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2010.03.22 Monday

反竜伝記 第三部 第三話 フローラの疑惑

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    反竜伝記 第三部 第三話 フローラの疑惑 
     
     反竜伝記 第三部 第三話 フローラの疑惑


     まただ。
     またあの夢を見ている。
     フローラには、これが夢であるという自覚があった。遠くから、もう一人の自分……そう、あれは自分だ。彼女にはわかる……を見つめている。
     夢の中の自分は、今のような蒼い髪ではなく、やや緑の黒髪をしていた。身に纏うのは、眩いほどの煌きを放つ、白き鎧。
     彼女は戦っていた。暗く、瘴気吹き荒れる暗黒の大地で、七人の同志達と共に。
     それは、最後の決戦だった。眼前に迫る、すでに人の形をしていないバケモノ……それが、自分にとって、そして、世界にとって、最後の敵だった。
    「ウゴオオオオオォォッ!」
     バケモノが、地の底から震えるような不気味な声を発し、その両手に持った魔剣を振り下ろす。
     女はそれを跳躍して交わした。
    「メラゾーマ!」
    「マヒャド!」
    「バギクロス!」
     浅黒い肌をした、二人の姉妹と魔法使い風の老人が、いっせいに高等呪文を唱えた。地獄の業火と凍てつく吹雪、そして真空の竜巻が魔王を苦しめる。
    「ぬおおおおぉっ!」
    「はああああっ!」
    「いやああああっ!」
    「たああああっ!!」
     屈強の戦士が、美しき女武道家が、商人風の男が、若き神官が、ここぞとばかりに魔王の手足に切りつける。
    「グアアアアッ!」
     七人の必死の猛攻に、魔王の攻撃の手が一瞬、止まる。
    「いまよ、エルッ!」
     女武道家の声に対する、彼女の反応は素早かった。
    「天空の剣よ、わたしに、最後のちからをっ」
     少女は、白き剣を天に構えた。天空から突如放たれた聖なる雷が、天空の剣に力を与える。
     雷を宿した剣で、少女は大地を蹴った。
    「ギガ・スラッシュッッッッッツ!!」
     一閃。
     彼女の放った強烈な一撃が、魔王の身体を真っ二つに引き裂く。
    「グゴオオオオオォォォッ!!」
     魔王の断末魔の叫び声が、魔界中に響き渡る。
     それが、魔王の最後の声なのだろう。着地した少女が敵に目を向けた時、バケモノは目をクワッと見開きながら絶命していた。
    「かった……の」
     ふらふら、と少女はその場に膝を付く。もう、力はほとんど残っていない。
    「エルッ! エルフォーシア! やったわねっ! わたしたち、ついに、デスピサロを……っ」
    「アリーナ……わたし」
     エルと呼ばれた少女が、満身創痍の笑みを浮かべた、次の瞬間だった。
    「マ、ダ、ダ……」
    「……! あっ!」
     巨大な手が、エルの身体を握り締める。それは、まるで子供が人形を掴むかのようだった。
     魔王は、死んではいなかった。
     脳天から紫の血を吹き上げながら、少女を握りつぶさんとばかりに力を強める。
    「ぐっ! デ、デス、ピ、サ、ロッ……」
     油断していたエルの手から、天空の剣がぽとり、と落ちる。
    「エルーッ!」
     アリーナが駆け寄ろうとした瞬間、
    「ひめさま、危ないっ!」
     クリフトが慌てて彼女の手を掴む。
     と同時に、足場が崩れるように割れた。
     地盤が沈下し、アリーナ達とエルとの間には熱い溶岩で断絶される。
    「い、いけませんよっ! ここは、もう、持ちそうにありませんっ」
     あたふたと慌てる武器商人トルネコ。
    「姫様、脱出をっ!」
    「バカ! なにいってるのよっ!」
    「エルを、置いていけというのですか」
     ブライ、マーニャ、ミネア。
    「くっ、われわれには、もう、力が残っていない」
     悔しさに、ライアンは歯を食いしばる。
    「エル、エルーッ!!」
     アリーナの悲痛な叫びも、崩壊を始めた火山の中では途切れてしまう。


     ググググ……
     デスピサロは容赦なく力を強めていく。ミシミシと、天空の鎧が軋み、そのダメージは確実にエルフォーシアの肉体に響いていく。
     勇者とはいえ、女性である。その重圧に、いつまでも耐えられるものではない。
    「こ、ここで、負けるわけにはいかない……」
     薄らいでいく意識の中、エルはかろうじて精神を集中させる。
     天空の勇者と呼ばれ、いくつもの魔物を屠ってきたエルフォーシアにも、もはや、力はほとんど残ってはいなかった。
     だから、搾り出す。自分の命がここで終わってもいい。デスピサロに、とどめを刺せるだけの力を、最後に引き出す……!
     エルフォーシアの身体から、白いオーラがあふれ出す。そして、彼女の背中にも、まばゆく輝く純白の翼が広がる。
    「エル・フォー・シア……」
    「……っ!!」
     はっ、として、彼女は一瞬、詠唱を止める。
    「ピサロ……あなた、意識が」
     エルフォーシアはバケモノの、彼の目を見る。そこには、かすかに、ヒトとしての輝きがあった。
    「ふ、ふふふっ、きさまの聖なる勇者としての力が、わたしの意識を、この瞬間だけ蘇らせたみたい、だな」
     ふっ、と、デスピサロは力を緩めた。
    「……っ! なにをっ!?」
    「勇者よ、わたしを、殺せ」
    「……ッ!!」
     ハッとするエル。
    「なにを驚く。おまえは、そのために、ここまで、旅を、してきたの、だろう」
     そうだ。デスピサロの言うとおりだった。
     故郷の村を滅ぼされ、唯一の友達だったエルフのシンシアまでも失った。あの頃のエルフォーシアには、救国の意志などなく、その胸に宿るのは、復讐の二文字だけだった。
     だが、今は違う。彼女は全てを知ったことで、わかってしまった。この人も、かわいそうな人なのだと。
     デスピサロが人間を抹殺しようとしているのは、すべて、エルフの恋人ロザリーのためだった。
     ロザリーを、欲深き人間の手から守るために、ピサロは、昔の自分を捨て、魔王デスピサロとして生きることを決意した。
     だが、結局、デスピサロはロザリーの真意を理解することはできなかった。
     彼女は、ただただ恋人である彼にそばにいて欲しいだけだった。人間の抹殺など、彼女は望んではいなかった。
     しかし、そんな願いは届かず、ついにロザリーは欲深き者達の手によって命を落とす。
     その時から、デスピサロの精神は崩壊した。
     その経緯を知っているエルフォーシアだったからこそ、彼の殺してくれという発言には驚きを隠せない。
    「はやく、しろ。私の意識が、再び闇に失われる前に」
    「なぜ! なぜ、今ごろになって、そんなことをっ!?」
    「わたしは……ロザリーが、幸せに生きられる平和な世界を作ってやりたかったのだ」
    「……!!」
     その時、エルフォーシアの目から、じわっと涙がこぼれた。
     ピサロも、同じだった。彼も自分と同じで、世界の平和を望んでいたのだ。ただ、倒すべき敵が違うだけ。ピサロは恋人に危害を加える人間を抹殺するため。エルフォーシアは、世界を支配しよとたくらむ魔族を叩くため……人間か、魔族か。違いは、たったそれだけなのに、自分たちは戦い、殺し合い、ついに、ここまできてしまった。
    「もう、この世界にロザリーはいない。もはや、私にとって、この世界を生きる意味などない。エルフォーシア、頼む。やってくれ。私を、私を、デスピサロではなく、ピサロのまま、死なせてくれ……」
    「ピサロ……」
     エルフォーシアは、確かに頷いた。そして、術を発動させる。
     天空から、最後の雷が放たれる。
     光が、一人の少女と、一人の青年の身体を射抜いた。
     それが、魔王と勇者の、本当の最後だった。
    「……あなたとは、違う形で、出会いたかった……」
     消えゆく意識の中、エルフォーシアはただそれだけを悔い、そして祈った。次に生まれて来る時は、必ず……



     ガバッ!
     エルフォーシア……いや、違う、フローラはベッドから飛び起きた。
     全身寝汗でびっしょりだった。はぁ、はぁ、と、荒い息を繰り返す。
     空は、まだ暗い。隣で寝ているリュカも、妻が飛び起きたころも気づかず、呑気に寝入っている。
    「夢……? いや、違う」
     フローラは、口元を押さえた。そうしないと、嗚咽が寝ている夫の耳に届いてしまう。
     恐ろしく、リアリティのある夢。それは、今考えてみれば当然のことだった。数千年前に、体験した事を夢見ているのだから。
    「夢であって欲しかった……やっぱり、あれは、『わたし』なんだ」



