差別なく皆裕福なため雰囲気はおおらかだ。
     しかし、そんな穏やかさとは裏腹な一面がある。村の入り口に高くそびえる見張り搭は、十階建ての巨大建築物だ。壁には矢を射る窓が随所にあり、壁はレンガを特殊な製法で強化したもので、ちょっとのことではびくともしない。まるで搭自体が町の番人のようであった。
     しかし、戦乱に明け暮れた大昔とは違い、現在はこの搭は使われておらず、見張り番も搭からサラボナの正門に変わっていた。
     難解不落の砦サラボナの名前は、何時の間にか人々の間から忘れ去られ、今は大富豪ルドマンの住む町として有名だった。
      

     ルドマン・シェリル。今でこそ世界有数の大富豪として知られているが、ルドマンの裏の顔を知るものは少ない。まだ世界が戦乱で荒れていた頃、彼は先祖のトルネコと同じく武器商人として諸国を行き来していた。武器商人は一般的にあまりいい呼び名はされない。対立国……特に弱い国に強い武器を売りさばき、戦況が逆転したころ今度は別の国に武器を売りつける。そして戦争を長期化させて沢山の武器を両国に売って儲ける。そんなイメージが強く、武器商人は総称死の商人と呼ばれることが多かった。
     しかし、ルドマンは違った。彼は国には武器を売らず、つねに命の危険にさらされている民草達に格安で武器や防具を売ったのだ。ルドマンの評判はたちまち上がり、彼は死の商人ではなく、生の商人……生きるための商人と呼ばれるようになった。
     そんなルドマンも行商中に兵士に襲われ足を痛め、現役を引退することとなった。彼は生まれ故郷のサラボナに帰り、商売で得た多額の富を使って豪邸を建設した。
     『大富豪ルドマンの住む町』の誕生であった。

     

     ルドマンの豪邸の正面玄関には、幾十もの男達が群がっていた。
     商人風の男や戦士風の男など、国籍職業問わず、さまざまな男達がルドマンの豪邸に集まっている。
     そんな彼らを、屋敷の二階の窓から見下ろしている一人の少女がいた。
     歳のころ十九の、まだ少女の面影を残した美しい女性だった。
     湖畔色の長い髪に水晶のような澄んだ瞳。華奢で、桜のような白い肌に、片肩を露出した上質の絹のドレスを身に纏っている。どこか儚げで、気品を漂わせる女性、名前をフローラ・シェリルという。大富豪ルドマンが溺愛する一人娘だった。
     フローラは自分の家に群がる殿方達を見て、重苦しいため息を漏らした。
     その瞳は、どこか憂いと疲れをにじませている。
    (私は、このまま父の決めた殿方と結ばれなければならないのでしょうか)
     フローラは自分自身に問う。答えが返ってこないのはわかっているのに。
     そして、そういうときに思い浮かべるのは、あの黒髪の青年だった。
     リュカという名の、黒曜石の澄んだ瞳の持ち主のことを。
     そして、いつも胸が熱くなり、鼓動が早くなる。だが、次の瞬間はっと現実に戻されるのだ。あの方は私の名前を知らないし、私のことなど覚えていらっしゃらないに決まっていると。
     フローラは自分の胸元に手を添えると、息を吸った。
     そして、母がいるであろう部屋の扉をノックする。
    「フローラです。お母様」
    「フローラ? はいってらっしゃい」
    「失礼します」
     部屋に入ると、ソファに座った緑色の髪を束ねた女性が、フローラを優しく見つめていた。
     大富豪ルドマンの妻、リーザだった。
    「どうしたの、フローラ? さあ、こっちにいらっしゃいな」
    「はい」
     フローラは頭を下げると、つつましく母の隣に腰を下ろした。
    「いよいよ、今日……ですよね」
    「ええ」
     母は言わなくてもわかっているようだった。
     今日は、フローラの父ルドマンが、集まった『花嫁候補』らに娘を妻にめとらせる条件を述べる日だった。
     リーザも、そのことが娘にとってどういうことを意味するのか良くわかっていたので、具体的には言わず、ただ返事をするだけだった。
     それっきり、二人の間に会話はなかった。
     無言の時間が刻々と過ぎていく。
     フローラの胸に、焦りと落胆が積もっていく。
     そう、こうしている間にも、来るべき時は刻一刻と迫っているのだ。
     しかし、彼女には言う勇気が出せないでいた。
     もし、なんてことを言い出すの、と言われでもしたら。
     母を、父を、悲しませたくはない。自分をここまで育ててくれた両親を、失望させたくはない。
     だから、花嫁修業をしに修道院へも行った。父の言いつけを破ったことはない。
     しかし、これだけは、これだけは素直に頷いてはいけない。そう、フローラの危険信号は鳴り響いている。
     だが、ある意味『父の言いなり』に調教されてしまった彼女にとって、それを言うことは破滅を覚悟すると同じだった。
    「フローラ」
     声をかけてきたのは、母のほうだった。驚いて、フローラはリーザを振り向く。
    「いや、なのでしょう?」
     リーザはそっと、膝で震えている娘の手を取った。
    「ど、どうして」
    「だって、あなたの目を見ればわかるわ」
     にっこりと、リーザは微笑む。
    「あなたの湖の瞳は、二つの色を秘めている。一つは拒絶の色。そしてもう一つは、恋をしている少女の色ね」
     フローラの心臓が跳ね上がった。もしかしたら、胸から飛び出したのかもしれない。と冗談ながらも思うほどの、大きな鼓動だった。
    「私は、家柄も肩書きも関係ない、あなたが好きになった人と結婚できれば、十分満足よ。けど、お父さんの提案でそのことを迷っているようだったら、あなたは家を……」
    「お母様」
     静かにフローラは首を横に振った。
    「お心遣い、ありがとうございます」
    「フローラ」
    「けれど、心配には及びませんわ」
     にっこりと、フローラは笑う。どこか、作り物のような笑みだった。
    「私は父の選んだ方を夫として、末永く幸せでいられればと、心から」
     声が喉に詰まる。だが、彼女は顔色を変えなかった。
    「……思っています」
    「フローラ」
    「それでは」
     フローラは静かに立ち上がった。母に背を向けて。
    「リリアンのお散歩に行ってきますね」
     いうなり、フローラは早足で母の部屋を出ていった。
     リーザには見えた。扉がしまる間際、口を抑えて嗚咽を繰り返している娘の姿を。


