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2010.03.22 Monday

 反竜伝記 第三部 第四話 枯れた勇者

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    反竜伝記 第三部 第四話 枯れた勇者 
     
     反竜伝記 第三部 第四話 枯れた勇者


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    「……どこから、話せばよいものでしょうか」
     フローラはあきらめの表情を浮かべていた。全身の力は抜け、剣を手にした手はだらんと垂れている。彼女にはもう、真実を隠し通そうとそる意志はなかった。
    「マーリンの仰るとおり、私の前世での名は、エルフォーシア・グレンゾーン。数千年前に、魔族との戦いで魔王と相打ちとなり死んだ、天空の勇者と呼ばれる者です」
    「……なんていうことだ」
     息を吐き出すように、ピエールは言う。
    「し、しかし、初めて会った頃のあなたは、そんなことは微塵も感じさせなかったのに」
    「五年前の、レヌールでの光の教団との戦いを覚えていますか?」
    「……あぁ、覚えておるよ」
     と、マーリン。
    「あの時は大変じゃった。おぬしはさらわれるわ、リュカとは離れ離れになるわ……結局、わしらが駆けつけた頃には、光の教団の連中の姿はどこにもなく、後に残っておったのは、傷つき、倒れていたお前とリュカだけじゃった」
    「あの時です。私は、リュカさんが魔物の手で倒されるのを見て、我を忘れて、無意識のうちに、自分の中に封じ込めていた力を覚醒させてしまった。そして、私は取り戻してしまった。エルフォーシアとしての能力と記憶を」
    「……その時から、あなたは一人、ずっと真実を隠していたのですか」
    「ピエール。フローラを責めてはいかん。この子とて、平気なはずがなかろう。ずっと、苦しんでいたのじゃ」
    「しかし、天空の剣を抜くことができた。あなたは、勇者なのでしょう? なぜ、隠していたのです」
    「……確かに」
     フローラは、一度剣を納めると、再び、それを引き抜いた。
    「天空の剣を抜くことはできる。でも、それだけ」
    「それだけ?」
    「見ていてください」
     そういうと、フローラは静かに息を吸い込んだ。そして、精神を集中し始める。
     彼女の身体から、白いオーラが浮き出た。そして、それに呼応するかのように、天空の剣のぼんやりとした光を放ち始める。
    「天空の剣が……」
    「…………」
     それを見たマーリンが、一人眉間に皺を寄せ、難しそうな表情を浮かべる。
    「……くっ」
     フローラは歯を食いしばった。さらに力を引き出そうとする。だが、天空の剣の輝きは、それ以上のものにはならなかった。やがて、光は萎むように弱まっていき、次第に完全に消えてしまった。
    「か、輝きが、消えた」
    「うっ……」
     フローラはがくん、と膝を折った。その顔には、大量の汗が浮き出る。
    「フ、フローラ!」
     慌てて、ピエールが彼女に近寄る。それを手で制して、彼女は自力で起き上がった。天空の剣を杖のようにして。
    「……これが天空の勇者の力か」
     マーリンの声には、落胆の色がにじみ出ていた。
    「……ピエール。これを見たおぬしもわかるじゃろう」
    「……え、ええ」
     ピエールも、ショックを隠しきれない様子だった。
    「……申し訳ない、フローラ。私は、もっと貴方の身になって考えるべきだった。あなたが勇者とばかり思って、勝手なことを口走ってしまった。本当に、申し訳ない」
    「いいえ。いいのです。ピエール。あなたはリュカさんの仲間。勇者であることを隠していた私に対して、憤りを覚えるのは当然のことなのですから」
    「……フローラ」
    「……しかし、おぬしの気持ちもわかる。失礼じゃが、この程度の力では、到底、あのゲマや光の教団の魔族どもに打ち勝つことはできぬ。たとえ、天空の装備に身を固めていようとな。おぬしのことじゃ、ヘタにリュカに感づかれて、期待を裏切るような結果にだけは、させたくはなかったのじゃろう」
    「……」
     フローラは何もいわない。ただ、俯くだけだ。しかし、その悔しそうな表情から、図星であることは間違いなかった。
    「しかし、やってみないことには」
     落ち込むフローラを見ていられず、ピエールはマーリンとの間に割り込んで、かばうような台詞を言ってしまう。
    「いいのです。ピエール」
     そんな彼の心遣いをありがたいと感じながらも、フローラはゆっくりと首を左右に振った。
    「ギガデインもミナデインも使えず、天空の武具の潜在的なパワーも引き出せない……私はすでに枯れた勇者なのです」
    「フローラ……くっ」
     ピエールは悔しそうに唇を噛みしめた。なぜ、神はこの方に半端な力しか授けてくれなかったのだろう。この時ばかりは、彼は天空神のきまぐれを恨めしく思った。
    「……ピエール、マーリン。このことは、あなた達だけの胸に留めておいてください」
    「フローラ」
     ピエールは困った顔をしてマーリンを見た。彼としても、これ以上フローラに強い口調で言うことはできない。
     年老いた魔法使いはため息と共に口を開いた。
    「……わかった。ここで見たことは、全て、わしらとおぬしだけの秘密じゃ」
    「……ありがとう」
    「じゃがな。フローラ。わしらが気付いたほどじゃ。いずれ、リュカも気付く。その時、傷付くのはリュカなんじゃ。だから、なるべく早く、全てを打ち明けたほうがいい」
    「マーリンの言う通りですよ」
     ピエールはそっと、フローラの肩に手を置いた。
    「リュカは、そのことであなたを責めたりはしませんから。そんな人ではないことは、あなたが一番、よく知っているでしょう?」
    「……ええ。ええ、そうね。ピエール」
     知らず知らずの間に、フローラの目には涙が溜まっていた。彼女は、目じりに溜まった熱いものを指でそっと拭う。それを見たピエールは、彼女にそっと、ハンカチを手渡した。それが、彼なりの、謝罪の気持ちの表れだったのだろう。フローラは、喜んでそれを受け取り、使わせてもらった。
    「……それにしても、フローラがいう、時代が求めし真の勇者とは、いったい、どこにおるのじゃろう」
     マーリンは、先ほどフローラが呟いた言葉を思い出した。あの時見せた彼女の辛そうな表情は、いまだに記憶のフィルムに焼き付いている。
    「……あてが、ないわけでもないのです」
     と、フローラが、ぽつり、と言葉を洩らす。
    「えっ?」
     マーリンとピエールの二人が、いっせいに彼女を見る。
    「本来、天空の勇者とは、同じ時代に二人と存在しないものなのです。それなのに、私という、勇者の成れの果てが再びこの現世に蘇ったということは、考えられるのは、一つしかないのです」
    「……い、いったい、どういうことなのですか」
     ピエールは、額に汗を浮かべる。
    「……ふぅむ」
     マーリンは顎をしゃくった。
    「わしが聞いた話によると、天空の勇者は代々、グレンゾーンの姓を名乗っていたと聞く。グレンゾーンとは、天空人たちの言葉で、『神の因子』という意味らしいな。因子……つまり、勇者は血統を持って受け継がれるということじゃ。親が子に、子が、また子に……といったようにな」
    「ですが、フローラ……いや、エルフォーシアは、デスピサロ……魔王との戦いで、死んでしまった」
    「うむ、勇者の血が、途絶えたということじゃ。そして、わしがしるところ、この数千年の間、天空の勇者は一度も現れてはおらん。フローラ。かつての勇者の生まれ変わりである、おぬしに会うまではな」
    「ちょ、ちょっと、まってください」
     ピエールは焦り気味に会話に割り込んだ。
    「エルフォーシアは、子供を産まずに死んだのでしょう? 跡継ぎがいないのなら……そ、それなら、天空の勇者は、もう二度とこの世に生まれない、ってことじゃないですか!?」
    「そうじゃな。普通ではな。じゃが、今こうして、天空の勇者エルフォーシアがいる。数千年の時を越えて、生まれ変わってきた……な」
    (……おそらく)
     フローラは、一人心の奥底で呟いた。
    (……私がこうして、ここに存在しているのは、決して、偶然ではない。霊界で眠りについていた私の魂を呼び出し、赤子に転移させるほどの力を持ったものは、神以外にいない……)
    「生まれ変わったフローラには天空の勇者としての能力はほとんど失われてしまった。じゃが、その子供まで、勇者としての力がないとは、きまったわけではないじゃろう」