     1

     真っ白で大きな帆を張った、なだらかな曲線の美しい船が海を渡る。
     ストレンジャー二世。一見すると普通の小型船だが、そのボディはどんな荒波にも耐え、魔物の攻撃にもビクともしない。さすが、樹齢数千年の霊木から作られただけのことはある、と、船長のロックベルは思った。
     ロックベルは今年で五十半ばを越える、根っからの海の男だ。
     伸ばし放題の白髪に、隆々と盛り上がった浅黒い筋肉。ギラギラと輝く灰色の瞳はいまだ活力に満ち溢れていた。
    「いい風だ。この調子なら、わりかし早く目的地にたどりつけそうだな」
     自分で言ってから頷いて、ロックベルは操舵室から離れた。
     甲板の上にたち、パイプにマッチ棒で火をつけようとする。だが、
    「おや、丁度切らしていたかな」
     ズボンのポケットをいくら探しても、でてくるのは糸くずだけだ。
    「おはよう。船長さん」
     元気のいい声がロックベルの耳に響く。
     振り向くと、そこには黒い髪の幼い男の子が立っていた。朝の運動の後だったのか、身につけているものは白いシャツに麻で縫い合わせたズボンという軽装だ。
    「よぉ、ロム。おはよう。お前は朝から元気だねぇ。おっ、そうだそうだ。おい、お前、ちょっと火は持ってねぇか?」
    「えっ、火って?」
    「おじさんっ、子供相手になにいってるのよ」
     生意気な突っ込みが跳ね返ってくる。その声の主はロムではなく、その肩に乗っかっている赤いスライムからだった。
     このスライムはベスといい、ロムの"お友達"だ。彼女もロムやその妹と一緒に、こっそりとストレンジャー二世に乗り込んだ密航者の一人である。
    「フィアはともかく、ロムにはしっかりもののあたしがついていなくちゃね」
     見つかった時に彼女はそう弁明したのだが、結局のところは、彼女も広い世界を見て回りたかっただけらしい。リュカは呆れながらも、スラリンとベホマン宛に手紙を書いたという。
    「ロムはまだ五歳なのよ。こどものまえでタバコなんてふかさないでよ」
    「あー、うるさいうるさい。このスライムは口から先に生まれたんじゃねぇのか」
    「なんですってぇっ! むきーっ! もう腹にきたわっ! えいっ」
     もともと赤い体を真っ赤にさせたかと思うと、ベスはその開かれた大きな口から炎を吐き出した。といっても、ギラクラスの弱いものだったが。
    「うわっちっ!」
     炎はロックベルの顔を掠めた。
    「あわわわわ! て、てめえ! いきなり何しやがるんでぇ!」
    「あはははは! おじさんが火が欲しいなんていうから、プレゼントしてやったのよっ」
    「ったく、この性悪スライムめ」
     舌打ちしながらも、ロックベルはおや、と気づいた。口の中に広がるマイルドな味わい。
     どうやら、手段はどうであれ、ベルは確かにパイプの火をつけてくれたようだった。
     怒るに怒れないロックベルは、最近めっきりてっぺんのあたりが薄くなった頭をポリポリと掻きながらいった。
    「それはそうと、船旅には慣れたか?」
    「うん。フィアもようやく船酔いには慣れたみたい」
    「そうか。そいつはよかった。あのお譲ちゃん、ここに来て二、三日は顔を真っ青にしてたからな」
     ロックベルはパイプの穴から白い煙をふかす。
     ストレンジャー二世がポートセルミを出港してから、もう一週間が立つ。幸い、ここまできて海が荒れたり、魔物がでたりすることはなかった。
     予定なら、あと三週間ほどで目的地であるテルパドールの大陸にたどり着くだろう。それまでの間、何事もなければよいのだが。
     ルドマンの旦那には感謝しなきゃならねぇな。そう、改めてロックベルは思った。
     ロックベルとルドマンは、若い頃、ともに世界中の海を旅して回った仲間だ。冒険家を引退してからは商業船の船長として活躍していた彼だが、最近は海にでる機会に恵まれず、倉庫整理の監督という職に甘んじていた。
     海に出たい。もう一度海に出て、自由に世界を旅してみたい。そう切に願うロックベルだったが、海の魔物は年々凶暴化し、いくつもの商業船がやられているのだ。彼の望みはいつまでたっても適うことはなかった。
     しかし、そんな矢先に、彼の住むボロアパートにやってきたのだ。かつて、相棒と呼んだ男が。
     そのときの会話の内容を、ロックベルは今も覚えている。
    「ロックベル。お前の力が必要になった。わしが作ったストレンジャー二世号の船長になってはくれんか」
    「ストレンジャー二世だって! お前、とうとう完成させたのか」
    「そうじゃ。あの船なら、どんな魔物の攻撃にも耐え、時化た海をも乗り越えられる」
    「そ、それで、オレにその船の船長になって、何をさせろっていうんだ」
    「実はな……」
     ルドマンが諸事情を語り終えると、ロックベルは無言だった。
     無理もない。そのときのルドマンは諦め顔だった。義理の息子の旅のために、船を動かして欲しいなど、彼のプライドが許さないだろう。
     だが、
    「よし、その頼み、引き受けたぜ」
     ルドマンの読みとは裏腹に、ロックベルは快く承諾してくれた。
     正直なところ、この際そんな事情など彼にとっては二の次だった。海にもう一度出られる。ロックベルにとってもっとも重要なのは、その一点のみだったのだから。



    「いちにっ、さんしっ」
     ロックベル船長と別れたロムは、船尾側の甲板の上で準備体操に励んでいた。
    「ロム、はりきってるわね」
     と、肩の上のベルがいう。
    「うん。今日ね、とうさんとピエールおじ、じゃなかった、ピエールさんが剣術をおしえてくれるんだ」
    「へぇ、そりゃまたおどろきね」
    「うん。フィアも本格的にかあさんやマーリンさんから呪文を教わるみたいだよ」
    「リュカとフローラ、よく教える気になったものね」
    「ううん。ぼくらが頼んだんだ」
    「ええ?」
     ベスは驚いて目をぱちくりさせた。
    「うん」
    「あ、あんた。無謀すぎよ。そりゃあ、フィアは魔法の才能があるのはわかるけど、あんたに剣術の才能があるとは……とてもとても」
    「む、なんだよ。そのジトーッとした目は」
    「だって、あんた、とろいじゃない。方向音痴だし」
    (方向音痴は関係ないとおもうんだけどなぁ)
     はぁっ、とため息をつくロム。彼にだって自覚くらいはある。
     お世辞にも、ロムは運動神経があるとはいえない。走ることだって遅いし、腕力だってあまりない。
     だけど、旅に同行すると決めた以上、両親の足を引っ張ることだけはしたくない。自分の身くらいは自分で守れるようにならなきゃだめだ。そうロムは真剣にそう考えていた。
     船に密航していたことがばれた時、リュカもフローラも、二人を叱るようなことはしなかった。その代わり、子供たちには二つの約束事を定めたのである。
     一つは父さんと母さんのいうことは絶対に聞くこと。
     二つは、勝手な行動は絶対にしないこと。
    「それを破るようなことをしたら、容赦なくサラボナに送り返すからな」
     そう言った時のリュカの真剣な目を、ロムは今も鮮明に思い出せる。冗談はいっていない。父さんは本気だと思った。
    「とにかく、自分の身くらい、自分で守れるようにならなきゃ」
    「ふーん、まぁ、身につけばいいけどね」
     ベスの視線は、相変わらず冷ややかだった。