     リュカ達がサラボナに到着したのは、十一時を少し回った頃だった。
     正門で旅人達に気付いた見張り番は、彼らを見るなりうんざりな顔つきをした。
    「またか、やれやれ。お嬢様も気の毒に」
     その呟きがリュカの耳に入る。
     その意味はなんとなくだがわかった。
     まだじろじろとこちらを睨んでいる番に会釈をして、リュカと一行はサラボナの玄関口をくぐった。
    「あっ、しまった」
    「ん、どうした、リュカ?」
     立ち止まったリュカに、ヘンリーが振り向く。
    「馬車に父さんの剣を忘れてきちゃった。取ってこなくちゃ」
    「そうか。じゃあ俺達は宿屋に行ってるから、後でこいよな」
    「うん、それじゃ、あとで」
     こうして、リュカは一人来た道を引き返し始めた。
     再び正門前に行くと、休憩中なのか、見張り番の姿はなかった。
     リュカはアーチ横の馬車置き場まで行き、屋内から忘れ物を取り出した。
    「よし、じゃあヘンリーたちのところへ戻るか」
     再度足をサラボナに向けて歩き出したその時だった。
     甲高い子犬の鳴き声が、近づいてくる。
     ふと顔を上げると、白い毛並みの小型犬が尻尾を振りながらリュカ目指してやってくるところだった。
     たちまち彼は愛らしい子犬にしがみつかれてしまう。
     笑いながらリュカは屈むと、子犬はペロペロとリュカの頬を舐めまわした。
    「お、おい。くすぐったいよ」
     笑顔を浮かべながら、リュカは幼いプックルのことを思い出した。小さい頃はこの犬のように良くペロペロと舐めてくれたっけ。今もそれはかわらないが、成獣となったプックルの舐めまわしには思わず鳥肌が立ってしまう。
     良く見ると、子犬の毛並みは見事なまでにトリーミングされ、艶やかだった。額より少し右に飾られた真紅のリボンも良く似合っている。
     どこか、いいところの子犬なのかな? そう思っていた時、ふいに子犬は耳をぴんと張った。ぴょんとリュカの手から飛び出した子犬は、キャンキャン言いながら駆けていく。
    「リリアンッ」
    (えっ)
     リュカの脳裏で何かが弾ける。埃がかぶりかけた彼の記憶が、鮮明に輝きだす。
     リュカは顔を上げて、立ち上がった。ゆっくりと。
     そして、電撃が体全体を走り回る。

     それは、少女の方も同じだった。
     アストロン(全身鋼鉄化呪文)でもかけられたかのように、身体が止まる。
     二人の男女は、子犬を挟んだまま、お互いの瞳に惹かれ、言葉を失っていた。
     少女の湖畔色の髪が風になびき、少年の群青色のローブがそよ風に遊ばれる。

    「き、きみは……」
     リュカは、掠れる声で呟く。
    (神さま)
     リュカは元々神々の存在に興味がない。しかし、この時ばかりは、彼はめぐり合わせの神に感謝した。
     この世界で一番会いたかった少女に、再会することができたのだから。
     子犬のリリアンは見つめあっているご主人様と見知らぬ旅人を交互に見合わせ、尻尾をたらした。萎えていくアサガオのように、リリアンはフローラの片隅でにひっそりと座り込む。しかし、フローラはそれすらも気付かなかった。
     彼女とリュカの合間に、沈黙が漂う。
     彼は口を開けかけたまま、固まっていた。
    (なんて、声をかければいい?)
     正気を取り戻したリュカは、うろたえていた。彼女は自分の命の恩人、しかし、出会ってから八日もたたないうちに別れてしまった。それに彼女の格好である。上質な絹のドレスに身を包み、黄金のブレスレットを肩で飾らせている彼女は、自分の数十倍も裕福な家庭で育ったに違いない。もしかしたら、とても高貴な身の上なのかもしれないのだ。この人は僕のことなんて覚えていないのかもしれない。第一、自分は彼女の名前すら知らないじゃないか。
     迷いが下から上に登りつめて行く。困惑が頭のてっぺんから噴火しようとした時、リュカは無理やり唇の封印を解いた。