    「……!!」



     この時ほど、ピエールの顔にはっきりと驚きの色が露になったことはなかった。
    「ちょ、ちょっとまってください。マーリン。あなた、自分の言っていることがわかって言っているのですか」
    「あぁ、わかっておるよ。じゃが、こうとしか、フローラがこの時代にいる必然性が思い浮かばん。いやなことをいうようじゃが、彼女は、真の勇者を産み出すがために、天が遣わしたとしか考えられん。そう、ロムか、フィア。二人のうちの誰かが……」
    「そんな、あんまりだ!」
     ピエールは、壁に手をたたきつけた。
    「あの二人のうちの一人が、天空の勇者だというのですか、あなたは」
    「……そうとしか、考えられぬ」
     マーリンも顔を伏せていう。
    「冗談じゃない!」
     ピエールは叫ぶ。
    「……わたしは、あの子達と接した時間は、ほんのわずかしかありません。ですが、あの子達は、争いを好まない、純粋で無垢な、いい子なんです。ロムは、父のために剣を習う、健気な子なんですよ!」
    「フィアだってそうじゃ!」
    「そんな、そんなあの子たちを、ただ勇者だからといって、戦いに駆り立てるわけには……!!」
     言いかけて、ピエールははっとなった。そして、激しく自分を呪った。
    (わたしは、さっきはあんなに天空の勇者のことでフローラを責めていたというのに……)
     ピエールは今になって、ようやくわかった。フローラの抱える悩みは、自分が想像していたものよりも、ずっと深刻で、重いものだということを。
     リュカの母マーサを救うには、天空の勇者しかいない。それはフローラだってわかっているのだ。だが、そのために、自分の息子を死地に追い遣るような真似が、許されるはずがない。
    「……フローラ。このことは、ロムとフィアには」
    「……もちろん、言ってもいませんし、あの子達自身、知らないでしょう。それに、私は、たとえあの子達のどちらかが勇者であると知っていても、そのことを話したりはしません。あの子たちの母親として」
     それだけは、きっぱりと、フローラは言い切った。
    「……それに、勇者だということを知らなければ、ロムもフィアも、早死にをせずに済むのです」
    「ど、どういうことじゃ?」
    「は、早死にって……」
    「マーリン。あなたが知る歴代の天空の勇者で、一人でも二十歳まで生きた人間がいますか?」
    「…………!」
     その時だった。
    「おーい」
     突然、聞き覚えのある声が後ろから響いてきた。
     フローラは、慌てて天空の剣を後ろに隠した。そのすぐあとに、リュカが駆け寄ってきた。
     彼は鋼の剣を片手に、まるで警戒するかのように、きょろきょろと辺りを見回しながらやってきた。
    「リュ、リュカ。ど、どうしたのです? このようなところに」
     ピエールの声は、心なしかどもっていた。
    「さっき、すごい音がしたものだからさ。また、魔物がオアシスに入りこんだかもしれないから、様子を見てきてくれって、宿の人に頼まれてね」
    「あ、あぁ、それでしたら、わたしたちが追い払っておきましたよ。ね、マーリン」
    「ん、んん。そうじゃとも、いやぁ、手ごわいヤツじゃった。雷を自在に操る魔物での。そら、ピエールの剣をみてみい、やつの必殺の剣で見事に真っ二つじゃ」
    「本当だ。大丈夫だったか、ピエール」
    「え、ええ、まぁ、なんとか、軽く、背中を打っただけでして、は、ははは」
     折れたままの剣を鞘にもどして、ピエールは笑った。その笑いは、フローラとマーリンがみても、わざとらしかった。
    「それにしても、逃げたのなら、安心だな。おや? どうしたんだい、フローラ」
     リュカは、俯いたまま、微動だにしない我が妻に向かっていった。
    「えっ? あ、そ、その」
    「魔物が現れて、びっくりしたのかな? けど、いつまでもこんなところにいたら、風邪を引くよ。砂漠の夜は冷えるんだから」
     そういって、リュカは自分のマントを広げて、彼女を招き入れた。
     どきっ、とフローラの心臓が高鳴る。
     だが、今はその気遣いが、彼女にとってひどく辛いものだった。
    「さぁ、帰ろう。ロムもフィアも、お母さんが帰ってこないって、心配しているよ?」
    「えぇ……ごめんなさい。あなた」
     重々しい声で言う。
    「ははは、別にいいよ。ちょっと宿を抜け出したくらいだろう? そのくらいで責めやしないさ」
     そういって、リュカはフローラをつれて、先に宿へと戻っていく。
     その後ろ姿を眺めながら、ピエールはやりきれない表情で呟いた。