     やがて、リュカとピエールがやってくる。
    「遅いよ、とうさん」
    「ごめんごめん。ちょっと準備に時間がかかってね」
     リュカが担いでいるものは、木でできたこぶりの剣だった。木材を剣にみえるように削っただけのもので、もちろん、殺傷力はない。
    「それで練習するの」
     ロムが木刀を指差していう。
    「そうだよ」
    「本物の剣でやるのかとおもった」
    「あのなぁ。いきなりそんな危なっかしいことさせるわけにはいかないだろう」
    「だ、だよね、あはははは」
     ロムはからからと笑った。
    「やれやれ。それはそうと、ロム、本当に剣なんて習うのか?」
    「もちろんだよ」
    「うーん。正直、とうさんはお前に剣なんて握って欲しくはないんだよ」
    「えーっ、なんでさ」
    「お前には戦いなんて似合わないからさ」
    「ぼくは、護身術のつもりで習いたいだけだよ。べつに、進んで戦いを望んでいるわけじゃないって。むしろ、魔物や山賊にばったりあったら身を隠してやりすごすか、逃げることをまず考えるさ。けど、見つかったり追いつかれちゃったら、結局は僕の身を守るのは、僕しかいないでしょう?」
    「うーん……」
     リュカは唸る。反論のしようがない。
    「まぁ、いいじゃないですか。リュカ」
     やんわりとピエールがいった。
    「ロムはなにも戦いたくて剣術を学ぼうとしているのではないのです。自衛のためならば、何も止める必要もないでしょう」
    「でも」
    「だいじょうぶ。この子は見かけによらず賢い子ですよ。いまどき、逃げる時は逃げる、とはっきり言える子はそうはいません」
    「うっ、なんだか、バカにされているような気がするよ」
     ロムがぼそっと呟く。
    「とんでもない。その逆だよ」
     ピエールは首を横に振った。
    「たいていの人は見栄やプライドが邪魔して、逃げることに対して臆病になってしまうけど、君はちゃんと逃げる時は逃げる。戦う時は戦うの区別がついている」
    「ピエールさん。ほめすぎよ。ロムはたんに弱虫なだけなんだから」
    「ベス、うるさいよ」
     ぷぅっ、とロムは頬をふくらませる。
    「はぁ、仕方がないな」
     やがて、リュカはぽりぽりと髪を掻いて、降参した。
    「ロム。剣を習ったからって、それを実戦で試そうなんて思っちゃだめだぞ」
    「はい!」
     ロムは快い返事を返す。
    (だいじょうぶですよ)
     と、ピエールはリュカにこっそりと耳打ちした。
    (ロムは、あなたやパパスさまとはまったく違うタイプの子です。自ら望みでもしない限り、あなた方と同じ道は歩みませんよ)
    (もちろんだよ)
     リュカも頷く。
    (ロムだけには、僕や父さんのような道は歩ませない。この子には、争いや宿命とは無縁の暮らしを送って欲しいからね)
     それは、すでに平穏な日々には戻れないことを知っている父親の、切なる願いだった。しかし、個人の願いもむなしく、時代はロムという少年に辛い宿命を背負わせることになる。その重さは、リュカが背負ってきたものなど比べ物にならないほどに重い……
     リュカもロムも、今はまだ、そのことを知る由もない。



     ロムの剣の稽古に比べて、フィアの魔法の練習はまだ見込みがあるといえた。
     彼女は小さい頃から……といっても、今でもまだ小さいが……母に簡単な呪文を教えてもらっていた。
     子供というのは親のすることをなんでも真似してみたいと思うらしく、あるとき、フローラがふと使った呪文をフィアが見よう見まねで再現してしまったのだ。
     いくらメラ程度の初歩呪文とはいえ、真似でどうにかなる代物ではない。そのときのフローラの驚きは、まさに呆気に取られたというものだった。
     幸いかどうかはしらないが、フィアがその後自分にも呪文を教えて欲しいと頼んできたので、今までフローラは彼女に簡単で害の少ない呪文を中心に教えてきた。そのおかげで、フィアもレミーラやホイミ、キアリーといったものならなんとか唱えられるようになっていた。

     兄とは違い、妹の練習場所は割り当ての決まっていない空きの船室で行われた。
     そこに集まるのは、師事を受けるフィアと、彼女を教える立場にいるフローラとマーリンの三人である。
    「フィアには、これをやろうかのう」
     と、マーリンはふところから小さな紙製の箱を取り出し、彼女に捧げた。
    「あけていいの?」
    「もちろんじゃよ」
     いったいなんだろう。どきどきしながら蓋を取る。
     そこにあったものは、小ぶりのロッドだった。
     子供のフィアでも片手で振り回せるくらいのサイズで、木を削った杖の部分に赤い宝石が埋め込まれている。
    「わぁ」
     フィアはうれしさに頬をばら色に染めて、ロッドを手に取った。
    「そのロッドには特殊な魔石が埋め込まれていてな、術者の頭をすっきりさせる魔法がかかっておる。だから、普段よりも精神統一がいくぶん楽にできるぞい」
    「これ、ほんとうにもらっちゃっていいの」
    「いいのよ、フィア。マーリンさんと、お母さんからの入門祝いなんだから」
    「ありがとう! わたし、がんばるね!」
     フィアはにっこりと微笑んだ。
    「よぉし、お母さんやマーリンを越える魔法使いになってやるぞぉ」
     もらったばかりのロッドをかざして、フィアは嬉しそうにくるくる回る。
    「あらあら、フィアったら」
     くすくすと笑う二人。
    「ふぉっふぉっふぉ、意外にあっさりと抜かれてしまうかもしれんのう」
    「まぁ、マーリン。そんなことをいっては、フィアが調子にのりますわよ」
    「いやいや。リュカとおぬしの子じゃからな。それに、こうしていても薄々と感じておるよ。この子の魔力の強さは、そうとうのものじゃ」
    「えぇ」
     それはフローラもうっすらとだが感じていた。
     この子の秘めた魔力は、自分と同等か、それ以上だ。
     それに比べると、フローラの魔力は当時に比べるとだいぶ落ち着いていた。妊娠中に一時的に魔力が肥大化したのは、おそらく、お腹の中にこの子がいたからだろう。
    (今頃、ロムもリュカさんの稽古を受けているのかしら?)
     そう思うと、フローラは一抹の不安を覚えずに入られなかった。二人に戦いの術を教えるということに。
     特にロムは、フローラの目から見ても、戦士に向いているとは思えなかった。あのリュカの子で、パパスの孫なのだ、剣の才能はあるかもしれない。だが、ロムは優しすぎる。あの子に、たとえ凶暴な魔物とはいえ、命を奪うことなどできるはずもない。
     かつては、フローラもそうだった。
     旅にでたばかりの頃は、リュカたちの援護をするだけで、自分で直接弱った敵に止めをさすことはなかったが、ある時、やむを得ず、相手の命を奪ったことがある。
     その時絶命していった魔物の顔を、フローラは今でも鮮明に思い出すことができる。そして、それは思い出すたびに彼女の胸をひどく辛くさせた。たとえ相手が魔物であっても、生命であることにかわりはない。自分は、その者の可能性を奪ったのだ。この手で。
     ロムには、おそらくできない。あの子は優しい子だから。そして、相手の生を断つことのできない軟弱者が生きていけるほど、この無法の大地は甘くはない……
    (私は何を考えているのだろう)
     フローラは頭を振って不安をもみ消した。
    (あの子はまだ子供だ。たった五歳の子供なのだ。なのに、私は、何を焦っているのだろう。まるで、近いうちに、あの子が私のそばから消えてしまうかのようだ。そんなこと、あるはずがないのに……)
    「フローラ? どうしたんだい?」
     マーリンの声に、彼女はハッとした。
    「い、いいえ。マーリン。何でもありません。少し、考え事をしていただけで」
    「そうか? ならいいんじゃが。おっと、そうじゃ。そういえばおまえさん、ここ五年間で魔力が落ちたとかいっておったのう」
    「あ、はい。この子達を産んだ影響からでしょうか。以前より、少し、魔法の力が衰えたような気がして」
    「ふぅむ。女性は出産を経験すると魔力が落ちるとは、よくいうからのう。じゃが、こう普段から接している限りでは、さほど衰えたとは思えんが」
    「それで、よろしければ、またマーリンに魔力の測定を頼みたいのですが」
    「うむ。おやすいごようじゃとも。わしは、お前の先生じゃからな」
    「ねえねえ、おかあさん」
     フィアが、フローラの袖を引っ張った。
    「なぁに?」
    「魔力の測定って?」
    「ふぉっふぉっふぉ、魔力の測定とはな。力のある魔法使いに、自分の魔力の強さを確かめてもらうことじゃよ」
    「……それじゃ、わかんない」
     フィアは唇をとんがらせる。
    「まぁ、見ていればわかるよ」
     そういうと、マーリンはその場で座禅を組んだ。
     フローラも、フィアに見ててね、といい、彼に習う。
     すぅっと、息を吸い込み、精神を集中させる。
    「うむ、ビリビリと感じるぞい。お前さんの身体から溢れる魔力が」
    「……あ、フィアにもわかる。あったかい感じがするよ」
     やがて、フローラの身体から、ポワッ、と白い光があふれ出した。
    「あっ!」
     フィアが声を上げる。
    「オーラじゃよ。術者が精神を集中させたり、本気で呪文を唱えたりするときにでる、魔力の光じゃ。オーラを出せるのは、魔法使いの中でも、とびきり魔力の強いもの……だけ…………」
     マーリンの説明は途中で途絶えた。
     彼は呆けるような目で、フローラのオーラを食い入るようにじっと見る。
    (な、なんじゃ。このオーラは?)
     彼は何度も瞬きをした。これが自分の見間違いなのではないかと疑った。だが、ひしひしと身体に伝わってくる感じは、紛れもなく真実に他ならない。
    (な、なぜじゃ、このオーラは、あれと同じ……ど、どういうことなんじゃっ!?)


