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2010.03.22 Monday

反竜伝記 第三部 第二話 新たな船出

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    反竜伝記 第三部 第二話 新たな船出 
     
     反竜伝記 第三部 第二話 『新たな船出』


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     ギアノス団長に、初めて勝利した。
     そのことをようやく実感したのは、控え室に戻った時に起こった、激しい筋肉痛に襲われた時だった。
    「う、ぐっ」
     リュカは、自分のロッカーの前でうずくまり、片膝をつく。
     痛みはすぐに治まったが、額には大量の脂汗がにじみ出ていた。
    「はは、参ったな。こんなことでは、これから先が思いやられる」
     皮肉交じりの嘲笑を浮かべ、彼はなんとか立ち上がった。
     魔神一刀流は、比類なき剛剣だ。それゆえ、身体にかかる負担も大きい。
     その上、あまりにも威力が強大すぎるために、技にミスがあった時に跳ね返ってくるリバウンドは、想像を絶する苦しみだ。
    「俺は、まだまだ、この剣術を使いこなせてはいないみたいだな。悔しいが、独学では、ここらが限界か。やはり、父さんやピエールのように、完全にこの剣術をものにするには、あの国にいかねばならないみたいだな」
     リュカはまだ痺れの取れない手で、なんとか胴着を脱ぎ、私服に着替えた。
    「ふぅ」
     襟元を緩めると、リュカは額の汗を袖で拭った。
    「もしかしたら今日あたり、二人があの手紙を読んで、こっちにきているかもしれないな」
     最後に、彼は自分のロッカーの戸を閉めた。そして、かかっていた『リュカ』というネームプレートを外す。
     もう、二度とここに来ることもないだろうから。



     修練場を後にしたリュカは、そのまま門へと向かう。今日は、このまま帰宅するつもりだった。
     さすがに疲れたのか、歩くのもたどたどしい。
     足を引きずるように歩いていると、
    「お疲れのようですね。どうです? 肩でも貸しましょうか」
     横からそのような声が飛んできた。
     誰だろう。自警団の団員にしては、聞きなれない声だ。
    「いや、結構……」
     リュカは顔を上げる。そして、
    「……ピ、ピエールッ」
     驚きに目が大きくなる。
     そこに立っていたのは、間違いなく、あのピエールだった。五年もたったせいか、やや渋みを帯びた顔になったが、あの綺麗な銀髪と、屈強な肉体は確かに彼のものだった。
    「お久しぶりですね。リュカ」
    「ピエールッ! 来てくれたのか!」
     疲労の色をしていたリュカの顔色が、一気に明るくなる。
    「リュカ!」
    「ピエール!」
     二人は、ひしっ、と抱き合った。そして、身を離すと、互いにかたい握手を交わす。
    「よく来てくれた。ひさしぶりにあえて、嬉しいよ」
    「えぇ、私もです。変わりがなくて、安心しましたよ」
    「そうかな」
     リュカは、はにかみながら、指で鼻をさする。
    「えぇ、この五年の間で、一回り成長されたみたいですが、その澄んだ瞳の色は変わっていない」
    「充実な生活を送っていたからな。愛する妻と、愛しい我が子もいるしね」
    「……だ、そうですよ。フローラ」
     ピエールの呼び声で、リュカははじめて、ピエールの後方に別の人影がいるのに気がついた。
    「ふふ、もう聞き慣れていますわ」
     フローラはそれでも嬉しそうに微笑む。
     リュカは照れくさそうに頭を掻いていると、
    「おとうさんっ」
     フィアが元気に母の後ろから飛び出してきた。ぽんっ、とジャンプして、父の胸に抱きつく。
    「おっと、なんだ、フィア。帰ったんじゃなかったのか」
     リュカは甘えん坊の頭をくしゃくしゃと撫でる。そして、すぐに違和感に気付いた。
     そう、ロムがいない。
     いつもなら、兄の方も甘えに来るはずなのに、なぜか今日は、どこかよそよそしく母の背中越しに自分をじっと見つめている。
    「……どうしたんだい? ロム」
     リュカは膝をかがめた。すると、ロムは困ったように視線を泳がせると、
    「なんでもないよ」
     と、笑った。
    (……ロム)
     リュカは、何もいわずに、ただ、眉をひそめた。
     



     すでに時刻は夜の七時を回ってしまっていた。
     先ほどはあれほど月が鮮やかだったというのに、今は曇り空で月光は地上に届いていない。それどころか、今にも雨が振り出しそうな様子だ。
    「おかあさん、暗くて、周りがよく見えないよ」
     フィアが母のスカートの袖を引っ張った。
    「ちょっと待っててね」
     フローラは、小さい声で何かを呟いた。すると、彼女の手のひらから、小さな太陽が生まれた。
     宙に浮かぶ光の玉は、まるで松明のように辺りを明るく照らし出す。
    「うわぁ、レミーラだね」
    「そうよ、よく知っているわね、フィア」
    「わたしだってできるよ。んー、えいっ」
     ぽわっ。
     かざした両手から、綿ぼこりくらいの小さな光球が生まれた。だが、それは花火のようにすぐに萎み、消えてしまった。
    「あぁ、またしっぱい」
    「すごいわ、フィア」
     フローラはぽん、と手を叩いて喜ぶ。
    「えへへ」
     母に褒められ、フィアは照れくさそうに髪を掻く。
    「わたし、前におかあさんがこの呪文をとなえていたのをみて、一生懸命マネしたんだ。けど、まだまだね。すぐに消えちゃうもの」
    「いやいや、それでもすごいですよ」
     ピエールも魔法使いの卵に拍手を送る。
    「レミーラはメラやヒャドと同じく、もっとも基礎的な呪文ですが、それでも、五歳の女の子が独学で会得できる代物ではありません。ふふっ、フローラ。この子はもしかしたら、あなた以上の魔法の素質を持っているかもしれませんよ」
    「ほんとうっ!?」
     とたんに、フィアはキラキラとした目でピエールを見つめた。
    「おじさん! フィア、おかあさんみたいな魔法使いになりたいの。なれる?」
    「えぇ、しっかりと勉強すればね」
     ピエールはしゃがみこんで、フィアの髪をくしゃくしゃと撫で回した。
    「わぁい」
     フィアは飛び上がって喜んだ。
     そんな娘を微笑ましそうにリュカは見つめていたが、ふと気になって、もう一人の男の子の方へ視線を傾ける。
     いつもの元気はどこへいったのか、ロムは一言も言葉を発せず、俯いたままとぼとぼと歩いている。
    「ロム?」
     立ち止まって、リュカが声をかけると、驚いたようにロムは顔を上げた。
    「な、なに? とうさん」
    「さっきから元気がないぞ。歩き疲れちゃったのかな?」
    「う、ううん。そんなことないよ」
     ロムはゆっくりと首を横に振る。
    (ロム……)
     結局、リュカにはどうすることもできなかった。
     彼はまだ気づいてはいなかったのである。自分が旅立つことを、すでに息子に知られていたことなど……