    「マーリン。いまの、ごめんなさい、は」
    「あぁ、おそらく、別の意味を込めていったのじゃろう」
     マーリンも、深いため息をつかずにはいられなかった。
    「天空の勇者の秘めた力はすさまじい。だが、それは諸刃の剣なのじゃろう。強力な術や技を使うたびに、自分の命を削ることになる」
    「……マーリン。私は、天空の勇者とは、もっとすばらしいものだと思っていましたよ」
     ピエールは項垂れたまま、拳だけをワナワナと小刻みに震わせていた。
    「だが、現実はどうです。魔族の戦うために命を削る勇者なんて……これでは……」
     怒りのボルテージが臨界点を突破した。ピエールは固く握りしめた拳を壁に叩きつける。
     レンガは砕かれ、彼の手も皮膚が裂け、血があふれ出す。
    「……これでは、まるで兵器と同じじゃないか」
     



     翌日、リュカ達は砂漠のオアシスを経ち、再びテルパドールへ向けて旅立った。
     ピエールもマーリンも、もうフローラに対して疑いの目線を投げかけることはなくなった。彼女も何事もなかったかのように、夫の横を歩いている。
    「しかし、辛いですな」
     夫婦から少し離れて、ピエールがマーリンに耳打ちする。
    「リュカの知らない秘密を知ってしまったことがか?」
     と、マーリン。
    「えぇ、罪悪感を覚えますよ」
    「しかし、リュカに話すわけにもいかんじゃろう」
    「それは、そうですが」
    「もう、わしらがとやかくいうべきことではない。フローラに任せよう。あの子とて、いつまでも黙って通せるわけにはいかないということは、わかっているはずじゃ」
    「……えぇ」
     ピエールは頷くしかなかった。


     それから数日もたたないうちに、一同は砂漠の真ん中に佇む町を発見した。サラーマと同じ、石作りの家々が立て並ぶ異国の風景。そして、その中でも一際立派にそびえる古城。
     この都こそ、数千年という長い歴史を持つ砂漠の国テルパドールの首都だった。
     

     テルパドールの町は、砂漠のど真ん中にあるとは思えないくらい涼しくて、リュカ達は驚いた。
     メッキーがいうには、すみずみにまで行き渡った水路のおかげなんだという。
    「この砂漠の大地の地下には、広大な地下水脈があってな。そこから水を汲みだして、水路に流しているんだ。おかげで、飲み水や生活用水に困ることはない。砂漠の町とは思えないだろう?」
     メッキーの言う通り、建物の隅を小川のように流れる水路の水は綺麗に透き通り、ヘタな井戸水よりも美味そうだ。
    「このアイディアは、初代女王ミネアが考え出したものなんだ。そう、かつて、天空の勇者と共に魔王と戦った、あの占い師ミネアさ。当時のテルパドールは、数十人の砂漠の民が細々と暮らす、一集落に過ぎなかった。しかも、ミネアがやってきた頃にはオアシスも枯れ、育てていた作物もおしゃかだ。集落は全滅寸前だった。そこを訪れたのが、ミネアさ。彼女は占いで水脈の位置を探り当て、呪文で地面に穴を空けた。そこから大量の水が流れ出したってわけ。この国がこんなに豊かなのも、全て、占い師ミネアのおかげ。ミネアさまさまってことさ」
    「へぇ、感慨深いなぁ」
     メッキーのガイドに、リュカも感心げに頷く。
    「……しかし」
     ピエールが怪訝そうな声で、辺りを見回した。
    「どうも、この国は物々しいな」
     彼の目線の先には、町を警備する兵士がいた。目つきは険しく、ピリピリとした雰囲気を発している。しかも、先ほどからこのような兵士を何人も見かける。
    「そういえば」
     リュカはこの町に入る時、門の前で見張りの兵士に厳しくチェックされたのを思い出した。入国目的や身元の確認、はては所持品の検査までされる始末だ。
    「あの時はやばかったぜ。外見は人間とはほとんど変わらないマーリンならともかく、オレやベスはみたまんま魔物だからな。ヘタすりゃその場で退治されていたよ」
    「ほんと、うまく忍び込めてよかった、だわ」
     ロムの肩の上のベスも、ほっとため息をつく。先ほどから珍しく喋り捲くっているメッキーも、実はマーリンのローブの中に隠れているのだ。
    「メッキー。この国は、以前からこんな感じですの?」
    「いいや。数年前にオレがこの国を訪れた時は、入国審査なんかなかったし、巡回する兵士の数だって今ほどじゃなかった」
    「じゃあどうして」
    「まぁまぁ、気に掛かるのはわかるのじゃが、とりあえず、わしらはお城へいかぬか」
    「そうですわね」
     フローラも同意する。
    「私達の目的は天空の兜がこの国にあるかどうかを確認することなのですから」