     2


     ロムとフィアが互いの師に教えを受けてから、数週間が過ぎ去った。
    「てい、やぁっ!」
     早朝、今日も幼い子の威勢のいい声が澄み切った大空に響き渡る。
     ロムの素振りは、すでにストレンジャー二世のおなじみの光景となりつつあった。
     父から授かった木刀は意外に重量があり、最初は振り回すのも苦だったが、最近ではだいぶ楽に扱えるようになった。
     しかし、まだ実戦的な訓練は何一つ受けていない。
     リュカもピエールも、まずは体力づくりが大事だと言い、素振り以外は体力トレーニングしかさせてくれない。ロムもそれには不満を感じていたが、しかしそれを口に出すことはしなかった。もともと自分のわがままで同行したのだから、文句を言う資格はないと、幼いながらもロムはそうわきまえていた。
     それに、全く不満しか感じていなかったわけではない。
     朝起きて剣を振るごとに重みが感じられなくなっていくのが嬉しかった。だんだんと自分も逞しく育ってきているのが実感できたからだ。
     僕はもっともっと強くなるんだ。そして、父さんの旅の手伝いをするんだ。
     いつしか、ロムはそう考えるようになっていた。
    「ロム、最近調子いいじゃない」
     肩の上のベスが珍しくほめる。
    「ああ、どうだい? 僕もずいぶんとさまになってきただろ」
    「調子に乗らないの。あんたのなんか、素人に毛が生えた程度なんだから」
    「あいかわらずキツいなぁ」
     ロムはぽりぽりと髪を掻く。
    「ロムはときおり、調子に乗る悪いクセがあるからね。あたしがいつも釘を刺しておかないと」
    「ちぇ」
     素振りを止めたロムは、甲板の手すりに腰掛ける。
    「そりゃ、僕だってまだまだだってことはわかるさ。だけど、いつかは」
    「ロムッ!!?」
     唐突なベスの叫び声。
    「はっ?」
     呆然と返すロムは気づかない。海上から、一本の触手が上がったことに。
    「うえよ!」
    「へっ、う、うわぁっ!」
     ようやく気づいたロムが、後ろに転がりまわる。間一髪、ロムが座っていた場所に触手が襲い掛かる。
     ドウゥンッ、
     その強烈な一撃を前に、甲板の一部が木っ端微塵に破壊される。
    「あ、あ、あれ、だ、だ、だだだ……」
    「大王イカよっ!??」
     ベスの叫びに答えるかのように、触手の本体が海上に姿を現す。
     船と同等、いや、それ以上の大きさのイカだった。無数の手足をうごめかし、その大きな目はギロリとロムをにらみつけている。まるで、照準を合わせているかのように。
    「ロム! は、はや、はやく、にげるわよっ!」
     肩の上のベスがぴょんぴょん忙しく跳ねる。
    「う、ううう、うん!」
     だが、とっさのことに混乱してしまったロムは、思うように立ち上がることができない。
    「なにやってんのよ、バカッ!」
    「バ、バカいうな! 文句があるなら手を貸せ」
    「手なんかあるわけないじゃない!」
     あたふたと混乱する二人のことなどおかまいなしに、大王イカは伸ばした触手で、むんずとロムを拾い上げる。
    「う、うわあっ」
     自分の意思とは関係なく、足が床から離れる。
    「や、やめろ、やめろ! は、はなせよ、このぉ」
     じたばたともがくが、胴体を長い手で巻かれ、どうにも自由にならない。
    「この、このぉ!」
     ロムは手にしていた木刀で、触手をつっつく。
     だが、想像以上に逞しい皮膚に、ロムの一撃は簡単にはじかれてしまう。
     しかも、その抵抗に怒った大王イカは、力を込め、ロムの身体を締め付け始めた。
    「く、くるしいぃ」
     たちまち、ロムの顔が真っ青に染まり、ぶらりと垂れ下がった手から落ちた木刀が、床に転がる。
    「ロムッ! こらぁっ、ロムになんてことするのよっ」
     ベスが火を吐くものの、その効果は表面を軽くあぶるだけだった。
    「い、いたたたた! いたいいたい! あ、あばら、折れる、折れるっ!」
     ぎゅうぎゅうに締め付けられ、ロムが悲鳴を上げる。
     もうだめだ、そう思った時だった。
    「メラミッ」
     グオオォッ、
     突如放たれた炎の弾丸が、大王イカの腕に当たり爆発する。さすがにこの一撃には堪えたのか、大王イカはロムを解放する。
     まっさかさまに落ちていくロムを、かろうじて拾いあげたのが、フローラだった。
    「ロム、しっかりっ!」
    「か、かあ、さん」
    「よかった、派手な音がして来てみれば、まさか、こっちにも、こんな魔物が……油断していたわ」
    「フローラ!」
    「ベス、あなたは怪我はない?」
    「それよりロムがっ!」
    「ぼ、ぼくは、だいじょうぶだよ。そ、それより、とうさんたちを」
    「だめなの、船首の方にもかなりの数の魔物が襲ってきて、リュカさんたちはあそこの守りで手一杯な……!」
     とっさにフローラはロムを抱きかかえたまま右に飛ぶ。大王イカが触手を叩きつけてきたからだ。
    「おにいちゃんっ!」
     船室からフィアが飛び出してくる。
    「フィア、来てはだめっ!」
     フローラが怒鳴ってきかせる。
    「フローラ、またきたよっ!」
    「くっ!」
     大王イカが放つ叩きつけ攻撃を、フローラはなんとかよけ続ける。だが、みるみるうちに甲板は散々たる有様に。
    (いけない。このままでは、ストレンジャーがもたない。ここは、無理にでも攻撃に転じないと)
     フローラは大きく後ろにジャンプして大王イカの攻撃をやり過ごすと、ロムを帆の柱の前に横たわらせた。
    「いい、ここを動いてはだめよ」
    「かあさん、ひとりじゃむちゃだよ! そりゃ、かあさんは呪文使いだけど」
    「安心して」
     にこっ、とフローラは微笑む。
     そのスマイルに、ロムはもはや何もいえなくなってしまう。
     ロムに背を向け、大王イカに向かってフローラは走った。走りながら呪文を唱え、放つ。
    「メラミッ」
     先ほどと同じ火炎の弾丸を発射するものの、大王イカはそれを無数の触手の中の一本で軽く弾いてしまう。
    「くっ、もっと、魔力を込めて撃たなければ、あいつには効かない」
     だが、その時間を大王イカが与えてくれるとは、どうしても思えなかった。
     以前、容赦のない攻撃が浴びせられる。フローラはなすすべもなく、ただ避けの一手を取らざるをえない。
    (くっ、どうすれば……)
     その時、フローラの目線に、ロムが落とした木刀が止まる。
    (……剣っ!? できるの。『今』のわたしに……?)
     だが、どちらにせよ、このままでは確実に殺される。
     いちかばちか、フローラは賭けてみることにした。
     大王イカの攻撃を紙一重の差でかわし、地面に落ちていた木刀を拾い上げる。
    「えっ! ぶ、武器っ!?」
     ベスは驚く。
    「な、なんで」
     ロムも愕然とする。
    「かあさんって、魔法使いでしょう?」