    「君の犬かい? かわいいね」
     言い終えてから、リュカは思いっきり後悔した。
     何も彼は逃避からこのような言葉を言ったわけではなかった。高熱にうなされていた自分を徹夜で看病してくれた彼女に、前々から一言礼を述べておきたかったのだ。ある意味律儀なリュカは、こんなタイセツな場面で自分流の礼儀作法にのっとった行動を取ってしまった。
    (ああ、何を言ってるんだ。僕はっ!)
     穴があったら入りたい。入って、こんなことしか思い浮かばない自分の頭を何度もポカポカ叩いてやりたい。そんな衝動にリュカはかられた。
     しかし、それに対する彼女の反応は、意外なものだった。
    「ふふっ」
     フローラが笑顔を浮かべた。それはまるで、蕾が白薔薇になる瞬間のようだった。
     フローラはクスクスと鈴を鳴らすような可愛らしい声をし続けた。そんな彼女を、リュカはぽかんとした表情で見つめている。
    「あっ、ごめんなさいっ」
     笑いが急に途絶えた。フローラがはっと自分の唇に手を添えたのだ。
    「私、なんてはしたないことを」
    「いいよ。気にしなくて」
    「ありがとうございます。リュカさん」
     リュカさん。
     自分の名前が、彼女の唇から紡がれるとは、リュカは予想もしていなかった。
     知っていた。覚えていてくれた。
     それだけで、リュカの胸は一杯だった。
    「覚えていてくれたんだね。嬉しいよ」
     自然に、リュカは語っていた。
     まるでせき止められていた川に水門が開かれ、水が勢い良く流れ出したかのように。
    「会って、お礼がいいたかった。あなたは僕の命の恩人だ。あなたは、高熱を出して死にそうだった僕を、必死で看病してくれた」
     その時、フローラの目が張り、すぐに潤みだした。
    「あなたのおかげで、僕は今ここに立っている。生きているんです。すべて、あなたのおかげだ。けど……」
     リュカは言葉を飲み込んだ。だが、封印しかけた続きを語り始める。
    「……僕はあなたの名前も知らない」
     言い終えてから、リュカは目の前が真っ暗になる思いがした。まるで奈落の底に落ちているような脱力感を覚える。
    「フローラ」
    「えっ」
     リュカは顔を上げた。彼女……フローラは、静かに自分の方に歩み寄り、彼の手を取った。フローラの白魚のような手が、自分のがさがさした手を優しく包み込んでいる。
     リュカは、ほっとする思いがした。
    「私の名前は、フローラです。リュカさん」



     リュカはフローラと一緒に宿屋へと入っていった。
     ベッドの上で寛いでいたヘンリーは、自分とマリアの命の恩人を見るなり眼をぱちくりさせたが、やがて屈託のない笑みを浮かべて彼女を迎えた。
    「この場にマリアさんがいれば、完璧だったんだけどな」
     ヘンリーは窓の向こうを見つめながら、そう呟いた。
     いくら心と心が繋がりあっているとはいえ、会えないのはさびしい。無理にでもついてきてくれたヘンリーに対して、リュカは居た堪れない気持ちになった。
     ごめんね、ヘンリー。リュカは窓枠に頬杖をつく親友の背中に、感謝の眼差しを贈った。
    「ラインハットでのリュカさん達の名声は、私の耳にも届いていますわ。改めて見ると、私すごい方々を助けたのですね」
    「いや、それほどでも」
     やんわりとした褒め言葉に、リュカは照れくさそうに頭を撫でた。
    「フローラさん。こいつさ、今までずっと君のことを想っていたんだぜ?」
    「えっ?」
    「お、おい、ヘンリーッ!」
     うろたえるリュカを尻目に、ヘンリーはかっかっかと笑う。
     リュカとフローラはあまりの恥ずかしさに口をつぐみ、うつむいてしまう。
     ちらっと、リュカは彼女の顔をのぞき見た。
     同じ仕種をしたフローラとの視線が絡み合う。
    「あっ」
     フローラは頬に手を添えて、小指を甘く噛んだ。
     その可愛らしい仕種に、リュカの胸はドキドキに跳ね上がる。
    「そ、それで、お二人はどうしてこの町に?」
     無理やり笑顔をつくろって、フローラは聞いた。
     なんとか普段の調子を取り戻したリュカは、自分達の経緯を話した。
     母親が魔界に囚われており、助け出すには勇者を探し出さなければならない。そのためには、ルドマンが所有している天空の盾と船がどうしても必要ということを。
    「厚かましい頼みだとは思ってる。けど、僕にとっては自分の命にかえても、なしえなければならないことなんだ。それが、死んだ父さんの望みでもあるから」
    「亡くなられた、お父様の」
     フローラは目を閉じた。
     そして、再び見開く。
    「わかりました」
     フローラはリュカの目を見て、頷いた。
    「私が、父に掛け合ってみますわ」
    「ほ、本当かいっ、フローラさん」
     リュカの目が輝いた。
    「は、はい。私で、良ければ」
    「あ、ありがとうっ!」
     興奮のあまり、リュカはフローラの手を取った。
     じんわりとした汗が、フローラに伝わっていく。ドキリとして、彼女は思わず息を吸った。
    「あ、ご、ごめんっ」
     つい手を握ってしまったことに気付いたリュカは、慌てて腕を引っ込めた。収まる場所を失った彼の両手は、迷子のようにふらふらと宙にただよう。結局背中に手を隠して、リュカははははとやや引きつった笑みを浮かべるのだった。