     リュカ達は観光もそっちのけで、まっすぐに城門を目指した。
     だが、城の門番の対応は冷たかった。
    「だめだ、だめだ。素性のわからぬ者を城内にいれるわけにはいかん」
    「素性のわからぬ者とは聞き捨てならぬな」
     と、マーリンが門番に詰め寄る。
    「こちらにいるお二人は、テルパドール大陸にも加入店を持つ、あのルドマン商会の創始者ルドマン・シェリルの婿夫婦なのだぞ」
    「ルドマン商会というと、食器や食料といった生活用品から、武器、防具といった装備品まで幅広く事業を展開している、あのルドマン商会か?」
    「そうじゃ」
    「ふーむ。ルドマンの婿夫婦は美男美女というが、なるほど、偽者とも思えぬな」
     門番はリュカとフローラを、とりわけフローラの美貌に視線を奪われていたが、すぐにわざとらしく咳をする。
    「い、いいや、いかんいかん。事前に連絡のある者以外はお通ししてはならぬことになっているのだ。すまぬが、今日のところはお引取り願おうか」
    「そうか。仕方がないな」
     これ以上粘っても、返って印象を悪くするだけだ。そう判断したリュカは、潔くその場を後にすることにした。
    「おとうさん、お腹すいたよ」
     今まで大人のやりくりを黙ってみていたロムが、我慢できずに父のマントの端を引っ張った。
    「ロムったら食いしん坊ね」
     ベスは呆れたが、
    「まぁまぁベス。いいじゃねえか」
     と、マーリンのローブの中でメッキーはいう。
    「昼飯時なのは確かなことなんだしよ。オレがここらで一番美味い砂漠料理の店に案内してやるよ」
    「しょうがないなぁ。ま、あたしもちょっぴり、お腹がすいてきたのは確かなんだけどね」
     そういって、ベスはぺろっと舌を出した。