     木刀を手に取ったフローラは、それを上段に構える。
     その構えは、今まで剣を使った者とは思えないほど、さまになっていた。
    (認めたくないものね。身体が覚えてしまっているなんて)
     言いようのないせつなさが込み上げる。
    (私の前世が天空の勇者エルフォーシアならそれはそれでかまわない。だけど、今のわたしに、当時ほどの力は残ってはいない。わたしは、すでに枯れた『勇者』なのだ……こんな私の力が、今の魔族にどれほど通用するというのだろう。私は、リュカさんが望んだ勇者ではない。このことをあの人に知られたら、わたしは……)
     ぶるっ、フローラは身体が震え上がるのを感じた。
     だが、その震えも、今は無理やり押し込める。
     頭上に迫る生きた鞭を避けて、フローラは飛んだ。それは、普段はおとなしい淑女の彼女からは想像もできないほどの跳躍力だった。
     フローラは木刀を天高く構え、精神を集中させる。すると、彼女の身体からあふれ出したオーラが、武器に浸透していく。
     そして、彼女は完成した必殺剣を、惜しむことなく相手に向けて叩きつけようとした。
     その時、
    「剛破閃ッ!」
     何者かの掛け声と共に放たれた真空の刃が、フローラのかわりに大王イカの触手を何本か切り裂いた。
    「えっ?」
     突然のことに、フローラは思わずバランスを崩し、なんとか地面に着地する。
    「大丈夫ですか、フローラ!」
    「ピ、ピエール!?」
     フローラが振り向くと、いつの間に駆けつけたのか、白い鎧を身に纏った美丈夫が剣を片手にやってくる。
     しまった。今のを見られたのではないか、と一瞬不安になる。
     だが、ピエールはそんなそぶりはみせず、大王イカをキッとにらみつけた。
    「リュカさんたちは?」
    「まだ戦っています。ですが、あなた一人では不安なので、リュカが私を……。それに、向こうはだいぶ片がつきましたし」
    「そ、そう」
     フローラは慌てて木刀を地面に転がした。ピエールがきたということは、前衛は彼に任せてもいいことになる。無理に剣を振り回して、自分の正体を明かすこともない。
    「フローラ、申し訳ないが、援護をお願いできますか」
    「心得ましたわ」
     フローラは立ち上がると、短く呪文を唱えた。
    「マヌーサ」
     すると、どこからともなく、辺りに白い霧が立ち込める。
     突然の目くらましに、大王イカは驚き、うろたえた。だが、フローラが唱えたマヌーサの呪文は魔物にのみ効力を発揮するようにアレンジがされている。ピエールには、敵の位置は端から筒抜けだった。
    「ゆくぞっ」
     ピエールは鎧を鳴らしながら走った。そして、水平に構えていた剣を思いっきり返す。
    「剛破斬ッ!」
     ピエールの剛剣が炸裂した。
     彼の魔神一刀流はパパスほど洗練されてはいない。だが、それでも大王イカくらいは真っ二つにできるほどの威力は持っていた。
     胴体を両断された大王イカは、なすすべもなく海中へと沈んだ。そして、二度と浮かんでくることはなかった。
    「ふぅ、なんとかかたがつきましたか」
    「あ、ありがとう。ピエール」
    「礼には及びませんよ」
     ピエールはすっ、と剣を鞘にしまう。
    「……それにしても」
     ピエールは視線を彼女の下……そう、床に落ちた木刀に目を向ける。
    「フローラ。あなた」
    「い、いやですわ。わたしはただ、ロムの大切なものを魔物に壊されては困ると思って」
     フローラは慌てて取り繕う。
     ピエールは怪訝な顔をしていたが、
    「おーい、大丈夫かぁ」
     と、リュカたちがようやく駆けつけたので、ひとまず彼女から目線を引いた。
    「リュカ。そちらは片付いたのですか」
    「あぁ。なんとかね」
     リュカの手にする鋼の剣には、マーマンの血でべっとりと濡れている。それを傍目で見ていたロムは、ぶるっと身を震わせた。
    (これが、戦いなんだ……命と命の奪い合い。勝った方が生き、負けた方が死ぬ)
     自分の決意は、甘かったのかもしれない。そう思わざるを得ない。
    「やっぱり、海の魔物が凶暴化しているというのは、本当みたいだな。有無を言わさず襲ってきたよ。説得の通用する相手ではなかった」
    「そうだろうそうだろう」
     と、船室から顔を出すロックベル船長。
    「魔物の凶暴化さえなければ、今頃は大航海時代の真っ只中なんだろうけどよ。それよりも、さっきの襲撃で、船がかなり壊されちまったなぁ」
    「うむ。酷い有様じゃのう」
     マーリンが荒れ果てた甲板に目を向ける。あちらこちらが見事なまでに壊され、あたり一面に板切れが散乱している。
    「船長。修理できますか」
    「あぁ。このくらいならな。だが、海上では直せないな。ちゃんとした造船所のある港までいかないことにゃ」
    「幸い、あと二日ほどでテルパドール大陸にたどり着けるぜ」
     と、メッキー。
    「えっと、海図によるとだな。このまま南下すれば、サラーマっていう港町に出るぜ。そこなら、船の修理も可能なんじゃないかい?」
    「あと二日か。その間、魔物の襲撃がないことを祈るのみだな」
    「そうじゃのう。のう。ピエール。ん?」
     ピエールは途中から話を聞いていなかった。その厳しい視線は、子供たちをつれて船室へと向かっていくフローラの後姿に向けられていた。
    (やはり気のせいなどではない。あの時の構えは、間違いなく剣術。しかも、相当なものだった……)
    「リュカ」
     ピエールは、ふと、リュカに聞いてみた。
    「ん? どうした。ピエール」
    「フローラは、この五年間の間に、何か変わったことがあったりしませんでしたか」
    「ど、どうしたんだい。急に。変わったこと」
     なぞめいた質問に、リュカは目をきょとんとさせる。
    「いえ、たとえば、魔術に磨きをかけたとか、誰かから護身術を習ったか、とか」
    「うーん。特にそういうことはなかったよ。サラボナにいた頃は、フローラが家事全般を切り盛りしていたからな」
    「そうですか……最後に、フローラは剣を嗜むことは?」
    「ははははは。それはないよ」
     リュカは笑って否定した。
    「フローラは魔法の腕はかなりのものだけど、実戦で剣を握ったことは僕の知る限りないな。それに、想像もできないしね。なんで、そんなことを聞くんだい?」
    「……いえ、ふと思っただけです」
     そう言って、ピエールはさっさと船室に引き返す。リュカが怪訝な顔でこちらを見つめていたが、彼は振り返らなかった。
    (私とてグランバニアの騎士だ。フローラのあの構えを見ればわかる。彼女の技量は、相当なものだ。もしかしたら、私と同等、いや、それ以上かもしれない。類まれなる魔力を持ち、その上、剣術にまで長けている。フローラ……いや、『あなた』は一体、何者なんだ)



     船は無事にサラーマの港町に到着した。
     サラーマの港町……砂漠と砂浜の間に位置する、比較的大きな町である。
     砂漠を背景に石作りの建物が並ぶ光景は、異国めいた雰囲気を醸し出している。
     傷ついたストレンジャー二世をドックに停泊させたリュカ達は、一度ここでロックベルら乗組員達と別行動を取ることとなった。
    「あんたらが帰って来るまでは、船は元通りにしておくから安心しな」
     ロックベル船長を信用して、リュカ達は港を後にする。
    「うわぁ、すごいや!」
     初めての異国に足を踏み入れたロムとフィアはおおはしゃぎだ。
    「旦那。今日のところは宿をとろうや。女子供はさすがに疲れているだろうよ」
    「メ、メッキーにさんせいぃ」
     最近また船酔いが再発したフィアは、よろよろと一人挙手する。
    「よし、それじゃ僕らで準備は済ませておくから、フローラたちは先に宿にいっていてくれよ」
    「わかりましたわ。あなた」
    「ぼくはまだ平気だよ」
     と、ロム。宿なんかよらずに、早く町を見物したい気持ちで一杯だ。
    「しょうがないな。迷子になるんじゃないぞ」
    「うん。気をつけるよ」
    「だいじょうぶ。あたしがついているから安心して」
    「そうか。それなら安心だな」
    「……む。なんか、傷つく発言だよ」
     ロムは一人へそを曲げた。