     フローラは、二人の旅人を連れて自分の屋敷へと戻ってきた。
     もちろん、男達がまだ待機している正面玄関を避けて、建物の裏口へと回る。すぐそばの犬小屋にリリアンをつなぐと、三人は勝手口から屋敷の中へと入っていった。
     奥行きのある通路を進み、金の手すりの階段を上る。一歩一歩前へ踏み出すたびに、リュカは眩いばかりの装飾品や飾り物に目がくらんだ。ラインハットの城にも負けていない豪華さは、一国の王子様さえもつい唾を飲み込んでしまう。
     リュカはふと、表口に並ぶ男達のことを思い浮かべた。
     彼らを見た時、リュカは思わず眉をひそめた。男達の表情は皆、欲望で満ちていた。
     ルドマンの財産と、フローラという名の美女を手に入れるためだけに、連中はこの屋敷の前で行列を作っている。
     先頭を長い髪を優雅に揺らしながら歩くフローラが、欲望の亡者の妻にされる。想像しただけでも、リュカは胸の中心が苦しく締め付けられる想いがした。
     しらずしらずのうちに、リュカは拳を握り締めていた。汗がぽたり、ぽたりと床に落ちる。慌てて、彼は拳を解いて掌を両手でこすった。
     そうこうしている間に、分厚い黒塗りの扉が見えてきた。
    「父の部屋ですわ」
     振り返り、フローラは頷いて見せた。合図を求めているのだろう。リュカとヘンリーはおたがいを見合わせてから、首を縦に振った。
    「お父様、フローラです」
     フローラが、重厚の扉を叩いた。