     メッキーに案内されるがままやってきたのは、『砂漠の鷹』という名の大衆食堂だった。
     建物は石をレンガのように積み上げたような作りで、店としての規模は大きいものの、内装は素朴で質素だ。
     昼時ということもあり、満席を予想していたメッキーだったが、彼の予想は大きく外れていた。
    「こりゃ、閑古鳥が鳴いてるなぁ」
     メッキーがマーリンのマントから顔を出して見渡すが、客の姿は十にも満たない。
    「おかしいなぁ。この前来た時は外にも行列ができていたほどだったんだが」
    「おや、旅人さんかい? めずらしいねぇ」
     カウンターから顔を出したのは、中年くらいの、愛想の良さそうな小太りの男だった。
    「いよう、亭主っ、ひさしぶり」
     がばっ、とマーリンのところからメッキーが飛び出す。
    「おやっ、誰かと思えば、メッキーさんじゃないか。なつかしいねぇ」
    「お、驚かないんですか?」
     亭主のあまりにも普通の反応に、リュカは少々面食らった。
    「えぇ、昔、ちょっとした縁がありましてね」
    「それよりも亭主。この有様はいったいどうしたんだ? 客が全然いないじゃないか。ひょっとして、あんたの料理の腕がにぶったのかい」
    「バカをいわないでおくれよ。『砂漠の鷹』の目玉料理、ケムケムベスの丸焼きは健在さ。でもねぇ……」
     ふぅ、と亭主は頬杖をついてため息をつく。
    「まぁ、立ったままでもなんだ。とにかく席についておくれよ。久方ぶりの旧友との再会を祝して、今日は私のおごりでいいからさ」
     そういって、亭主は調理場へと戻っていった。
     リュカ達が窓際の席で三十分ほど待っていると、
    「やぁ、おまたせ。できたよ」
     そちらを振り向いたリュカ達は、メッキーを除いて揃って絶句した。
     自分の二倍以上の大きさの、まるまると太った肉の塊が、でんっ、とテーブルに置かれる。
     体毛は全て抜かれているが、それは、彼らの見間違いでなければ、間違いなくあの魔獣に他ならない。特有の大きな一つ目も、オリーブ油でカラリとあげたてだ。
    「こ、これは」
     長いこと旅をして、様々な珍品を体験したリュカでさえ、ナイフとフォークを持つ手が止まったままだ。
    「当店自慢のケムケムベスの丸焼きですよ。今日捕らえてきた、新鮮で活きのいいヤツでした」
    「いよっ、待ってました!」
     メッキーは嬉しそうに羽をばたつかせる。
    「やっぱテルパドールへ来たらこれを食べなきゃな! さぁ、みんな、食え食え!」
    「は、はははは……」
     おごりにしてくれた手前、誰も断ることなどできるはずもない。皆、恐る恐るケムケムベスにナイフを入れ、一口大にカットする。だが、それをフォークに刺したまではいいが、肉を口に入れるものは誰一人いない。
    「おいおい、どうしたんだよ。皆。大丈夫だって。毒なんか入ってやしないさ」
     メッキーはそういって、黙々と肉をついばむ。
    「まるで鳥葬を見ているかのよう」
    「ベス、やなこといわないでよ」
     と、ロム。
    「の、のう、ピエール。わしはもう年寄りじゃから、肉はちょっとのう。ということで、わしの分も食ってはくれんかのう」
     そういって、マーリンはささっとピエールに皿を回す。
    「う、うぅ」
     ふと気がつくと、亭主はエプロンの端っこを掴んで、すすり泣いている。
    「せっかく、せっかく、大物を取ってきたのに」
    「は、ははは……」
     硫化の笑いは引きつっていた。さすがに泣かれてしまっては、食べないわけにもいかない。
     リュカ達は涙をのんで珍品を口にした。だが、舌に広がる味は予想していたものとは正反対だった。ジューシーな口当たりと、とろけるような肉の柔らかさ……まさに絶品だった。
    「うまいっ!」
    「えぇ、本当に」
    「お口がとろけそうだよ」
     それからというもの、一行は私語も忘れて食事に没頭した。おかげで、ケムケムベスの丸焼きは三十分とたたないうちに一切れ残さずリュカ達の腹に収まった。
    「おいしかった。ごちそうさま」
     ナイフとフォークを置いて、リュカはナプキンで口元を拭いた。
    「本当。あたし、もうお腹いっぱいよぉ」
     ベスも膨れたお腹を突き出す。
    「なぁ、言ったとおりだろう?」
    「メッキー。疑ってすみません」
     ピエールも申し訳なさそうに頭に手を乗せて謝った。
    「しかし、なおさらこの味で繁盛しないのはおかしいのう」
    「……仕方がないのですよ」
     亭主は力なく首を左右に振った。
    「ケムケムベスの丸焼きは高価ですし、それに、世情が世情なだけにね」
    「世情……?」
    「もうじき、戦争が起きるかもしれないんです」
    「戦争? 戦が始まるというのですか」
     ピエールが身を乗り出してきた。
    「いえいえ、本当に戦争が始まると決まったわけじゃありません。ですがね、最近ここらの領海にしょっちゅう現れるんですよ。エンドール帝国の軍艦がね」
    「エンドール帝国というと、ラインハットと同等の軍事力を持つという、あの国家のことかね?」
     エンドール。千年前……天空の勇者が活躍した時代から続く大国家だ。ほんの二百年前までは争いを好まぬ、平和な国だったのだが、都をセントベレス大陸に移すなり、その態度はころりと変わった。
     自らを王国から帝国と名乗り、圧倒的な軍事力で周辺の国々を侵略し、支配下に置いていった。おかげでセントベレス大陸の周辺の国家は皆、エンドール帝国の領地となり、大陸は統一された。
     そんな過去をもつエンドール帝国だが、セントベレス大陸を統一して以来、侵略の手はぴたりと止んでしまった。その沈黙が現在に至るまで続いていたため、帝国は世界征服を諦めたのだと誰もが思っていた。しかし、どうやらそれは違っているのかもしれない。
    「今は人類同士が戦争をしている場合ではないというのに」
     ため息とともにリュカは呟く。
    「ただでさえ海が荒れ、砂漠には強力な魔物が彷徨いているというのに、今度は戦争でしょう。この首都も寂れていく一方ですよ」
     肩を落として、亭主は再び厨房へと消えていく。
     食後の満腹感もどこかへいってしまい、一同は声も出ず気まずい雰囲気でいると……
    「失礼しますっ」
     突然、慌ただしく一人の女官が店内に飛び込んできた。
     白いフード付きマントを羽織った、二十歳前後の女性である。黒髪に浅黒い肌の、異国の美人だった。
    「わたしは、アイシス女王陛下の側近シルヴィアと申す者。こちらに、リュカ・エルド様はおいでか?」
    「リュカはわたしですが」
     名前を呼ばれ、当人が席を立つ。
    「おぉ、あなたがリュカ様ですか。探しました」
     シルヴィアと名乗る女官は、彼の元に駆け寄った。
    「先ほどは門前払いをしてしまい、申し訳ありませんでした。門番からあなたがたが訪ねてきたことを知り、急いで町中を探し回った次第です」
    「いったいぜんたい、どういう気の変わりようだい?」
     メッキーはうさんくさそうに目を細める。
    「我が女王、アイシス様はかねてよりあなた方を捜していたのです。詳しい話はお城の方で」
     シルヴィアに促されるまま、リュカ達は慌ただしく食堂を後にした。