     フローラと別れて繁華街へと繰り出したリュカたちは、そこで買い物を済ませた。
     砂漠の旅は初めてだったが、メッキーが以前テルパドールへ来た経験があり、必要なものは皆そろえることができた。
     水に食料。日よけのマントや駱駝のレンタル。その他色んな物を用意した。
    「さて、一通り揃え終わったかな?」
     リュカが荷物を背負い直す。
    「リュカ。ひとつ、忘れ物がありますよ」
    「おっと、そうだった」
     リュカとピエールは、共にロムに目をやり、ふふっ、と微笑む。
    「えっ?」
     わけのわからないロムは、きょとんとする。
     誘われるがままに連れて行かれた先は、武器や防具を扱う店だった。
     こじんまりとした小さな店だが、品質は良質らしく、値段が手頃なものから名鍛冶師が鍛えた銘入りのものまで、幅広く揃っている。
    「と、とうさん。これって」
    「あぁ。ちゃんと稽古を続けているみたいだからな。父さんとピエールから、プレゼントだ」
    「あ、ありがとう! とうさん!」
     ロムの喜びようは今にも飛び上がってしまいそうなほどだった。
    「ありがとう! ピエールさんっ!」
    「いえいえ。それに、陸地の旅は船の時とは違いますからね。自分の身は、自分で守らないといけません」
    「う、うん」
     ごくっ、とロムは唾を飲み込む。
    「ピエールや。そんなに脅かすもんじゃないぞい」
     と、マーリン。
    「ううん。ぼく、わかるよ」
     ロムは真剣な目で頷く。
     この間の大王イカの時だって、フローラの助けがなければ今頃自分はあいつの腹の中で、綺麗サッパリ消化されていたに違いない。
     旅は楽しいだけじゃない。楽しいことと同じくらい、過酷なのだ。
    「それに、父さん達の足手まといにはなりたくないからね」
    「へへ、いうじゃねぇか。ロム。男だねぇ」
     メッキーは感心げに笑った。
    「よし、そんじゃ、俺は盾をプレゼントしてやろうかね」
    「え? 盾?」
     ロムは慌てるような目で父とピエールを見る。
    「そうか。盾か。いいかもしれないな」
     リュカは納得げに頷く。
    「ええ、私やリュカは物心ついた時から両手用の剣に慣れてしまっていますが、片手剣に盾というスタイルの方が攻守のバランスがいい」
    「けど、ピエールさん。僕、盾なんか持ったこともないよ」
    「大丈夫ですよ。私も多少の心得はありますので、後で教えて差し上げます」
    「ふぅ、よかったぁ」
     ロムはほっと胸を撫で下ろし、メッキーに「ありがとう」と元気な声で言った。
    「へへ、いいってことよ。それよりも、早く選んじまおうぜ」
    「うん」
     ロムはこくりと頷いて、店頭に並んでいるさまざまな武具に目を向けた。
    「ロムはまだ小さいからな。皮の盾が妥当な線だろう」
    「そうですね。それでは、剣は銅の剣あたりがよろしいでしょう」
    「値段も手頃じゃしのう」
     と、最後にマーリン。
    「みんな、本当にありがとう」
     嬉しさのあまり、ロムの目は少しだけ潤んでいた。



     リュカ達が宿についた頃は、もう日も落ち、辺りは暗くなっていた。
     一行は明日に備えて早めに夕食を取り、それぞれの部屋へと入っていった。
     だが、ベッドの中で、ロムはなかなか寝付くことができないでいた。初めての異国で過ごす夜、そして、初めて買ってもらった武器と防具。それらのことで気が高ぶっており、目を閉じていても、なかなか夢の世界へと入ることができないのだ。
     部屋の明かりはすでに消え、隣のダブルベッドからはリュカとフローラの静かな寝息が聞こえてくる。
    「フィア、ねぇ、フィア」
     ロムは話がしたくて、寄り添うように寝ている妹の肩を揺さぶった。
     だが、ようやく船酔いから解放されたフィアは、ぐっすりと寝入っており、全然目を覚まさない。
    「……散歩でもしてこよう。宿の周りなら、危険もないよね」
     ロムはこっそりとベッドから抜け出すと、こっそりと部屋を抜け出した。一応、用心のために買ってもらったばかりの銅の剣と皮の盾を持ち出すのを忘れずに、である。
     宿の外は噴水広場になっていた。砂漠の町なのに、公園にはちゃんと草木が生い茂っている。
     幸いにも、自分の行動をとがめるような大人の姿はどこにもない。ロムはほっとため息をつくと、さっそく、銅の剣と皮の盾を身に付けてみた。
     銅製とはいえ、五歳の子供の腕には、かなりずっしりとくる。その上、もう片方の手で盾を持たなければならないのだ。
    「こりゃ、ある程度の慣れが必要だなぁ」
     ロムはそう呟いて、とりあえず素振りを始めた。
     木刀とは勝手が違い、銅の剣はナイフを一回り大きくした程度の大きさだ。振り回すのは至極簡単だった。皮の盾の重さも、すぐにあまり感じなくなる。
    「なかなか、さまになっていますよ、ロム」
     聞き覚えのある声に、ロムはぎくりとなった。
     恐る恐る後ろを振り向くと、そこには、銀髪の美丈夫が寝間着姿のまま、こちらを見つめていた。
    「あ、ピ、ピエール、さん」
    「いけませんね、ロム。勝手に外を出歩いては」
    「ご、ごめんなさい。どうしても、寝付けなくって」
     ロムは慌てて頭を下げる。
    「ははは。次からは、気をつけてくださいね」
     ピエールは叱る気は全くなかったらしく、笑顔で頷いてくれた。お許しがでて、ロムもほっと笑みを取り戻す。
    「さぁ、ロム。続けて。せっかくだから、夜間訓練といきましょう。ただし、少しの間だけですけどね」
    「はいっ!」
     それから、ロムは約三十分の間、ピエールに素振りを見てもらった。時折入る彼の適切なアドバイスにより、ロムの動きは訓練前よりもずいぶんとさまになっていた。
     訓練が終わり、ロムとピエールは二人してベンチに腰掛けた。
     ロムはすっかり汗だくで、彼が差し出してくれたタオルで顔を拭いていた。
    「ロム。ずいぶんと上達しましたね。驚きましたよ」
    「え? そ、そうかな?」
     ロムはタオルを持つ手を止めて、きょとんとした顔でいう。正直、あまり実感がなかった。素振りばかりをしていて、いまだに実戦の経験がないからかもしれない。
    「えぇ。この分なら、もっと、実戦を意識した訓練に切り替えてもいいようです」
    「実戦かぁ」
     心なしか、ロムの声は力がない。
    「怖いですか? 魔物と戦うことが」
    「たぶん」
    「魔物とだけではない。山賊などといった人間とも、時には刃を交えなければならない時もあります」
    「に、人間とも」
     ロムの目が大きく揺らぐ。
    「ぼく、いやだよ。誰かの命を奪うなんて」
    「ロム……」
    「剣の稽古は好きさ。でも……」
    「ロムは優しいですね。大丈夫。あなたは、そんなことを気にする必要はありませんよ。あなたはまだ小さいんだし」
     ピエールは落ち込むロムの頭を優しく撫でる。
    「それに、私としても、あなたの手を血で汚したくはない」
     ……私達と違ってね。
     口には出さないピエールだったが、自分もリュカも、自らの手が血で真っ赤に染まっていることは知っている。魔物に襲われれば斬って捨てた。山賊が相手でも、それは変わらない。リュカも、ピエールも、あのフローラですら、人の命を奪った経験はあるのだ。生き延びるためとはいえ、人間を殺めたという事実は変わらない。
     ……この子は、本来は私達と同じ世界にいてはいけない子なのだ。だが、共に旅をする以上、我々が、出来る限り、この子を守ってやらねば。肉体的にも、精神的にも。
     この夜のおかげで、ピエールはその決意をよりいっそう強めることができたのだった。