    「おお、フローラか。入ってきなさい」
     扉の向こうから恰幅の良い声が響く。
     失礼しますとドアの向こうの父にお辞儀をして、フローラはドアノブを回した。
     そこは、以前リュカが過ごした修道院の別室の四倍ほどの広さを持つ書斎だった。そして、本棚に囲まれた丸いテーブルに腰掛けている中年の男こそ、ルドマンだった。
     豪華な衣服を身に纏っているが、逞しすぎる体格のため、腹のあたりが大きく盛り上がっている。よほど苦労もなく、とんとん拍子で財産を盛り上げたおかげで、髪の毛は豊かで白髪など一つも見当たらない。口のあたりに生えたちょび髭が、いかにも大富豪という雰囲気をかもし出している。
     やや垂れ目がちなルドマンの目が、フローラと、二人の見知らぬ若者に向けられた。
    「ん、フローラ。その二人の男はどちら様だ?」
     読んでいた分厚い本を閉じ、カップをテーブルに置くと、ルドマンは巨体を立ち上がらせた。
    「花婿候補の者だったら、玄関で待っているようにと、立て看板に記しておいたはずだが?」
    「違いますわ、お父様。こちらは、リュカさんとヘンリーさんです」
    「お初にお目にかけます、ルドマン殿。ぼく、いや、私はリュカと言います。わけあって、世界を旅して回っている者です」
     一言一言言葉を選びながら、リュカは言った。
    「ふむ、旅人か」
     旅人と聞いて、ルドマンは目を光らせた。そして顎をしゃくりながら、リュカの背格好を足から頭まで見上げた。
     なんだか鑑定されているみたいで、リュカはあまりいい感じはしなかった。
    (身なりは貧しいが、どこか気品を漂わせる青年じゃな。ふむ)
     ぶつぶつと呟くと、ルドマンはわざとらしく咳をした。
    「して、旅人風情がこのわしに何のようじゃ? まさかわしの大事なフローラを嫁にくれということじゃないだろうな?」
    「い、いえっ! 違いますっ!!」
     思わずリュカは声を張り上げてしまった。
    「初対面でありながらお恥ずかしいのですが、ルドマン殿のお力を借りたく、はるばるポートセルミからやってきました」
    「わしの、力じゃと?」
    「はい、お話する前に、これをあなたに見てもらいたい」
     リュカは背負っていた長い包みを取り出し、紐解いた。
     それは、今朝馬車から取ってきた天空の剣だった。
     金でもなく、銀でもない。摩訶不思議な剣の輝きに、ルドマンの双眸が大きく見開いた。
    「こ、これはっ! て、天空の剣ではないかっ! ち、ちょっと見せてもらえんか」
    「どうぞ」
     リュカは天空の剣をルドマンに手渡した。受け取ったルドマンは剣を縦、斜め、横に変えながら、さまざまな角度で伝説の武具を鑑定した。
    「間違いない。本物じゃ。本物の天空の剣じゃ。こ、こいつはたまげた」
     震える手で、ルドマンは天空の剣をリュカに返した。
    「まあ、中に入りたまえ」
     ルドマンはリュカ達を書斎の中央へ招き入れた。
     テーブルには、リュカ、フローラ、ヘンリー、ルドマンが卓を囲むように座る。
    「おぬし、リュカと言ったな。この剣をどこで手に入れたのだ? まさか、盗んだのではあるまいな?」
    「ち、違いますよ。これは、私の父が旅先で探し出したものです。それが、何か?」
    「うむ。知ってのとおり、わしの祖先は武器商人トルネコじゃ。数千年の昔、魔族の長を倒した勇者は、天空の武具をトルネコに預けた。そして、わしの家には代々、天空の盾が家宝として存在してきたのじゃ。ところで、お主はなぜこの天空の剣を?」
    「はい」
     リュカは語った。母のことを、死んだ父のことを。そして、さだめの勇者のことを。
    「…………」
     ルドマンは神妙そうに髭をしゃくった。
    「はい。母を助け出すには、どうしても勇者と、天空の武具が必要なんです!」
    「なるほど。おぬしの頼みはよくわかった」
    「それじゃあ」
    「しかし、始めに言っておくが、天空の盾をやるわけにはいかん」
    「えっ……!」
     リュカは息を呑んだ。
    「天空の盾は我がシェリル家の家宝じゃ。おいそれと他人に手渡せるものではない。それに、すまないが、わしは君を信用してはいない」
    「そんな……」
     リュカは口篭もる。彼の目に、失望の二文字が小刻みに揺れていた。これが、あのトルネコの子孫なのだろうか。かつて、正の商人と言われていたこと自体、もう信じられない。
    「ルドマン殿」
     声を発せられないでいるリュカをかばうかのように、ヘンリーが踊り出た。
    「ん、おぬしは?」
    「私はラインハット王国第一王子、ヘンリーと申します」
    「むっ」
     ルドマンは片眉を引きつらせた。
    「そうか。聞いたことがあるぞ。はるか北の王国で第一王子が行方不明となったが、一年前無事に帰還した、と。そうか、あなた様がそうか」
    「ルドマン殿、ラインハット王子ヘンリーとして頼みます。私の友に、あなたのお力を貸して頂きたい」
    「ほう。ですが、あなたがラインハットの王子という証拠はありますかな?」
    「……そ、それは」
    「……ふっ、どうやら、仮面は割れたようですな」
     ルドマンは席を立った。
    「こうみえてもわしは忙しい身なのでね。これで失礼するよ」
     その時、彼とリュカの間から割って入ってきた人影がいた。
    「お父様、私からもお願いします!」
     フローラが父の大きな手を取って、まっすぐな眼差しで訴えた。
    「天空の盾は勇者様の盾なのでしょう? なら、後生大事に持っているより、人助けのためになるのならば、リュカさんにお貸しするべきです!」
    「フローラ……」
    「おとうさまっ! おとうさまはそれでもかつてのトルネコの末裔なのですか! 昔のお父さまなら……」
    「フローラ、いつからそのような口を叩けるようになった?」
    「……っ」
     フローラの肩が、びくっと震え上がったのを、リュカは見逃さなかった。
    「それに、なぜお前は、この男に肩入れするのだ?」
    「そ、それは……」
    「まあよい。リュカ殿、お主の気持ちはわからんでもないが、わしとしても、大事な家宝と船をおいそれと渡すわけにはいかん。しかし、じゃ」
    「えっ?」
    「何も君の進むべき道を閉ざすつもりはないのでな。チャンスをやろう」
    「ほ、本当ですかっ!」
    「本当だとも、ただし、条件がある。その条件とはな……」
     それを聞いた次の瞬間、リュカの表情は凍りついた。
    「どうだ、悪い条件ではないだろう? わしは知的で勇気のある若者ならば、大歓迎じゃぞ。のう、フローラや」
    「なっ……」
     リュカは信じられないといった表情で、ルドマンを見た。
    「……あなたは、自分の言っている意味がわかっていっているんですか」
     リュカの声は、怒りに震えていた。
    「……それが、それが実の父親のいうことですか!」
    「……このわしに意見するじゃと?」
    「えぇ、いわせてもらいます!」
    「やめてください! リュカさん」
     フローラが止めるが、リュカは構わず叫ぶ。
    「あなたは、一階にいる人たちの顔を見たことがありますか! 皆、あなたの財産が目当てで……このフローラさんのことなど、少しも想ってはいない! そんな男達に、あなたは娘さんを……!」
    「うるさいっ!」
     恫喝に近いルドマンの激昂に、リュカは言葉を失った。
    「うるさいっ! うるさいっ! 貴様などになにがわかる!? でていけ、いますぐここからでていけっ!!」