     城へ引き返してくると、先ほど応対した門番が敬礼を用いて迎えてくれた。数時間前とは雲泥の差に、リュカ達はとまどいを覚えながらも城内へと進む。
     先頭を行くシルヴィアに案内されてたどりついたのは、玉座のある王の間ではなく、地下に作られた庭園だった。
     それはここが砂漠の国だということを忘れさせるほどの清らかな光景だった。敷き詰められた絨毯のような、色鮮やかな花畑。果実を実らせた樹木達。そして、水路を伝って流れる清らかな小川……
    「これはすごい」
     リュカは天井を見上げた。そこには小さな太陽が浮かび、庭園中を明るく照らしていた。
    「レミーラの呪文を封じ込めた球体か」
    「今では失われた魔法技術じゃな。さすがは、ミネアが作った国、というところか」
     マーリンも珍しげにあごをしゃくる。
    「皆様、ようこそいらっしゃいました」
     テラスでお茶をたしなんでいた女性が、リュカ達に気付き、椅子から立ち上がって挨拶をする。
     二十代か三十代か……一目みただけでは、年齢の計りきれないミステリアスな美女である。
    「あなたが、アイシス女王陛下ですね。はじめまして。リュカ・エルドと申します」
     リュカが彼女の元まで歩み寄り、頭を下げる。
    「お会いするのを楽しみにしていましたわ」
     アイシスは笑顔で手を差し伸べてくる。軽い握手の後、リュカは訪ねた。
    「アイシス女王。あなたは私を捜していたと聞きましたが」
    「えぇ」
    「失礼ですが、いったいどこで、私のことを?」
    「アイシス様には、未来を予知する力があるのです」
     女王の隣に立ち、シルヴィアが変わりに答えた。
    「予知?」
     予想外の答えに、リュカは目を丸くする。
    「私は、ある時夢を見ました。リュカ・エルド。あなたの夢です」
     淡々と女王は話し始めた。
    「私は夢の中で、あなたが生まれてから大人になっていくまでの、その過程の一部始終を見てきました。私は知っています。あなたがなぜ、天空の勇者を求めているのかも。それは全て、あなたのお母さまを助け出すため。そうですね」
    「えぇ。確かに僕は、魔界に捕らわれた母を救うために、天空の勇者を捜しています。そして、天空の武具も。私はこれまでの旅で、天空の剣と盾を手に入れました。しかし、天空の鎧は、光の教団を名乗る悪しき者の手に渡ってしまいました」
    「そうですか。魔族達の手に、あれが渡ってしまったのですね」
    「アイシス様は、光の教団の裏に魔族が絡んでいるのをご存じなのですか」
     驚くリュカに、アイシスは頷いて見せた。
    「私は毎日のように感じていますよ。北のセントベレス山から発せられる悪しきオーラを。あれは、人間のものではない」
     魔族のことを語る時のアイシスの表情は、心なしか険しい。
    「……また、この世界に魔族が攻め込もうとしています。数千年前の戦いのように」
    「数千年前の戦い……勇者が七人の仲間と共に魔王と戦ったという、あの?」
    「そうです」
     アイシスは静かに語り始めた。テルパドールに伝わる、勇者伝説を。
     天空の勇者は現代においてミステリアスな存在である。彼のことを記した資料は皆無といっていいほど残っていない。名前はおろか、性別さえはっきりしていないのだ。だが、それら神秘のヴェールが、アイシス女王の口から明らかにされていく。
     テルパドールの王家に伝わる勇者伝説は、事実とほとんど違いはない。勇者の生まれ変わりであるフローラでさえ、その正確さには舌を巻くほどであった。
    「天空の勇者。その名を、エルフォーシア・グレンゾーンといったそうです。しかも、彼女はごくふつうの村娘でした」
    「えっ? 勇者は、女性だったのですか?」
    「そうです。驚かれましたか」
    「はい。僕は、勇者はずっと男性だと思いこんでいましたから」
    「確かにエルフォーシアは女性でした。しかし、その剣の腕は戦士ライアンでさえ舌を巻いたといいます」
    「なるほど」
     わざとらしく、ピエールはうんうんと頷く。こほん、とフローラはちらりと彼を一瞥しながら咳払いをした。
     それからアイシス女王は、エルフォーシアの知られざる過去を話した。
     エルフォーシアは、どこにでもいるふつうの女の子だった。だが、そんな彼女に突然、不幸が降り注いだ。
     故郷の村を魔族に襲撃され、彼女は両親と幼なじみを亡くしてしまった。魔族の狙いは生まれながらにして破邪の力を秘めた少女を殺すことにあったのだ。そのためならば、彼らは罪もない一般の村人をも平気で殺害した。いや、魔族にとって、人間は自分たちと同等ではないのだ。
     家族、故郷、そして友達……同時に全てを失ったエルフォーシアは旅に出る。その胸に復讐の二文字を宿して。
     旅の中で、エルフォーシアは七人の仲間と出会う。彼らもまた、自分と同じ志を持つ同志だった。
     勇者エルフォーシアは自分だけが扱うことができる最強の武器を探し、そして集めた。
     天空の剣、鎧、盾、兜……それらを身につけたエルフォーシアの前に、魔族達は次々と敗れ去っていく。
     そして、エルフォーシアと仲間達は最終決戦に挑んだ。
     魔王デスピサロ……魔族の中のプリンスを倒した時、全ては終わった。彼女の命とともに。
    「えっ?」
     その結末を聞いた時、思わずリュカは息を飲み込む。
    「勇者は、その戦いで命を落としたのですか? そんな話は、聞いたこともない」
    「一般に伝わるおとぎ話では、勇者は無事生還したことになっています。しかし、真実は違うのです。エルフォーシアは、魔王デスピサロを倒し、息絶えます」
    「な、なぜ?」
    「力を、使いすぎたのです」
    「ちからを、使いすぎた?」
    「天空の勇者といえど、生身の人間であることには変わりありません。しかも、エルフォーシアは少女だった。長く苦しい戦いの日々が、彼女の命を確実に削っていったのです」
    「おいおい、ちょっと待ってくれよ」
     メッキーが口を挟んだ。
    「女王様よ。あんたのおっしゃることが本当なら、勇者はその時に死んでいるってことだよな」
    「えぇ」
    「エルフォーシアには、子供はいたのかい」
     核心を突いた質問に、誰もがはっと息を呑んだ。
    「……いいえ」
     重苦しい沈黙の後、アイシスはゆっくりと、首を左右に振った。
     さぁーっ、とリュカの顔から血の気が引いていく。
    「それって、伝説の勇者の血筋が断たれたってことでしょ」
     今まで話を聞いていたロムが、恐る恐る言う。
    「それじゃあ、今この時代に、伝説の勇者はもういないんじゃないの」
    「……それは」
     ピエールとマーリンは互いに顔を見合わせて、口を噤む。フローラの秘密を唯一知っている二人だけに、どう言葉を返せばいいかわからなかった。
    「いえ、それは違います」
     だが、アイシスはきっぱりと否定した。
    「でも」
    「これから、その証拠を皆様にお見せしましょう。ついてきてください」
     アイシスはすたすたと早歩きで庭園を後にする。リュカ達は黙って、彼女の後に続いた。