     リュカ達が屋敷に戻ると、マーリンをはじめとする、スラリン、ベホマン、その二人の娘ベス、メッキーといった、懐かしい仲間達が彼らを出迎えてくれた。
     ピエールにとっては、スラリンとベホマンに会うのはほぼ五年ぶりである。元スライム族と現役スライム族の三人は、手と手(?)を取り合って再会を喜んだ。そして、また二人に子供が産まれていたことにも驚き、祝福した。
    「ふふっ、今日はご馳走にしなくてはいけませんね」
     フローラは気合をいれてエプロンを身に付ける。
    「フィア、お手伝いお願いね」
    「おっまかせっ」
     フィアもミニサイズのエプロンを着用し、厨房へと向かっていく母の後をちょこちょことついていった。
     そんなフローラを後ろ目で見送ったリュカは、すでにテーブルに用意してあったワインのコルクを指で弾く。
    「さぁ、ピエール、マーリン。今日は遠慮せずに楽しんでくれよ」
     リュカは笑顔で、グラスに酒を注ぐ。
    「ふぉっふぉ、お前さんと酒を酌み交わすのも、久しいのう」
    「ええ、今日ははめを外させて頂きますよ」
     マーリンとピエールはそう頷きあった。
    「それじゃ、再会を祝して」
    「……乾杯っ」
     お互いのグラスを重ねあい、高い景気のいい音が鳴り響く。
     今日の酒は、いつもより美味く感じるな。
     同じ銘柄のワインを好むリュカですら、今宵の酒は格別だった。
    「それにしても、今日で一番驚いたのは、スラリンとベホマンに子供ができていたことですね」
     ピエールは、テーブルの上で皿に浸した酒をちょびちょびとやっているスラリンを眺めながら、しみじみと言った。
    「こいつめ。なにが、ベホマンは妹みたいなもんだ、ですか?」
    「う、うるさいな」
     スラリンの顔が赤いのは、何もアルコールのせいだけではないのは明白だった。
    「オイラもあいつも、この五年のうちにいろいろとあったんだよ」
    「いろいろ〜♪」
     ベホマンといえば、先ほどからピエールとの再会が嬉しくてたまらないのか、彼の肩に無数の手足を巻きつかせたまま離れようとはしない。
    「けどまぁ、この子は母親になっても、ちっともかわりませんね」
    「まぁ、それがベホマンのいいところじゃよ」
     マーリンの頬は、すでに朱色に染まっている。
    「しかし、リュカ。お前は変わった、いや、大人になったな」
    「マーリン……」
     リュカはグラスへと伸ばした手を止める。
    「……五年前の俺は、そんなに子供っぽかったかな」
    「いやいや、そういう意味ではない。成熟したな、といいたいのじゃよ」
    「……そうか。そうだな。この五年間、必死だったからな」
     リュカはゆらゆらとグラスを揺らしながら、呟いた。
    「俺……いや、僕に、父親なんてものがつとまるのか。どうすれば、二人にとって頼もしい父親になれるのかってね。もちろん、悩んでも仕方のないことだから、努力したさ。自分のことを俺なんていうようにしたし、頑張って自警団の副団長にも出世した。頼もしい父親になりたい。ただそれだけのためにね」
    「リュカ……」
    「けど、いまだに自信がないよ。僕が、ロムとフィアにとって、頼りになる父親なのかどうか」
     リュカは暗い表情をしていたが、すぐに笑顔へと戻った。
    「すまないな、沈んだ話をしてしまって。さぁ、今日は無礼講だ。じゃんじゃん飲もう!」
     パンパンと手を叩く。リュカの笑顔は繕ったものだと、誰の目にも明らかだったが、それを表立って言う者は誰もいなかった。
     場はすぐに盛り上がりを取り戻した。次々と運ばれてくるフローラの手料理がテーブルにところ狭しと並び、今回だけは特別と、酒にもいろんな銘柄のものが用意された。
     美味い料理と美酒に酔いしれた一行は、この五年間の間に起こった出来事や思い出話を語り合いながら、この楽しい一時の夜を存分に満悦した。
    「そういえば、フィア」
     リュカはふと気になり、母の隣でオレンジジュースを飲んでいた娘に尋ねた。
    「ロムはどうしたんだい? さっきから、姿が見えないようだけど」
    「えっ? あ、そういえば」
     きょとんとして、フィアはその時になって初めて、隣でつまらなそうにショートケーキを食べていた兄がいないことに気付いた。
     皿の上のケーキも食べかけで、まだ苺にも手をつけていない。この真っ赤に熟した果実はロムの大好物だというのに。
    「ロムがどうしたの?」
     フローラも気になって身を乗り出してくる。
    「……うん。なんだか、さっきから様子が変だったなぁ。しょんぼりとしているっていうか、元気がないっていうか……」
    「……まさか」
     リュカとフローラは、顔を見合わせた。
     一抹の不安が頭をよぎる。
    「フローラ。ちょっと、みてくるよ」
    「私もいきますわ」
     二人とフィアは客人に失礼して、二階の子供部屋へと上がる。
     リュカは扉をノックしたが、返事は返ってこない。
    「ロム? いるんだろう? 入るよ」
     ドアノブをまわす。鍵はかかってはいなかった。
     部屋に入ったリュカ達だったが、そこにロムの姿はなかった。
    「あれ、いないのか?」
     ベッドの毛布を引っぺがしても、ベランダの隅を覗き見ても、洋服タンスの戸を開けても、息子はいない。
    「おかしいなぁ。あいつ、どこにいったんだろう」
    「……もしかしたら」
     はっとするフローラ。
    「……心当たりがあるのか?」
    「……はい」
     うなずくフローラの顔は、どこか複雑そうだった。