     日が昇り始めた頃に、リュカ達は宿を出た。
     重い荷物を駱駝に乗せ、彼らは徒歩で南の王都テルパドールを目指す。
     ただ、全員が砂漠を旅するわけではなかった。
     旅慣れておらず、体力に劣るロムとフィアが、過酷な砂漠の環境に耐えられるはずがない。
     ロムは断固として反対し、強引に参加のチケットを勝ち取ったが、フィアはお留守番だ。彼女も両親の元を離れたがらなかったが、小さな女の子にとって、今回の旅はあまりにも辛すぎる。そこで、彼女はリュカ達が戻るまで、ストレンジャー二世号で預かってもらうことになったのだった。
     一人リュカの後をついてきたロムも、二日、三日とたつたびに口数も減っていった。だが、それは誰もが同じことだった。ただ一人、メッキーとベスだけは普段通りのマイペースさを崩してはいない。
    「おまえ、なんでそんなに涼しげな顔をしてるんだよ……」
     と、ロムは肩の上のベスを睨むような目で見た。
    「火を吐けるスライムが、暑さでへばっちゃ、しゃれにもならないでしょ。さぁさぁ、とっとと歩く歩くっ」
     と、相変わらずの調子だ。
     砂漠の敵は、照りつける太陽だけではない。火の属性を持つ魔物達の襲撃も、もちろんあった。
     炎を自在に操る炎の戦士や、高温の泥で出来たマドルーパーといった魔物達が、容赦なく襲いかかってくる。
    「ロムはさがってっ!」
     フローラの声に、ロムは素直に従った。相手の力量が測れないほど、彼は子供でもない。旅に同行した以上、両親の足手まといにだけはならないと決めていたロムである。自分を盾にするあまり、思うように戦えないという事態になることだけは絶対にしない。そう彼は決心していた。
     だが、今回の場合、それが裏目に出た。
     魔物の攻撃が届かない位置まで後退したロムの足元から、突如新たな魔物が湧き上がるように出現した。
    「うわあっ!?」
     それは、ホースデビルと呼ばれる低級の悪魔だった。体つきは人だが、その顔は馬そっくりで、背中には悪魔の翼を生やした、恐るべき魔物だ。
    『グフフフフフ。砂の中でじっと待っていれば、お前一人孤立すると思っておったわ』
     ホースデビルは間違いなく人間の言語で喋っていた。だが、その残虐さを帯びた声を聞けば分かるとおり、説得の通用する相手ではないことは明らかだった。
    「くっ!」
     ロムは逃げ出したい気持ちを必死で抑えて、銅の剣を構えた。
    「ロムッ! だめよ、にげなさいっ」
     ベスが悲痛な声で叫ぶ。
    「だ、だめだよ、背中をみせたら、やられるっ」
    『ふふふ、なかなか勇気のある小僧だ。余計に喰ってみたくなったぞ。人間の、とりわけ子供の肉は甘くて柔らかいからなぁ』
     ホースデビルはその馬面で舌を嘗め回した。ぞくっ、とロムの背筋が凍りつく。
    「だれがお前なんかにたべられるもんか! ぼくはたべたって、きっとおいしくなんかないぞっ!」
    『喰ってみれば、わかるわぁっ!』
     ホースデビルは鋭い爪をロムの頭上めがけて振り下ろしてきた。
    「だめぇっ!」
     ベスは両目を瞑った。
     だが、ロムはその一撃を、寸前のところでしゃがんで交わした。
    『な、なにぃっ!??』
     その声はホースデビルのものだったが、ロム、ベスの二人も驚いていた。
     ……か、かわせた?
    『く、ま、まぐれだっ!』
     ホースデビルは続けざまにキックを放ったが、それもロムに避けられてしまう。
     それは、あきらかにまぐれではなかった。その証拠に、ロムの目は確実にホースデビルの動きを捉えていた。
     このときのロムは無我夢中だった。ちょっとでも避けるのをミスれば、自分の命はない。
     それは、死という恐怖との戦いでもあった。
     いやだ。まだ死にたくない。
     そんな極限状態がそうさせたのか、ロムは初めて、自分から反撃にでた。
     大降りの拳を振り下ろしたその隙を見計らって、ロムはホースデビルの懐に飛び込んだ。そして、頭から思いっきり体当たりを食らわせる。
    『う、うおおっ!』
     この小さな身体のどこにそんな力があったのだろう。その威力は、巨漢ともいうべきこの魔物を派手に吹き飛ばすほどだった。
    『か、かはぁっ……!』
     あまりの衝撃に、ホースデビルは肺をやられ、息をすることもできない。
    『ぜ、ゼイゼイ……こ、この小僧、バケモノか!?』
    「ロム、大丈夫かっ!」
     その時、ようやく他の魔物を片付けたリュカ達が、彼の元へと駆け寄ってくる。それを見たホースデビルの顔がさぁっっと青ざめた。
    『お、俺の仲間がこんなに簡単に!? ひ、ひいぃぃぃっ!』
     先ほどまでの威勢はどこへいったのやら、ホースデビルは文字通り、尻尾を返して逃げていった。
     リュカは、撤退する魔物には目もくれず、砂の上に倒れたままのロムを抱き上げた。
    「け、けほ、けほっ」
    「だいじょうぶか、ロムッ!」
    「う、うん。へ、へいきだよ。怪我もしてない」
    「あぁ、よかったっ」
     リュカは少年を力いっぱい抱きしめた。
    「ごめんな。まさか、魔物があんなところに潜んでいたなんて。お前には、怖い思いをさせてしまったな」
    「こ、こわくなんかは」
    「本当か?」
    「……ううん」
     ぎゅっ、とロムは父にしがみついた。
     彼にとって、初めて実戦と呼べる戦いは、こうして終了した。
     ロムは、今自分が生きていることが、素直に嬉しいと感じていた。


      
     3



     サラーマの港町を経って数日後に、リュカ達はオアシスのある休憩所へと立ち寄った。
     そこはサラーマからテルパドールへ向かう者達にとって、中間点であり、食料や武器、防具が手に入る唯一の施設だった。小さいながらも市場があり、昔は大勢の商人と旅人で賑わっていたが、今ではそんな光景も見る影もなく潜めてしまっている。
    「魔物が凶暴化しているせいでしょうねぇ」
     宿の主は、ため息まじりに宿帳に記入した。
    「最近は旅人もろくに寄り付きませんよ。幸い、オアシスの治安はテルパドールの兵士達が駐留しているので、安全ですがね。それにしても、ここ数年にかけての魔物の凶暴化は異常ですよ。噂じゃ、この世界と魔界との扉が開きかかっている影響があるのが原因とか。くわばらくわばら……」
     ……魔界の扉か。
     フローラは一人、眉をひそめた。
     魔界。それは彼女がエルフォーシアだった頃、魔王デスピサロと最後の戦いを繰り広げた異界だった。太陽の光の届かない、はるか地底に存在する世界……毒々しい瘴気で満ち溢れ、地上とは比較にならないほど凶暴で強力な魔物が出現する、まさに地獄だ。
     魔界の瘴気が地上へと漏れ出しているのだとしたら、地上の魔物の凶暴化も納得できる。
     ……そういえば、リュカさんのお母さまは、魔界の扉を開くために魔族にさらわれたのだ。あれから、もう二十数年近く経過している。もしかしたら、もう、魔界の扉は……
     フローラは自らの想像に恐怖を覚えた。
    「どうした? フローラ」
     リュカの声に、彼の妻はハッと現実に引き戻された。
    「い、いいえ。なんでもありませんわ」
     慌てて、フローラは笑顔で首を横に振る。
     その様子を、ピエールだけが、じっと鋭い目線で見つめていた。




    「……なるほどのう」
     ピエールの相談を受けたマーリンは、顎をしゃくる仕草をした。
     宿に入ってすぐに、ピエールはこっそりと旧友であるマーリンを外に連れ出した。誰もいない宿屋の裏へと回ると、彼はここ数日間抱いていた疑問を、思い切って彼にぶつけてみたのだった。
    「おぬしは、フローラが実は別人だとでもいいたいのか?」
    「……私も、どう言葉で表していいのかわかりません。ですが」
     ピエールの目は、いまだ、迷いで揺らいでいた。
    「あなたは感じないのですか。フローラに対して、以前とは違う、違和感のようなものを。私は時折、彼女が別人に見える時がある。それに何より、あの時、大王イカと対峙するフローラには、まるで隙がなかった。あれは、よほどの修練を積んだ剣士の構えです。しかも、幾度となく修羅場を潜り抜けた者の……」
    「フローラに関して、わしは何も違和感など感じはせぬよ……と、いいたいところじゃが」
     マーリンは、うーむ、と唸って見せた。
    「この間、久しぶりに彼女と呪文の掛け合いをしていた時じゃ。あの子は、わしの弟子でもあるからな。子供を産んで魔力が落ちたというから、どの程度力が減少したのか図ってみようと思ったのじゃ。その時な」
    「その時、なんです?」
    「オーラが、以前とは違っていたのじゃ」
    「オーラが……」
    「さよう。オーラとは、簡単にいえば、魔力の色じゃ。力を持った術者が高度な魔術を詠唱する時や、本気になった時にオーラは現れるもの。オーラの色は指紋と同じで、人によって千差万別。生涯変わることはない。以前のフローラの色は、透明のかかった白いオーラじゃった。だが、この前の彼女のオーラは……」
    「色が、違っていたのですか?」
    「いや、色自体は変わってはおらん。だが、わしにはわかる。あのオーラの力は、普通ではない」
    「普通ではない?」
    「わしはこうみえても数百年は生きておる。今まで、数え切れないほどの魔術師のオーラを見てきたが、あの時感じたフローラのオーラは、他の人間にはない、特別な何かを感じた。どう言い表せればいいのか……悩むのじゃが、そうさな、あのオーラは、人間のものよりも、むしろ、天界に住む有翼人のそれに近い。天空神の加護を帯びた、聖なるオーラじゃ。しかも、あの輝きはただの天空人のもとではない。あの異質、あの力、あの感じ、そして何より、魔物のわしだから感じるプレッシャーは、魔を払う、破邪の気じゃ。それに、何より、決定的なことは……」
     言いかけて、マーリンはハッとした。
    「……いや、まさか……そんなはずが」
    「マーリン、言って下さい」
    「…………」
     マーリンは、ごくり、と生唾を飲み込んだ。そして、しばしの溜めの後、思い切って口を開く。
    「あの時感じたオーラは、天空の剣や盾から発せられる、ごく微量なオーラと、酷似しておった……」
    「……やはり、フローラは、実は」
    「ピエールよ。結論を出すのは早い」
     マーリンは割り込むように早口で言った。
    「もし、彼女がリュカの捜し求めている者なら、どうして今まで黙っていたのじゃ?」
    「わかりません。彼女自身、自分がそうなのだと確証がなかったのかも。いいえ、もしかしたら、今もまだ、はっきり自覚してはいないのかもしれません。だから、今もまだ言い出せないのかも。それに、もしかしたら、それ以外にも何か理由があるのかもしれません」
    「……試してみる必要がありそうじゃのう。あの子の気持ちを無視するようで悪いが、我々は、これでもリュカの同志なのだから」
     ピエールとマーリンは、互いに頷きあった。