     アイシスが向かった先は、城の離れにある、ピラミッド状の建築物だった。
     だいぶ昔に建てられたのだろう。建物の外観はだいぶ風化していた。
    「ここは」
    「勇者の墓です」
    「勇者の、墓? で、では、ここにエルフォーシアが眠っているのですか?」
    「いいえ、エルフォーシアの亡骸は、ここにはありません。彼女の身体は、デスピサロとの戦いで消滅しました。遺骨を持ち帰ることはできなかったのでしょう」
    「……」
    「かあさん、どうしたの」
     隣に立っていたロムが、母のスカートのすそを引っ張った。
    「顔、真っ青だよ」
    「う、ううん。大丈夫よ。気にしないで」
     慌ててフローラは笑顔になる。
     アイシス女王を先頭に、リュカ達はピラミッドの中に入った。
     地下へと続く階段を、ひたすら下っていく。
     すると、小さな部屋に出た。
    「ここです」
     アイシスは祭壇の前で立ち止まる。
     小さな花畑の中に、ぽつりと石版が立っていた。その石版には、古代文字でエルフォーシアの産まれた日と没した日が彫られ、短いメッセージが刻まれていた。
     アイシスはそれを読み上げる。
    「勇者エルフォーシア、ここに眠る。願わくば、彼女が最後の勇者であらんことを」
    「最後の、勇者……」
     リュカが言う。
    「きっと、これを彫ったミネアはこう願ったのでしょう。勇者など必要としない、平和な時代が恒久に続いて欲しい……と。ですが」
     アイシスは複雑な表情をして、石版に手を当てた。
    「恒久的な平和など、幻に過ぎないのです」
     彼女の手から淡い光が放たれた。オーラが石版を包み込んだ時、ゆっくりと石版は左に傾く。
     わずかな隙間の中には、一つの宝箱が納められていた。
     そこから取り出したものは、神秘的なシルエットの兜だった。
    「天空の兜です」
    「これが」
     まじまじと、リュカは兜を見つめた。
     それは剣や盾と同じく、神秘的なオーラを感じさせる。
     よく見ると、兜の中心にはめ込まれた宝石が、ぼんやりと光を放っている。そのような現象は、剣や盾には起こらない。
    「これは?」
    「これこそ、伝説の勇者がこの地に君臨した証なのです」
    「ど、どういう意味ですか」
    「天空の兜には、伝説の勇者の存在を察知する力が秘められています。五年前までは、この宝石はわずかでも輝くことはありませんでした。しかし、ある日突然、沈黙を破るかのように兜は光を放ちだしたのです」
    「そ、それじゃあ」
     リュカの目が、みるみるうちに希望に満ちあふれていく。
    「えぇ、伝説の勇者は、血統を越えて、たしかにこの現世に誕生しています。天空の兜の輝きこそが、その証拠です」
    「まだ、希望はあるんですね」
    「えぇ」
     アイシス女王は、確かに頷いた。その返事に、リュカの眼に光がよみがえる。
     喜びに打ち震える夫を、フローラは少し遠い位置で見つめていた。寂しげな目で。