     フローラが止まったのは、書斎の前だった。
    「ここって……おいおい、まさか、ここにいるはずがないだろう。ここには鍵がかかっているんだぞ」
    「あら、窓の鍵が壊れているの、あなたも知っているでしょう」
    「あ、まだ直してなかったの。なんで?」
    「……ここが、ロムにとって一番大切なところ、だからよ」
     フローラはドアを開いた。ロムは心の隅で自分たちが来てくれるのを望んでいたのだろう。ロックはかかってはいなかった。
     書斎の中は真っ暗で静かだった。いつの間に振り出したのか、雨音だけがしんしんと鳴り響く。
     フローラは軽く詠唱してレミーラを唱え、部屋に明かりを創る。
     ロムは、すぐに見つかった。彼は、本棚に背もたれるように座っていた。その目はわずかに充血していた。
    「探したぞ」
     なるべくやんわりと、リュカは声をかけた。
     驚いて、ロムは顔を上げる。
    「……とうさん」
    「突然、いなくなるから、心配したよ。どうしたんだい。こんなところで」
    「……さっき」
     ロムが、ぽつりとつぶやく。
    「玄関の前に、とうさんが昔使っていたマントがかけてあったんだ」
    「え?」
     リュカは、ロムが何をいおうとしているのか、一瞬わからなかった。だが、すぐにハッと気づく。
    「ずっと、倉庫の中に閉まってあったのに、なんで、今日になって出したの」
    「そ、それは」
    「……やっぱり、いっちゃうんだ」
    「ロ、ロム」
    「僕、しっているんだよ。とうさん、また旅にでていっちゃうってこと!」
    「……!!」
     あまりのことに、リュカとフローラは言葉を失った。
     まさか、気づかれているとは思ってもみなかった。
    「……そう、か。気づかれていたか」
    「ひどいよ。なんで、いってくれなかったのさ」
     ロムは立ち上がり、まっすぐな目でリュカに言う。
    「すまなかった」
     リュカは、謝ることしかできなかった。
    「お、おにいちゃん、なにいってるのよ」
     フィアがいう。
    「かあさんととうさんが、わたしたちをおいて、どこかにいっちゃうなんて、そんなこと、あるわけないじゃない」
    「フィア……」
     フローラは心の痛みに耐え切れず、胸をおさえる。
    「……かあさん、うそ、でしょ」
    「うそじゃ、ないのよ」
    「それじゃ、わたしたちもつれてってよ」
    「だめよ」
    「なんで!? なんでよ」
    「遊びに行くわけじゃないのよ。わかって」
     フローラがしゃがみこんで、フィアの肩に手を置く。だが、
    「わかんないよ!」
     フィアは彼女の手を振り払った。その目に、大粒の涙を抱えて。
    「フィア!?」
    「わたし、わからない! おかあさんのいう旅って、いつ終わるかもわからないんでしょう? いつ、帰ってこれるかもわからないのに、帰れるかもわからないのに、待ってるなんて……わたし、できないよっ!」
     涙ながらに反論するフィアに、フローラは何も言い返すことができなかった。それは、リュカも同じだった。
     ロムとフィアが走って自分たちを通り過ぎても、そのまま部屋を飛び出しても、二人は身動きひとつとることもできない。ただ、聞こえるか聞こえないかもわからないあいまいな声で、子供らの名を呼ぶだけ。
     そしてそれでは、当然のごとく二人を呼び止めることはできなかった。
    「俺は……」
     リュカは、自分の情けなさに唇をかみ締めた。
    「俺は……こうなることを知っていて、だけど、いい出せなくて……くそっ、なんて、バカだっ」
     やり場のない怒りに、彼は壁に拳をたたきつける。そして、そんならしくない彼の苛立ちを注意する余裕も、フローラにはなかった。



     ロムとフィアは逃げ出すように、屋敷から飛び出した。途中、すれ違いざまに呼び止めようとしたピエールとマーリンの声も聞かずに。
     外は土砂降りだった。たちまち、二人はずぶぬれになってしまう。だが、大雨でさえ、今の二人の悲しみを殺ぐことはできなかった。
     むちゃくちゃに、がむしゃらに、兄は走った。妹も、今は何も考えられず、ただ兄の後を追いかける。
     やがて、ロムは走りつかれ、足がもつれたところを石につまずき、転倒した。顔面から泥の上に倒れる。
    「お、おにいちゃん」
     びっくりしたフィアは足を止める。
     ロムは、起き上がらなかった。前のめりに、体を大の字にして、地面に突っ伏す。
     駆け寄り、フィアは気づいた。兄の体が、小刻みに震えていることに。頬を伝って流れるものが、決して、雨の雫だけではないことに。
    「うわ、うわあ、うわああああぁ」
    「おにい、ちゃん、う、ううう、ぐ、え、えぐぅ」
     兄の嗚咽に気づいた瞬間、妹もまた、堰を切ったかのように大声を上げ、泣いた。押しあがる感情をこれ以上こらえることなど、二人にできようはずもなかった。