     その夜。
     ピエールとマーリンは、思い切って、フローラを外へ連れ出すことにした。
     部屋を訪ねた時、フローラは手帳サイズの日記帳に今日の出来事を記している最中だった。
    「フローラ、夜分遅くすみません」
    「あら、ピエール。それに、マーリン。どうなさったの?」
     振り向いたフローラが笑顔で答える。その邪気のない微笑みに、ピエールは胸を痛めた。
    「失礼。実は、折り入って、話したいことがありまして」
    「私でよければ。えっと、ここでよろしいのかしら」
    「いえ、できれば、場所を変えて頂きたい」
    「わかりましたわ」
     フローラは手帳を閉じると、椅子から立ち上がった。
    (すみません……フローラ)
     ピエールは心の中で、先に詫びた。



     ピエールとマーリンは、フローラを宿の外へと連れ出した。
     砂漠の夜は冷える。彼女も、心なしか両肩を押さえている。
    「それで、ピエール。お話とは?」
    「それは……」
     ここにきて、彼は躊躇した。本当に、このような無礼なことをする権利が、自分にはあるのだろう、と。
     そんな彼を見かねて、マーリンが先に彼女に歩み寄る。
    「フローラよ。確か、お主の家に古くから伝わる家宝は、天空の盾じゃったな」
    「はい」
     フローラは表情を変えずに頷いた。一見すると、何の変化もないように見えるが、ピエールは気付いた。彼女の目が、わずかに揺らいだことに。
    「おぬしは、それにさわったことはあるかのう?」
    「いいえ。天空の盾は宝箱に納められ、鍵がかかっていました。私も見たことはありますが、じかにさわったことはありませんわ」
    「そうか……なら」
     マーリンはローブの懐に隠し持っていたその剣を、ゆっくりと取り出した。
     それは、紛れもなく聖剣……天空の剣だった。
    「何もいわずに、これを抜いてはくれまいか?」
    「…………」
     フローラの瞳が硬直する。
    「無理に、とはいわん。わしらも、無理強いをするつもりはないんでのう。じゃが、できれば、おぬしの口から、全てを語ってほしいものじゃ」
     マーリンはそういうと、フローラに天空の剣を持たせた。
     鞘に収まれたままの聖剣を抜けるのは、ただ一人、天空の勇者のみ。
    「……」
     フローラは、その手で柄を握り締めた。
     だが、一向に抜こうとする気配がない。
     彼女の目には、明らかに戸惑いの色がにじみ出ていた。
    (……これでは、埒が明かない。ならば)
     ピエールは、いけないことだと知りつつも、自らの剣に手を伸ばした。
    「フローラ……先にわびて起きます。失礼っ!」
     ピエールは柄に手が触れた瞬間、目にも止まらぬ速さで抜刀した。
     ハッ、とフローラは顔を上げる。その時には、にぶく光る鋼の剣の切っ先が、目の前に迫っていた。
    「ピエール! 何をするんじゃっ!」
     マーリンの怒声をピエールは無視した。
     元王宮騎士の一撃は、フローラの華奢な身体を真っ二つに引き裂く。マーリンは、襲いくる吐き気とともに、それを予感した。避けられるはずもない。
     だが、フローラは寸前のところで天空の剣を持ち上げ、その鞘の部分で攻撃を弾いた。
    「……ッ!!」
     マーリンは目を見張った。
    「あ、あれを、受け止めたっ! し、信じられんっ!」
    「……しまったっ」
     思わず、フローラは舌打ちをする。その時にはすでに、第二撃が襲い掛かる。
     ピエールの剣には、殺気は篭ってはいない。だが、その速さは、明らかに手加減をしているとは言えない。
     その一撃も、フローラは天空の剣を払ってやりすごす。
     続けざまに、ピエールは連続的に剣を放つ。
     それらは、剣は素人のマーリンには、目にも止まらぬ連続技にしか見えなかった。
     だが、同じ初心者であるはずのフローラは、それらの全てを、皆紙一重の差で避ける。
    (ピエールが疑うのもわかる。以前のフローラに、こんな芸当は不可能だった。ということは、今の彼女は、勇者として覚醒を遂げている……!?)
     凄まじい攻防が続く。ピエールの気迫とフローラの完璧なまでの防御が、全く均衡を崩さない。
    「なぜです! あなたは、こんなにも力があるのに、なぜこのことを黙っているのですっ!」
     ピエールが疑問をぶつける。
    「あなただって、リュカがどんな気持ちで天空の勇者を探しているか、知らないわけがない! あなたは自分にその力があるのに、それを隠し通そうとしている! なぜです! あなたは、リュカの妻なのでしょうっ!?」
    「知っています。知っているからこそ、言えないことも……っ!」
     その返答は、ピエールが期待していたものとは、全くの別物だった。
    「ならばっ」
     ピエールが力を込めた一撃で、フローラの身体を壁際へと追いやる。
     追い詰められ、逃げ場を失った彼女に向けて、ピエールは構えを取る。
    「剛破斬っ!? や、やめろっ! ピエールっ! やめるんじゃ!」
    「本当の勇者なら、この技程度、どうにかできるはずっ」
     そうは言ったが、さすがにこればかりは、ピエールも本気で放つわけにはいかない。あたるかあたらないかのところで、寸止めするつもりだ。
     だが、次の瞬間、その気はがらりと変わることになる。
     追い詰められたフローラの目が、明らかに変わった。
     それは、決意のこもった、戦士の目だった。
     彼女はゆっくりと、天空の剣の柄に手を伸ばし、確かに、握った。
    「魔神一刀流……剛破斬ッ!!」
     ピエールは、本気で技を放った。
     一撃必殺の剛の剣が、フローラめがけて襲い掛かる。
     だが、
    「………………!!!!」
     フローラは、無言の叫びと共に、鞘から剣を引き抜く。
     
     ライデイン・ファングッ!

     閃光を纏った光の剣が闇を一閃する。
     次の瞬間、後ろに吹っ飛ばされたのは、ピエールの方だった。
     その手に握られた鋼の剣は、真っ二つに折れていた。
     どさっ、とピエールは受身をする間もなく地面に転がる。
     それを見て、フローラは初めて、しまった、という表情を露にした。
     鞘から引き抜かれた、まだ誰も目にしたことのない銀色の刃。それはフローラのオーラの色と同じく、純白の光を帯びていた。
    「申し訳、ありませんっ」
     立ち上がり、ピエールは頭を下げた。
    「無礼をお許しください。フローラ。どんな罰をも受ける覚悟です。ですが、わかって頂きたい! 私達は……」
    「顔を上げてください。ピエール」
     その声は、驚くほどに柔らかいものだった。
     ピエールが顔を上げる。そこに待っていたのは、フローラの、諦めにも似た笑みだった。
    「では、お認めになるのですね。あなたが、天空の勇者だということを」
    「いいえ」
     だが、フローラはゆっくりと首を横に振る。
    「私は、天空の勇者などではありません」
    「で、ですが、あなたが実際に手にしているのは、紛れもなく天空の剣……」
    「そう、ですね。かつては」
     フローラは遠い目で、夜空の月を見上げる。
    「天空の勇者と呼ばれていたこともありました。ですが、もう、今の私には、あの頃ほどの力はない。そう、いま、この瞬間、時代が求めている勇者は、もはや、私ではないのです」
    「……っ」
     ピエールには、彼女の言っている言葉の意味が半分も理解できなかった。
     フローラは、いったい何をいっているのだ? 天空の勇者と呼ばれていたこともあった? そんなバカな。だって、この人は、まだ二十かそこらしか生きていないのだ。
    「なるほど、合点がいったわ」
     ただ一人、マーリンが神妙そうに頷いた。
    「おぬしがどうして、突然変わったのかも、こう考えれば納得がいく。フローラ。おぬしは、天空の勇者の、生まれ変わりじゃな?」
     その問いに、フローラ……かつて、エルフォーシア・グレンゾーンと呼ばれていた聖女はゆっくりと、だが、確かに頷いた。




     続く


      

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