     屋敷の外で、リュカは黄昏ていた。
     玄関先には未だに花婿候補の長蛇の列が続いている。
    (なんて人だ。あれでも、本当に父親なのか……)
     リュカは明らかにルドマンに対して嫌悪感を抱いていた。
    (僕にあの列に加われっていうのか)
     塀に寄りかかって、リュカは頭を深くうなだれる。
    「リュカ……」
     親友の隣で立っているヘンリーも、どう親友に声をかけていいのか、わからない。
    「ヘンリー、僕は、どうすればいいんだ」
     視線を土に向けたまま、リュカは呟いた。
    「わるいな、リュカ。俺がいたらないばっかりに」
    「ヘンリーのせいじゃないよ」
     リュカは顔を上げた。弱々しい笑みを浮かべて首を横に振る。そんな表情を浮かべる彼を見るたびに、ヘンリーは胸のあたりが渦巻く感じがした。
    「ちっ、好きになれないな。なんで金持ちっていう種類の人間は、みんなああなんだ」
    「ヘンリー」
    「子供のことなどちっとも考えない。頭の中にあるのは、自分の富と名誉のことだけなんだよ」
    「それは違います」
     燐と、透き通った声が響く。
     二人は驚いて声の向こうを振り向いた。そこには、フローラが佇んでいた。
    「お父様はそんな人ではありません。お父様は、私の将来のために、このようなことをしたのだと思います」
    「フローラさん。君は、それでいいのか?」
     ついヘンリーの声のトーンが上がった。だが、彼はそれすら気付かず、ずいっとフローラに向けて一歩踏み出した。
    「いくら名家の家柄に生まれたからって、父親の決めた路線をそのまま歩むだけの人生を、君は望んでいるのか?」
    「そ、それは……」
     フローラは顔をそむけた。
     真剣なヘンリーの表情を、リュカは静かに見据えていた。
     ラインハット第一王子だったヘンリーだからこそ、フローラの気持ちは誰よりも強くわかっている。だから、彼は言わずにはいれなかった。
    「俺はそんな人生、望まない。俺は、ラインハット王子ヘンリー以前に、一人の男のヘンリーだ。君だってそうだろ? 君は……」
     ヘンリーの声が、この一瞬において高まった。
    「好きでもない男と結婚したいのか!」
     びくっ。フローラの全身が、雷に打たれたかのように痙攣した。
     それはまるで、杭が胸に深々と突き刺さったかのような反応だった。
     フローラの呼吸が、一瞬とまる。再び息を吹き返したとき、彼女がこぼしたのは薄水色の雫だった。
     水滴が、音もなく大地に落ち、消える。
     しまった。ヘンリーは言葉を続けようとした。しかし、頭の中は白夜と化している。
     彼らの目の前で、フローラはきびすを返した。走り去った後には、涙の後だけが残っていた。
    「フ、フローラさん!」
    「いくな!」
     追いかけようとしたリュカの手を、ヘンリーは強く掴んだ。
    「で、でも」
    「今の彼女に、生半可な優しさは逆効果だ。リュカ、甘さと優しさっていうのは、違うんだよ」
     振り返るヘンリーの横顔は、大泣きした後のように、歪んでいた。
    「優しいってことはな、そいつの全てを受け入れる覚悟のある者のことだ。その場限りの優しさは、『優しい』とは言わないんだよ……リュカ。お前は、彼女の全てを包んでやることができるのか?」
     リュカは口をつぐんだ。力なく立ち尽くす彼らを尻目に、ルドマン家の屋敷の扉が重い音を立てて開きはじけた。
     行列が屋敷の中へと消えた。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返る。
     リュカは、まだ佇んでいた。