     いつまでもぼうっと立ち尽くしてはいられない。
     リュカとフローラは、重たい足取りで、書斎を去った。
     ため息をともに顔を上げると、そこには心配そうな表情のピエールをはじめとする仲間たちが待っていた。
    「みんな……」
    「リュカ。なにか、あったのですか。今さっき、ロムたちが泣きながら」
    「あ、あぁ」
     曖昧な返事を返すリュカに、マーリンは何があったのかを瞬時に悟った。
    「あのことを、子供らに話したのじゃな」
    「えぇ」
     二人は重くうなずいた。
    「な、なんだよ。おまえら、まだ、はなしてなかったのかよ」
     スラリンがあきれた口調でいう。
    「そりゃあ、怒って当たり前だよ。相当ショックだったと思うぜ」
    「うー、ロムとフィア、かわいそうだよー」
     心配そうにベホマンがいう。
    「みんな、俺の責任だ」
     唇をかんで、リュカは苦々しく言う。
    「俺が、臆病だったから、結果として、二人を悲しませてしまった」
    「いえ、あなただけのせいではありません」
     フローラは夫の手を握る。
    「真実を伝えるのを恐れていたのは、私も同じですわ」
    「フローラ」
    「おいおい、今は悔やんでいる時じゃないはずだぜ」
     一人、メッキーだけがクールに二人を諭す。
    「外はご存知のとおり土砂降りさ。リュカの旦那。あの様子じゃ、のんきに傘なんて持っていっちゃいないだろうし、あのままじゃ、二人とも風邪引いちまう」
    「メッキーの言う通りじゃな」
     マーリンがうなずく。
    「悩み、考えることなら後でもできる。じゃが、今お前さん達がやらなければならないことは、子供たちを迎えにいくことじゃ。きっと、あの子らも、お前さんたちを待っているじゃろうて」
    「……あぁ。そうだな」
     そう返すリュカの言葉は、いつもの彼からは考えられないほどに、歯切れの悪いものだった。



     雨はいまだに降り続いている。
     ロムもフィアも、全身ずぶぬれだった。
     なんとか閉店後の武具店の片隅で雨をしのいでいるが、湿った服が肌に張り付き、確実に二人の体温を奪っていく。
    「くちゅんっ」
     ぶるっと震えて、フィアがくしゃみをした。
    「お兄ちゃん。寒いよ。お腹すいたよ」
    「……うん」
    「どうしよう。お家に帰る?」
    「それは……」
     ロムは口ごもる。
    「……できないよ」
    「うん、そうだよね」
     しゅんと、フィアはうなだれ、その場にうずくまる。
     二人はその後一言も言葉を発さなかった。膝を抱え、ただ目的もなく雨雲を見つめるのみ。
     時折、ロムはぶるっと肩を震わせる。
    「……さむいの、お兄ちゃん」
    「なんともないよ。フィアこそ、帰ってもいいんだよ」
    「いや。わたしだって、お兄ちゃんと同じ気持ちだもん……」
    「……ごうじょうっぱりめ」
    「お兄ちゃんに、いわれたくないもん」
     二人の会話は、じょじょにトーンが下がっていく。襲い来る寒気のせいで、体力と気力はすでに限界に達していた。意識が次第に朦朧としていき、もはや、何も考えられなくなっていく。
     ふと、隣に目を向けると、フィアは赤い顔をして、激しく息を繰り返している。
    「フィ、フィアッ……」
     頭を金槌で殴られたような衝撃が襲う。熱を出し、苦しんでいる妹を目のあたりにして、ロムは後悔した。僕は、なんてバカなことをしたのだろう、と。
     やがて、兄の方にも限界が訪れた。
     薄れ行く意識の中、ロムはうわごとにように父と母の名を繰り返した。
    「とうさん、かあ、さん……」
     そのとき、ザッ、と雑草を踏みしめる足音を、彼の耳はとらえた。それは、父か、母か……
     だが、その正体を確かめるだけの体力は、すでに残ってはいなかった。