     リュカ達はアイシス女王と共に地下庭園へと戻っていた。
     リュカは天空の兜のことに関しては、それ以上触れなかった。今まで、剣と盾を集めてきたが、兜はテルパドールの宝だ。おいそれと「譲ってくれませんか」とは口が裂けても言えない。
     それに、ここなら簡単に光の教団の連中に奪われるということもないだろう。奴らも表立って国家を敵に回すことはしないはずだ。
     テルパドールの天空の兜は、天空の勇者を探し出した後で、改めて交渉すればいい。リュカはそう決めていた。
     それから、リュカはアイシスに自分の知る限りの情報を女王に伝えた。
     光の教団の正体に魔族の暗躍。この世界が、再び暗黒に飲み込まれようとしていることを。
     その話を、アイシスは真剣に聞いてくれた。
    「リュカ様。やはり、あなたと会ってよかった」
     長い会話の後、アイシスはリュカの手を取って礼を述べた。
    「……あなたは貴重な情報を提供して下さいました。本当に感謝いたしますわ」
    「いいえ。私は父より受け継いだ使命に従っているだけです」
    「リュカ様は、これから……?」
    「グランバニアへ渡ろうと思います。父と、そして、私が産まれた故郷へ」
    「ふふ、里帰りというわけですか」
    「それもあります。ですが、本当の理由は、私自身が力をつけるためでもあるんです。グランバニアの王族のみに受け継がれる秘剣……魔神一刀流。あそこへいけば、その極意が得られるかもしれない。それこそが、対魔族用の切り札だと、私は確信しているのです。そして、奥義を体得した後は、再び旅にでます。伝説の勇者が見つかるその時まで」
    「……ですが、あなたの身分を、グランバニアの方々が信用してくれるでしょうか」
    「それならば大丈夫です」
     ピエールが進み出た。
    「私はグランバニアの騎士だった男。彼の身元は、私が証明しますよ」
    「それは心強い」
     アイシスはリュカとピエールに軽く頭を下げると、最後にフローラに目を向けた。思わず、彼女はどきんっ、とする。
     もしかしたら、この方は私の正体に気づいているのかもしれない。
     透明感のあるまっすぐな瞳に見据えられ、フローラの心臓は激しく高鳴る。
     だが、アイシスは彼女の肩に軽く手を乗せただけだった。
     そして、彼女の耳元で囁く。
    「今夜、街の湖の前でお待ちしています」
    「……!?」
     はっと息を呑む。
     フローラから離れたアイシスは、意味深な笑みを浮かべるだけで、後は何も言わなかった。




     その後、フローラはリュカ達には内緒で、こっそりと宿を抜け出した。
     砂漠の夜は昼間からは考えられないほど冷える。彼女は麻布のマントを防寒具代わりに羽織り、指定された湖へと目指す。
     アイシスが提示した場所は、城の麓にある大きな水源だった。地下から絶えずわき出ており、テルパドールがここまで繁栄したのも、この湖のおかげだ。
     湖には人気は皆無だった。ただ一人、水辺のほとりで佇んでいる女性を除いて。
     言うまでもない。アイシス女王だった。
    「よく、城から抜け出せましたね」
     彼女の前に立って、フローラはそのようなことを口にしていた。振り返った彼女は、くすくすと微笑する。
    「女官の目を欺くのに、苦労しましたわ」
    「そこまでして、なぜ私に?」
    「なぜかは私にもわかりません。ですが、あなたからには、何か特別な波動を感じるのです。どこか、懐かしい……」
    「アイシス様」
     偶然だろうか。フローラもこの時彼女が、以前共に旅をした仲間の姿と重なってみえた。
     七人の導かれし者達の中で、最初に出会った女占い師に。
     フローラは一瞬、この女王に全てを話してしまおうかと思った。だが、すぐに思いとどまる。この方はリュカと同じく、天空の勇者を心待ちにしている人だ。もし、真実を打ち明けて落胆でもされたら、いたたまれない。
     アイシスは特にフローラに用があったわけではなかった。会話は弾まなかったが、お互いに退屈とは感じていなかった。二人並んで、湖畔に移った白い月を眺める。それは、心休まる一時だった。
    「フローラ様。あなたに、お渡ししておきたいものがあります」
     やがて、アイシスの方から沈黙を破った。
     彼女は、ローブの中から、二冊の本を取り出した。
     黒いカバーに、金で文字が刻まれている。
    「これは、王家に代々伝わる呪文書です。ミネアとマーニャが生涯の中で習得した呪文のすべてが、ここに記されています。ミネアの書には僧侶系の呪文が、マーニャの書には魔法使い系の呪文が書きしるされているのです。マーニャの書にはあなたが。ミネアの書はリュカ様がお持ちください」
    「なぜ、私たちに? これは、大切なものなのでしょう?」
    「私は予知能力は持っていても、魔力そのものはさほど高くはありません。私では、そこに記載されている呪文の半分も習得することはできないでしょう。ならば、これから必要となってくるあなた方に渡した方がいいと思ったのです」
    「アイシス様……わかりました」
     フローラは、アイシスより渡された二冊の呪文書を、両手でしっかりと受け取った。
    「さぁ、これでお別れです。もう、あなたと会うこともないでしょう」
    「えっ? なぜです」
     驚いてフローラは訊ねると、アイシスはふふっと笑った。その笑みは、どこか儚げないものだった。
    「近い将来、この国はエンドール帝国の侵略にあいます。そして、私たちには、あの強国を追い払うだけの力は持ち合わせてはいません」
    「そ、そんな……!」
     フローラはめまいを覚えた。昼に食堂の店主から聞かされた話が、走馬燈のように脳裏に浮かんでくる。
     この平和な国が、戦火に包まれる。その光景を思い浮かべるだけで、彼女は息苦しさを覚えた。
    「そんな……、どうにかならないのですか?」
    「……私は、エンドール軍を黙って受け入れるつもりです」
    「無血開城……降伏するおつもりなのですか?」
    「それで、民が犠牲にならなくてすむのなら」
     アイシスの言葉に、フローラの胸は熱く震えた。彼女は戦争についてはあまり詳しくはないが、捕らわれた王族がどんな扱いを受けるかは想像できる。牢獄に閉じこめられるだけならまだましだ。下手すれば、処刑ということもありうる。
     恐怖を感じていないわけはないだろう。だが、目の前のアイシスの顔は安らかだった。まるで、澄み渡った青空のように、そこには一点の曇りもなかった。
    「アイシス様。あなたのご厚意、無駄にはしません」
     涙が流れるのをぐっとこらえて、フローラは言った。固い決心を込めて。


     続く

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