    「さて、これからどうするよ。リュカ?」
     フローラと別れ、サラボナの噴水広場まできたリュカに、ヘンリーは尋ねた。
    「……天空の盾は、諦めるしかないかな」
    「……そうだなぁ。まさか、盗みに入るわけにもいかんしなぁ」
    「当たり前だよ。そんなことしたら、あのフローラさんに迷惑がかかる」
    「……今頃、フローラさん、どうしているかなぁ」
     ぽつっ、とヘンリーは言葉を洩らす。
     今頃、ルドマンは花婿候補達を相手に何を話しているのだろう。
     気になったが、リュカはその考えをかき消した。自分には、関係のないことだ。
     だが、あの可憐なフローラが権力のことしか考えない男達のものになるかと思うと、胸の奥が苦しくなってくる。
     そんな時だった。
    「あの、すみません」
     彼らの背後から、聞き覚えのない女性の声がした。
    「フローラ様が修道院にいた頃、お世話になった方、ですよね」
     見知らぬ女性から呼ばれて、リュカは声のする方を振り向く。
     目の前に立っていたのは、メイド風の服を着た二十代前半の女性だった。背は女性にしては高いが、手足はか細く、長い栗色の髪は風に舞うスカーフのように波立っている。控えめな水色の目をした、どこか大人しそうな女性だった。
    「あなたは、どうして、そのことを?」
    「それは、あなたのことをよく、お嬢様が話していましたから」
    「えっ」
     少しだけ驚いて、リュカが唇を開く。
     すると、少女は弦が張ったようにリュカにすがった。
    「お願いです! お嬢様を、フローラ様を救ってあげてくださいっ!!」
     その瞳には、うっすらと涙がにじんでいた。
    「す、救うって」
     リュカはしどろもどろに言葉を濁す。
    「まあ、とりあえず落ち着いて」
     ヘンリーが間に入った。彼がハンカチを差し出すと、メイドはすみませんと頭を下げ、涙を拭いた。
    「申し遅れました。私の名前はクレア。小さい頃からルドマン様のお屋敷でご奉公させてもらっている者です。フローラお嬢様には、私がルドマン様のお屋敷に入った頃から、優しくさせてもらいました」
    「そうか、それで」
     ヘンリーは納得するように頷く。
    「お嬢様は、修道院に帰られてからも、あなたのことをひと時も忘れてはいませんでした。もう二度と会えないのかと、胸を痛めていました。私には、あの方が不憫で、ならないのですっ」
     嗚咽を上げながらクレアは、再び溢れ出した涙をハンカチで拭う。
    「このままでは、フローラ様は好きでもない殿方と夫婦の契りを交わすことになってしまいます。女にとって、結婚は一生に一度のことなのに……」
    「それで君は、居た堪れなくなってリュカに近づいたのか」
    「無理は承知だと知っています。使用人としての立場をわきまえない行為ということもわかっています。ですが、このままではあまりにもお嬢様がかわいそうでっ……」
     クレアはもう言葉を続けることができなかった。手で閉ざした口から、嗚咽が洩れる。
    「お願いです。リュカ様。お嬢様を救ってください。このままでは、お嬢様は、お嬢様は……」
    「クレアさん」
     そこで、リュカは再び口をつぐむ。だが、数秒の後、決意したかのように目をまっすぐ彼女に向けた。
    「それで、僕はどうすればいいんです?」
    「リュカ様……!」
     クレアは、涙目でリュカの両手を取り、何度も何度も礼を言った。