      
     2



     二人の子供らが家を飛び出してからだいぶたった。
     すでに時計の針は十一時を回っていた。雨は激しさを増し、リュカがさしている傘に轟音とともにのしかかってくる。
    「ロム、フィア! どこだっ!!」
     リュカがあげた大声は、すでにかすれていた。叫びすぎて、喉を痛めてしまったらしい。だが、彼はそんなことは気にしない。気にしてなどいられなかった。
     リュカとフローラ、そして魔物の仲間たちは皆手分けして子供たちの捜索にあたった。
     だが、ロムとフィアが発見されたという報告はいまだに父親の耳には届いていない。
    「でてきてくれよっ! 父さんが、父さんが悪かったっ! あやまるっ、あやまるから、だから、もういいだろう? 顔をだしてくれよっ!」
     自分でも情けないほどに、リュカの声はすがり付くかのように弱弱しいものだった。
    「俺が、俺がわるかったから、だから、もう……」
     リュカは力なくうなだれながら、倉庫か何かの建物の壁に寄りかかった。
    「……でてきてくれよ。頼むから」
     弱音とともに、リュカは重苦しいため息を吐き出す。
     もし、子供たちの身によくないことが起こったら。そう思うだけで、リュカは絶望を覚え、自己の罪の意識に苛まれる。
    「ロム、フィア……」
     双子の名を呟いたその時だった。
    「若旦那様!」
     聞き覚えのある声に、リュカは反応を示す。
     顔を上げると、そこにはすでになじみの顔があった。
     フローラと同年齢の、メイド服姿の女性がまるで自分を探し回っていたかのように、息を切らして立ち止まっている。一応傘を差していたが、走り回っていたためか、雨の雫が髪や服に染み込んでしまっていた。
    「クレア、さん?」
    「はぁ、はぁ、はぁ、さ、探しましたよ」
    「いったい、どうしたんだい。俺を探していたって?」
    「ぼっちゃんとお嬢さんから、お二人と喧嘩してきたっと聞きまして」
    「なんだって!」
     リュカは大声を出して、クレアの肩を掴む。
    「ロ、ロムとフィアが、君の元へ来たのか!」
    「い、いたい、いたいですよ。若旦那様っ」
    「あ、ああ、す、すまない」
     慌ててリュカは彼女から身を離す。
    「……正確には、お二人が街中で佇まれていたところを、お帰りになる途中のルドマン様が見つけられたのです。お二人はお熱を出していらしたようなので、お屋敷のほうへ」
    「な、なんだってっ!」
     リュカの顔が一気に真っ青になる。
    「ふ、二人が、ね、熱をっ! そ、それで、具合は! ま、まさか、命にかかわるほど悪いんじゃっ!??」
    「お、おちついてくださいっ!」
    「あっ……」
     リュカはまたクレアの肩を強く掴んでいた。慌てて手を引っ込ませ、二度と同じ真似をしないように後ろに組む。
    「念のためお医者様もお呼びしましたが、命に別状はないとのことですから、ご安心なさってください。二、三日安静にしていれば、すぐに元気になれますから」
    「そ、そうか、よかった……」
     リュカは安心するなり、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまう。いや、「よく」などない。次の瞬間には、もう安堵の気分はどこかへ吹っ飛び、再び罪悪感に苛まれる。
     二人を苦しめさせたのは、間違いなく自分なのだ。
    「俺は……いくべきなんだろうか」
     ふと、リュカはそのような言葉を漏らしていた。
    「若旦那様、何をおっしゃっているのですか」
     静かな、だが、怒りを込めた言葉でクレアは言う。
     どくんっ、
     リュカの心臓が跳ね上がる。その突き刺すような視線に、その時のリュカは恐怖すら覚えた。幾多もの修羅場を乗り越えてきたこの男が。
    「あなた様は、お二人の父親なのでしょう」
     攻めるような口調で言い放ったその言葉が、ぐさりと胸に突き刺さる。
     その棘は、リュカがルドマン邸にたどり着いた後も、抜けることはなかった。


     屋敷にたどり着くなり、リュカははやる気持ちを抑えきれずにクレアに問い詰めた。子供たちは、どの部屋で眠っているのか、と。
     居場所を聞くなり、彼は濡れた衣服すら着替えず、客室へと直行する。
     ロムとフィアは、ダブルベッドで寝込んでいた。その寝顔は安らかだったが、額には氷入りの布袋が乗せられている。そして、ベッドの傍らの丸テーブルには、空になった薬のビンが……
    「よかった……本当に」
     安堵とともに、リュカはその場に膝をついてしまう。
     そのすぐ後に、あわただしい足音が響いてきて、
    「ロム、フィアッ」
     音を立てて扉が開かれる。それは、普段の彼女からは想像できないほどの乱れようだった。
    「フ、フローラ」
    「あ、あなた、ロ、ロムと、フィアが、熱をだしたってきいて、それで、それでっ」
    「お、おちついて」
     おろおろとうろたえるフローラを、リュカはなんとかなだめる。
    「だいじょうぶ、二人は、だいじょうぶだから」
    「あっ」
     リュカがフローラに子供たちを指差して、安心させてあげる。
     彼女はふらふらと、弱々しい足取りで子供たちの元へと近寄る。ロムもフィアも、安らかな寝息を立ててはいるが、顔色は真っ青だ。いったい、何時間冷たい雨にあたっていたのだろう。そう考えると、ほっとしたのもつかの間、再び暗闇に突き落とされる。
    「ごめん、ごめんね」
     フローラはそっと、腫れ物を触れるかのように、ロムとフィアの額をなでる。
    「私たち、親を気取って、本当は何もできていなかった。こうなることを恐れて、ただ避けていただけ」
     フローラの瞳からあふれた涙が、ロムの頬にこぼれる。
    「フローラ」
     開けっ放しのドアから顔を覗かせたのは、ルドマンだった。
    「そんなことをいうものではないよ」
    「お父様……」
    「ルドマン……さん」
    「やれやれ、困った息子と娘だ」
     すっかり寂しくなった頭髪をなでながら、ルドマンは苦笑した。