     リュカがルドマン邸に駆け入ると、すでに最後の列の人が大リビングに入れられていた。行列を捌いて来たメイドらしき女性が、駆け込んできた青年に気付く。
    「お嬢様の花婿候補の方ですか」
    「え……あ、いや」
     思わず、リュカはどもってしまったが、やがて、異を決して
    「はい」
     と頷いた。
    「それでは、中へお入りください。もうじき、ルドマンさまがいらっしゃいますから」
     そういって、リュカは大リビングの中へと案内される。
     それから、しばらくして……
    「みなさま、ルドマン様のご登場です。お静かにお願いします」
     先ほど、リュカを案内したメイドがそう言い、出入り口の前に立つ。
     それに少し遅れ、ステージから、恰幅の良い中年の紳士が現われる。
     間違いない、あのルドマンだった。
    「ようこそ、諸君。私がルドマン・シェリルだ」
     張りのある声がリビング中に響く。ルドマンはちらりと軽く辺りを見回した。
     リュカは一瞬ドキッとしたが、ルドマンは彼には気付かず、話を続けた。
    「今日ははるばる遠いところから良く来てくれた。諸君らも知っての通り、儂の一人娘フローラ・シェリルは十七。妙齢じゃ。そろそろ、儂も隠居し、娘と、その婿に家業を任せようと思っておる。そこで、儂はお触れを出した。フローラの花婿を、全国から募ったのだ。もちろん……」
     ごほんと、ルドマンはわざと咳をする。
    「儂はどこの馬の骨もしらんような奴に、大事な一人娘をやろうとは思わん」
     シーンと、人々は静まり返った。皆、固唾を飲んで次の言葉を待ちわびる。
    「儂の娘の花婿に相応しい男は、知恵と勇気に溢れた者のみ。そこで、儂は諸君らに二つの試練を出させてもらう」
     ルドマンは太く短い手を花婿候補達の前に突き出し、二本の指を立てた。
    「まずは一つ」
     ルドマンは、一本の指を折る。
    「ここから南の山に、死の火山と呼ばれる活火山がある。そこのマグマ吹き荒れる洞窟の中に入り、奥に眠っている炎のリングを取ってきてもらいたい」
     途端に、花婿候補達の間にざわめきがどよめいた。
    「お静かにお願いしますっ」
     メイドが声を立て、ようやく静まり返る。
    「この死の火山から見事炎のリングを取ってきた者のみに、二つ目の試練の内容を教える。見事二つ目の試練も乗り越えた者が、フローラの婿となるのだ」
     残った指を折り、ルドマンは口を閉ざす。
     人々の大半は、青ざめた顔をしていた。
     無理もない。死の火山はマグマが吹き荒れ、強力な魔物が出没する、文字通り入ったら最後、死が待っているダンジョンだ。その火山の奥にはたくさんの財宝が眠っているというウワサを聞きつけ、今まで何人もの旅人が死の火山に挑んだが、帰ってきたものはいなかった。
     それ以来、死の火山に近づこうとするものは皆無だった。「死の火山、入ったら最後、骨まで溶かされ、魂をも焼き消される」という歌を、この辺りの子供は皆聞かされて育つ。
     死の火山への恐怖心は、誰もが子供の頃に植え付けられていた。
     人々の中にはガチガチと歯を震わせている者もいる。
     例外はただ一人、リュカだけだった。
     彼は死の火山なんて元々知らないし、今までたくさんの洞窟、迷宮を旅してきたから、その分神経が太くなっていた。ルドマンの語りに、さすがのリュカも眉をひそめたが、怖いとは思わなかった。
    「それでは」
     ルドマンがきびすを返した、その時だった。
    「待ってくださいっ! お父様っ!」
     声はリュカ達が入ってきた出入り口から聞こえてきた。
    「お、お待ちください、お嬢様っ」
     メイドが止めるのも聞かずに、少女は部屋へと駆け込んできた。
    「フローラ! お前は部屋にいろといっておいたはずだぞ」
    「ごめんなさい、お父様。でも」
     フローラは集まった人々に手を広げて、うったえた。
    「私は、私は……」
     震える唇をかみ締め、フローラは顔を上げた。
    「私は、私の好きになる人物は、私自身で決めたいのです!」
     その言葉に、その場にいた者全員が静まり返った。
    (フローラさん)
     黙りこくる一同の中、リュカだけは、胸が温かくなっていくのを感じていた。
    (いえたんだね、フローラさん)
     あれだけ、迷っていたフローラが今、迷いを吹っ切った表情を浮かべている。
     自分の気持ちを素直に伝えたフローラが、リュカの目には眩しく移った。
     だが。
    「フローラ、お前は黙っておれ」
     ルドマンは冷たく、フローラの意見をはねのけた。彼女の目が、とたんに悲しみに揺れる。だが、フローラは小さな拳を必死に握り締めた。決して、彼女は俯かなかった。
    「いいえ。お父様。今までお父様には数え切れないほど良くしてもらっていました。そのことを、フローラは、決して忘れません」
     咳を切ったように、フローラは言った。普段の彼女からは、考えられないほど凛と通った声だ。なぜか、その言葉に、リュカは胸が締め付けられる思いがした。ぎゅっと、握りこぶしを胸に添え、必死に訴えかけているフローラの姿が、どこか、悲しげだった。
    「ですが、こればかりは、こればかりは、私の意見を汲んで下さい。お父様」
    「フローラ……」
     さすがのルドマンも、瞳が揺らいだ。だが、彼はぶるぶると首を乱暴に振るう。
    「だめだだめだ。そんな我がままは通せん!」
    「お父様っ!」
    「フローラ、一体誰のおかげでそこまで大きく育てられたかと思っておるのだ!」
     その言葉が、容赦なくフローラの胸に突き刺さった。
     愕然と、彼女は凝固した目をルドマンに向けた。
     薄桃色の唇が悲しみでわなわなと震える。
     フローラは、震えたまま、立ちすくんでいた。泣きはしない。ただ、瞳から涙をこぼすだけ。
     その悲しみの雫に、ルドマンははっと現実に引き戻された。
     しまったと、その表情は物語っていた。
    「ご、ごめん、なさい」
     拳をほどき、フローラが両目を覆う。泣き顔を、見られないために。
    「出すぎた、真似でした」
    「っ!」
     いたたまれず、リュカが彼女に駆け寄ろうとした、その時だった。
    「フローラッ!」
     別の声が、再び入り口から響く。
     その若い男の声に、リュカの足はぴたりと止まった。
     駆け込んできたのは、金髪碧眼の、華奢な若者だった。
    「ア、アンディ」
     フローラが、幼なじみを見て、驚きを隠せないでいた。
    「どうして、あなたが、ここに」
    「それは、決まってるじゃないか。フローラ。僕が想うのはこの世でただ一人、君だけだ」
     フローラが、息を呑んだ。
     アンディは彼女の前に立つと、すっとまっすぐな瞳をルドマンに向けた。
    「アンディ。フローラの幼なじみか。お前も儂の娘に気があったとはな」
    「ルドマン。僕は、あなたの娘を心から愛しています。フローラのためだったら、どんな試練でも乗り越えてみせます」
    「ほう、言ったな。それがたとえ、死の火山でもか」
    「はいっ」
     その声は、少しも臆していなかった。
    「やめて、やめて、アンディッ!」
     フローラは髪を乱しながら、アンディの前に立ち塞がった。
    「死にに行くようなものだわ!」
     そして、今度は集まった人々に顔を向ける。
    「皆様も聞いてください。死の火山は、とても恐ろしいところです。私なんかのために、命を無駄にするようなことだけは、しないでください」
     フローラは、客人全員を見つめた。
     そして、彼女の目は、紫色のターバンをした青年を捕らえる。
    「……!」
     フローラの心臓が、一気に跳ね上がった。
    「ど、どうして」
     乾ききった喉で、その言葉だけを、口にする。
     だが、ルドマンも、アンディも彼女の言葉には気にもとめなかった。

     こうして、この日の会合は終わったのだった。

    コメント
    少年時代は書かないのですか?
    • 通りすがり
    • 2016.05.18 Wednesday 22:19
    今のところその予定はないですね。
    • 藤枝たろ
    • 2016.05.19 Thursday 19:54
    コメントする








     
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