     ルドマンは傷心しきったリュカとフローラを、自分の書斎へと案内した。
     そこはリュカの屋敷の書斎以上に、本で埋もれた環境だった。すべて、ルドマンが世界中から集めた書物で、その種類はたんなる娯楽小説から難解な異国語で書かれた魔術書までと、豊富を極める。
     彼は机の上の本の山をどけると、メイドに頼んで、そこにお茶を運ばせた。
    「あいにくと椅子が一つしかないのでね、立ったままでもかまわないかな」
     リュカもフローラも、返事を返す気力すらなく、ただうなずくだけだった。
     ひとり、ルドマンは椅子に腰掛けると、「さて、どこから聞けばよいものか」と少しだけ悩む仕草を見せた。
    「まぁ、お前たちの様子からして、おおよその察しはつくよ。あの小さな二人に、お前たちは今日まで何の説明もなく、ただ黙っていた。その結果、このような事態を招いてしまった」
    「……仰るとおりです」
     リュカは頭を下げた。
    「僕たちは、怖かったんです。本当のことを打ち明けることが。僕たちは旅に出る。けど、お前たちはお留守番だよ……そのセリフを言うのが、恐ろしかった。いえ、それを聞いた子供たちの絶望する顔を想像するだけで、怖かったんです」
    「じゃが、黙っていたとしても、結果は同じじゃったじゃろう。おそらく、今、子供たちの胸のうちは、お前たちに裏切られたことへの悲しみと怒りでいっぱいじゃ」
    「二人は、許してはくれないのでしょうね」
    「フローラ!」
     彼女の弱音を聞いたルドマンが、初めて声を大きくして叱咤する。
    「いつまでも、悲観に暮れているでない!」
    「お、おとうさま」
    「婿殿もじゃ。父親がそのようでは、子供は本当に親を信用できなくなってしまうぞ」
    「そ、それはっ」
     今の一言がかなり効いたらしく、リュカは苦しそうに胸を抑える。
    「……わしも、偉そうなことをいえた立場ではないことはよくわかっておる。かつて、娘の意思など考えずに、修道院へ入れ、結婚相手まで募った愚かな父親が、お前たちに忠告をする資格がないということもな」
    「お父様……」
    「じゃが、あえていうぞ。逃げるな! どんな辛い事でも、真正面から向き合え! 子供と対等に付き合えんようじゃ、親とは呼べんぞ!」
     張り詰めたルドマンの声が、静寂に満ちた書斎に響き渡る。
     しばし、両者は無言だった。リュカとフローラの身体は、小刻みに震えていたが、それは、今のルドマンの言葉を噛み締めているためのようにも見えた。
    「……僕たちは」
     やがて、リュカが重い口を開ける。
    「僕たちは、二人に対して、卑怯なことをしてしまいました。それは、許されるはずもありません。ですが……」
     リュカは顔を上げる。その目は、先ほどまでの沈んだものとは正反対の、吹っ切れた、すがすがしいものへと変わっていた。
    「僕たちは、あの子の親でありたいと、願っています」
    「……そうか」
     ようやく、ルドマンはしかめっ面から、温和な笑みを再び浮かべた。
    「気づいてくれればいいのじゃ。お前たちは、わしにとって大切な子供と孫。末永く仲のよい家族でいてほしい……それが、わしの願いなのじゃよ」
    「お父様、心配をおかけして、すみませんでした。でも、もう大丈夫です」
     フローラは、リュカの手を取る。
    「私たちは、もう、二度とロムとフィアを心配させるようなことはしません」
    「誓えるか? わしのほかの、もう一人の翁に」
     ルドマンが誰のことをいっているのか、それがわからないほど、リュカは鈍くはない。
    「はい!」
     リュカとフローラは、互いの顔を見合わせて、活気のある返事を返した。
     丁度、その頃合を見計らったかのように、冷たく降りしきっていた雨はぴたりと止んだ。



     それからというもの、リュカとフローラは二人が目を覚ますまで、子供たちのことを見守った。
     ロムとフィアはそれからも時折熱を出したが、そのたびに父親と母親が寝ずに看病を続ける。その甲斐もあり、子供たちは正午には……
    「う、ううん」
     ロムの目がゆっくりと開かれる。
     まだ少し熱があるらしく、頭がぼうっとする。
    「あ、あれ、こ、ここ、は? ぼ、ぼく」
     ゆっくりと視線をまわす。すると、
    「ロム」
     視界に、父リュカの顔が写る。
    「と、とうさんっ」
     反射的に、ロムの顔がこわばる。
     愚かなことだが、反感の気持ちよりも叱られる、という恐怖の方が勝っていた。
    「あ、あの、ぼ、ぼく、さ、さっきは」
     さっきとは家を飛び出す前の口論のことなのだろう。今のリュカには、息子の気持ちが不思議と手に取るようにわかった。
    「もういい」
     リュカは優しくそういうと、彼の頭にそっと手を乗せる。びくっ、とロムは一瞬身が震えた。だが、父が優しくその自分譲りの黒髪を撫で回してやると、飼い犬のようにおとなしくなる。
    「ロム、お前には、謝らなきゃならないな」
    「え」
    「すまなかった。今まで、黙っていて」
     そういって、リュカは息子に対して頭を垂れた。ロムはびっくりした。自分の知る限り、父は少なくとも頑固な方ではなかったが、自分から頭を下げたことなどなかった。
     おどおどと、ロムは無意味に辺りを見回す。今になって傍らにフィアが寝ていることに気づいた。そして、ベッドの傍らでうずくまるように寝入っている母の姿にも。
    「お前には、辛い思いをさせてしまったね。本当に、すまなかった」
    「……とうさん」
     父が謝ってくれている事に、ロムはたまらなくなった。まるで自分の方が悪いことをしたかのように、きりきりと胸が痛くなる。
    「……とうさんは、旅に出るの」
    「……あぁ」
     リュカは顔をあげると、うなずいた。
    「とうさんはね、取り戻さなきゃならない人がいるんだ。その人は、悪い、とても悪いやつらに囚われている。だから、とうさんが助けにいかなきゃならないんだ」
    「それって、危険なことだよね」
    「あぁ、そうだね」
    「やめてよ。そんな、しんじゃうかもしれないじゃないか」
    「ロムの気持ちはうれしい。けどね、これは、俺……いや」
     リュカは言い直すことにした。真正面で子供と向き合うのに、偽りの一人称など不要だ。
    「これは、僕の使命なんだ。僕の父さんから託された願いなんだ。その人はね、僕の、母さんなんだよ」
     その一言に、ロムはショックを受けたらしく、彼は息を呑んだ。
    「陳腐な例えだけど、もし、フローラ母さんが、悪いやつらに捕まったとしたら、ロムは、どうしたい」
    「助けにいく!」
     力いっぱい握りこぶしまで作って、ロムはいった。
    「僕は、ケンカはぜんぜんよわいけど、しょうじき、とてもこわいけど、でも、たすけにいくよ。かあさんが好きだもんっ! あっ」
     自分で言ってから、ロムは気がついた。
    「そうか。おんなじなんだね。とうさんも」
     リュカは、無言でうなずく。
     悟ってから、ロムの中で全てのわだかまりが泡のように消えていった。父が黙っていたことも、なにもかも、もうどうでもいいことのように思えてきた。それよりも、そんな大切な人を、悪人の手の中にいていいはずがない。はやく、助け出してあげなくちゃ……という正義感が、胸のうちで沸々と湧き上がっていくのを、ロムは感じていた。
    「とうさん、旅に出てよ」
    「ロム……」
    「ぼくとフィアのことは心配ないよ。ぼく、頼りないけど、これでもお兄ちゃんだからさ、フィアの面倒くらい、ちゃんと見れるよ。これからは、読書ばかりじゃなくて、勉強もするし、剣の稽古だって学んで、留守をまもれるくらいの、りっぱなおにいちゃんになるからさ。だから、だいじょうぶだから、ね」
     ロムは毛布の中から、手を伸ばした。
     その手が、リュカの頬に触れる。
     父は愕然とした。自分が泣いていることに。
    「ロム……」
     リュカは涙ながらに微笑んで、息子の小さな手を優しく握った。
    「おまえはいまでも、いいおにいちゃんだよ。ぼくの、かわいい、ロム……」



     後に目を覚ましたフィアとフローラは、まるで何事もなかったかのように触れ合う父子の姿に驚いた。
     妹のほうは旅立ちの事に関して、兄以上にぐずったが、リュカとロムの説得により、フィアもようやくわだかまりを捨て、素直に父と母の旅立ちを認めた。もっとも、リュカとフローラが一旦部屋を出る際に、
    「はやく帰ってきてね」
     そう、はにかみながら呟いた一言は、フィアなりの最後の『抵抗』だったらしく、それには、両親とも、困ったようにただただ苦笑を浮かべたのだった。



     それから、ロムとフィアはすぐに元気になり、二日後にはもう外を自由に駆け回れるまでに回復した。
     そして、この後の数日間は、家族水入らずの、暖かな日々が続いた。
     旅の仲間たちも気をきかせて先にポートセルミへと旅立ち、一家は気兼ねすることなく、楽しい日々を過ごすこととなった。
     家族でピクニックへでかけたり、釣りへでかけたり、家で本を読んでやったりと、どこへいくにも、四人は一緒だった。
     今度は、いつ会えるかわからない。口にはださないが、最悪、もう二度と会えないかもしれないのだ。ロムもフィアも、リュカもフローラも、この数日間を充実したものにしようと努力した。後で悔いを覚えないために……


     楽しい日々はあっという間に過ぎていき、やがて、リュカとフローラの旅立ちの日……そう、別れの時が訪れた。



     サラボナからポートセルミまではフローラのルーラの呪文のおかげで一瞬だった。
     はじめて体験した瞬間移動にもかかわらず、ロムもフィアもその心は暗く、とても感激を覚えることはできなかった。
     リュカの頼みもあって、見送りはルドマン、ロム、フィアの三人だけにとどめた。あまり大人数でこられては、ただでさえ辛い別れがもっとひどくなる。
     四人は手をつないで船着場へと向かった。ゆっくり、できるだけ、ゆっくりと。
    「お待ちしていましたよ、ふたりとも」
     すでにそこには、ピエールとマーリン、メッキー、そしてルドマンが停泊所の出っ張りで彼らを待っていた。
     リュカと共に旅立つのはルドマンを除いた、この三名のみである。スラリンとベホマンはすでに家庭を築いているため、惜しみながら辞退した。ロビンもサラボナの門番がすっかり板についてしまっていたし、第一、あの巨体と重量では乗船は物理的に不可能だ。リュカの一番の心の友であるプックルも、今はもう片方のご主人様の元だ。
    「ガンドフもやつもいきたがっていたが、ヨーゼフの研究が忙しくてのう」
     数日前、リュカが昔の仲間のことをマーリンに尋ねると、彼は苦笑いを浮かべながらやんわりと首を横に振っていた。
    「婿殿」
     ルドマンが最後の別れの挨拶をかけにやってくる。
    「このストレンジャー二世なら、どんな荒れ狂う海にも耐え、海の魔物の攻撃にも耐えてくれるじゃろう。それに、クルーも皆腕に覚えのあるものばかりじゃ。大船に乗ったつもりでいてくれ。もっとも、実際大船なのじゃがな」
     ほっほっほ、とルドマンは笑う。リュカもフローラも、それにつられて笑顔を見せた。浮かない顔をしているのは、彼らといまだに手をつないでいる息子達だけだ。
    「リュカ、フローラ。お前たちと過ごしたこの数年間は、本当に楽しかったよ。これから寂しくなるが、なぁに、わしには自慢の孫がいつもそばにいてくれるんじゃ。はっはっは」
     ルドマンはそういって笑ったが、どうやら彼は一抹の不安をぬぐい切れないでいるようだった。その不安というのが、息子たちのことではなく、当の孫たちに向けられていることを、リュカとフローラは知らない。
    「ともかく、後のことは心配しないで、いってきなさい」
    「はい。お義父さんもお元気で」
    「ロムとフィアをよろしくお願いします」
    「うむ」
     ルドマンはうなずき、その場を離れた。
     後は当人同士に譲るとしよう。親子ともども、別れの挨拶が必要だろうから。
     改めて、リュカとフローラは断腸の思いを堪え、愛する息子たちに別れの挨拶を伝えるべく、彼らと向き合った。
     と、その瞬間である。
    「ルドマンさーん!」
     船の甲板から、船員らしき男が顔を出した。
    「なんじゃ?」
    「すみません。実は食料品の積み込みが予定より少しばかり遅れ気味でして、出航は二時間ほど遅れると、船長が」
    「ロックベルめ。相変わらず、時間にルーズなやつじゃなぁ。あいわかったっ!」
    「あんがとですぅー」
     頭を下げて、船員は再び船の中へと走っていく。
     と、そのときだ。
    「とうさん!」
     突然、ロムがフィアの手を引くなり、出口へと向かって走り出した。
    「せっかくだから、僕たち町を探検してくるねっ」
    「お、おにいちゃん?」
     突然のことに、フィアもつられるままに兄にくっついていく。
    「え、お、おい、ロム!」
    「だいじょうぶ! 時間までにはもどるから」
     そういい残して、ロムはそそくさと走っていってしまった。
    「はぁ」
     取り残されたリュカは、呆然とたたずむ。
    「やれやれ、まだまだ子供じゃなあ」
     マーリンとピエール、メッキーが彼のもとへとやってくる。
    「ふふ、あの子たちは、あまりサラボナを離れたことがありませんからね」
     と、フローラ。
     私には、まるで無理して明るく振舞っているように見えるのですが。
     そのような言葉が喉から出掛かっていたが、ピエールはかろうじて失言を飲み込む。
     ……だが、結果として、元スライムナイトの読みは外れていた。
     


    「お、おにいちゃん、ちょ、ちょっとまってよっ」
     港の案内ロビーのところで、とうとうフィアは立ち止まった。
    「わ、わたし、まだ、おとうさんとおかあさんとお話していたいよ。だって、これが最後かもしれないもん」
     フィアには、ロムの真意が全く読めなかった。なぜ、あのような行動に出たのか。単に気恥ずかしさから来たとは思えない。
     ロムはフィアの手を離すと、真剣な目で妹を見つめた。その目には、一大決心の色が色濃く出ていた。
    「フィア、じつは、ぼく……」
     ロムは胸のうちを、こっそりと妹にだけ伝えた。
    「……あきれた」
     ため息交じりに、フィアは肩を落とす。
    「おにいちゃん。このごにおよんで、そんなことをたくらんでいたの? そんなことして、あとでおとうさんとおかあさんに大目玉をくらうわよ」
    「なら、フィアは反対かい?」
    「まさか!?」
     フィアはぶんぶんと首を横に振った。
    「あれだけわたしたちを困らせたんだもの。おとうさんとおかあさんには、そのダイショウをしはらってもらうわ」
    「ルドマンおじいちゃんには、きのどくだけどね」
     そういって、幼い兄妹はまるでいたずらっ子のように舌を出し合った。
     ……訂正しよう。今この瞬間から、彼らは正真正銘のいたずらっ子に転職したのだった。


     ……二時間は、あっという間に過ぎ去った。
     リュカとフローラは、今、大海へと向けて漕ぎ出したストレンジャー二世の甲板にいる。
     ポートセルミの港が、どんどん視界から遠ざかっていくのを見ていると、よりいっそう切ない気持ちがこみ上げてくる。
    「……けっきょく、二人は間に合いませんでしたね」
     気の毒そうに、ピエールは二人に声をかけた。
    「やはり、別れを言うのが、辛かったのでしょう。わかりますよ。私も、こう見えて経験者ですからね」
    「……いや、いいんだ。ピエール」
     リュカは首を左右に振って、港から視線を返す。
    「何も、今生の別れになると決まったわけじゃない。また、会えるよ」
    「ええ、そうですわね」
     フローラも、彼に呼応する。
    「今度会う時は、もっと大きくなっているでしょうし」
    「……二人とも、お強いですね」
     ピエールは目頭が熱くなる。
    「さぁ、いつまでもこうしてもいられない。この船の船長に、改めて挨拶をしなければね」
     そういって、リュカが船長室へ向けて足を向けようとした、その時だった。
    「た、たいへんだぁっ!」
     青いバンダナに染みだらけの白いシャツを着た船員が、どたばたと慌しい足音を鳴らしながら走ってきた。
     何事かと、リュカはその男を呼び止めた。
    「すみません。いったい、どうしたんです?」
    「あ、ああ、リュカさん。大変なんですよ。積荷の再チェックを行っていたら、木箱からなんと、男の子と女の子が!」
    「……えっ」
    「……ええっ!?」
     驚いて、リュカとフローラは互いに向かい合う。
    「まさか……」
    「あなた、きっと、そのまさかですわ。あの子たち、それが狙いで、町を見学にいくなんて……」
    「は、ははははは」
     リュカは頬を引きつらせて、笑った。
    「あ、あなた」
     どうしたのかと、フローラは尋ねる。
    「い、いやね。なんだか、ほっとしてしまってさ」
    「ほっ、と?」
    「リュ、リュカ! 何をいうのです!」
     慌てて、ピエールがいう。
    「子供たちが後をついてきてしまったんですよ! はやく、船をポートセルミに戻さないと」
    「……ピエール。いいよ」
     リュカはゆっくりと、首を横に振った。
    「リュ、リュカ。あ、あなた……まさか」
    「……バカな話だけどさ。実は、うすうすこうなることを、望んでいた自分がいたんだ。本当は、いけないことと知りつつもね。フローラ。君もそうじゃないのかい?」
    「そ、そうなのですか?」
    「……(こくん)」
     ピエールの問いに、フローラは顔を赤らめながらもうなずく。
    「なんてことだ……断腸の思いで愛しい娘とさよならをいった私の立場が……」
     ピエールは一人、頭を抱えてうずくまる。
    「すまないね。ピエール。だけどさ。やっぱり……家族は、どんな時でも、離れ離れはよくないと思うんだ」
    「……やれやれ」
     苦笑ぎみに、ピエールは髪の毛をぽりぽりと掻いて思った。幼くして母と生き別れ、また、父と死に別れるという苦い体験をしたこの方の言葉は、実に説得力がおありだ、と。
    「許してくれるかい、ピエール?」
    「えぇ、もちろん」
     半ばやけくそ気味に、ピエールは笑った。からからに乾いた笑いだったが。
    「主君の家族を守るのが、騎士としての私の使命ですからね。奥様でもお子様でも、どんと、こい、ですよ」
    「それを聞いて安心しましたわ」
     と、フローラ。
    「さぁ、そうときまったら、あなた、ピエール。はやくロムとフィアを迎えにいきましょう。もちろん、笑顔でね。あの子たち、きっとしかられると思って、縮こまっていると思うから」



    続く

      

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