<< 反竜伝記 第二部 第九話 メシアの産声 | main | 反竜伝記 第三部 第二話 新たな船出 >>
2010.03.22 Monday

反竜伝記 第三部 第一話 ……五年後

0
    反竜伝記 第三部 第一話 ……五年後 
     
     反竜伝記 第三部 第一話 ……五年後

     1



     ……ロム、ロム……
     
     声が聞こえる。
     風のざわめきも、何もない、真っ暗な闇の中に、声だけが響く。若い、女の声が。

     ……ロム、ロミュラム……

    「だれ?」
     闇の中心に佇む少年が、辺りを見回し、声を主を探すが、姿は見えない。
    「……だれなの? 僕を呼ぶのは」

     ……ロム、ロミュラム……エルド……グランバニア……

    「かあさん? いや、違う……きみは……」

     ……待っていました。ずっと、あなたを……

     その時、闇の中に一筋の光が差した。
     光は、じょじょに広がり、やがて、人の形を象っていく。

    「きみはっ! き、きみはっ!」

     ……ロム。たすけて……わたしは、あなたの、たすけを……おねがい……

     少女、そう、少女はロムを求めるかのように、手を伸ばす。
     心臓が、ばくばく、と鳴り響く。なぜだろう。なぜ、こんなにまで、胸が苦しいのだろうか。ロムにはわからない。ただ、一つだけ、わかっていることがある。
     それは、彼女には、自分が必要だということだ。そして、自分もまた……

     ロムと、名も知らぬ少女の手が、じょじょに近づいていき、そして……



     唐突に、ロムは目を覚ました。
    「……ゆ、め……?」
     ロムは、伸ばした手を引っ込め、指を軽く噛む。
    「なんだか、このごろ、変な夢を見るなぁ」
    「で、どんな夢なの?」
     それは明後日の方向から聞こえてくる声だった。
    「うーん、きまって、目がさめるとわすれちゃうんだ。なんだったんだろ? あれ…………って」
     きょとんとした瞳で、ロムはすぐ横を見る。
     そこには、自分とは違う青い髪をした、ちっちゃな女の子じっと自分を睨みすえている。
    「おはよ、おにいちゃん」
    「あ、フィア」
    「あ、フィア、じゃないよ。もうっ」
     ぷくぅっと頬を膨らませて、女の子は言った。
    「おにいちゃん。フィアがなんど起こしても起きないんだもん。いま、何時だと思ってるの?」
    「あ、ご、ごめん」
    「もうっ。それに、変な寝言をブツブツとさ。まったく、おにいちゃんったら、寝ぼすけさんなところはあいかわらずねっ」
    「ちぇ。うるさいなぁ」
     ロムも口やかましい妹に唇を尖らせる。
    「はやくしないと、ごはんさめちゃうよ」
    「わかってるよ」
     ロムはのろのろとベッドから出た。
     まだ意識の朦朧とする中、なんとかタンスから普段着を取り出し、たどたどしくパジャマを脱ぐ。
     その光景を、フィアはじっと見ている。
    「ねえ」
    「なに?」
    「はずかしいんだけど?」
    「だめ。おにいちゃん、わたしがみてないと、また寝ちゃうもん」
    「ねないよ」
    「この前寝たじゃない」
    「…………」
     反論する余地すらない。生まれて五年間、この口達者な妹と喧嘩して、一度も勝ったためしがないのだ。口喧嘩でも、取っ組み合いの喧嘩でも。
    「はぁ、なんでおかあさんみたいな優しい女の子に育たなかったんだろう」
     とは、口が裂けてもいえないロムだった。



     サラボナに落ち着いたリュカとフローラが、ロムとフィアという子宝に恵まれて、はやくも五年の年月が流れた。
     あの時赤ん坊だった二人も、すっかり大きくなった。
     二人とも母親似だったらしく、フィアはもちろん、男の子のロムも、あどけない女の子のような顔つきをしている。以前、冗談でフローラが息子に女物の衣服を着せたところ、あまりのかわいさに実の女であるフィアが嫉妬したほどだ。もっとも、リュカにしてみれば、フィアがもう一人増えた、ということになる。さすがに双子だけあって、二人の容姿はほとんどウリ二つなためだ。唯一の相違点といえば、髪の色で、フィアがフローラと同じ蒼い髪なのに対して、ロムは父親譲りの黒髪の持ち主だ。
     そして、二人の性格はまるで正反対だった。ロムがどちらかというと、おとなしめで自己主張が控えめなタイプに対し、フィアは勝気でおてんば。ころころと表情がよく変わる元気な女の子だ。
     たまに喧嘩はするが、仲が良く、どこへいくにもいつも一緒。ロムとフィアは、自分達の両親が望んだ通り、健やかに成長していた。



    「おはよ〜」
     とんとんとロムが階段から降りてきて、食堂に顔を出す。
    「おはよう。ロム」
     声に気づいたエプロン姿の若い女性が、にっこりと微笑む。
     女性はフローラだった。五年間の時が流れたが、彼女にはさほど容姿の変化は見られない。二十四歳になったが、そのすらりとした体のラインは少しも崩れることはなく、むしろ以前より胸が大きくなったことで、ますますサラボナ一の美女の地位を不動のものとしている。
    「ふわぁ」
     椅子に座るなり、ロムは大きなあくびを上げる。
    「もうっ、おにいちゃん。お行儀わるいよっ」
     隣に座っているフィアが、肘で兄の横腹をつつく。
    「相変わらず、お寝坊さんね。誰に似たのかしら?」
     くすくすと笑いながら、フローラは食卓に三人分のオニオンスープとパンを置く。
    「? ねぇ、かあさん。とうさんは?」
     ロムは普段はいつも一緒にご飯をとっている父の姿がいないことに、いまさらながら気づいた。
    「おとうさんは、今日は大切な用事があるから、朝早く出かけたの」
    「ふぅん。あ、いただきます」
     さほど気にもとめず、ロムはスプーンでスープをすする。父はサラボナ自警団の副団長なので、出勤が早かったり、遅くまで帰らなかったりするのはよくあることだった。
     母が作ったスープはいつもどおり絶品だった。やや薄味だが、それが返って朝の胃には優しい。ロムもフィアも、母の手料理を残したことはほとんどなかった。
     フローラも、おいしそうに朝食を食べる二人をみると、自然と笑みがこぼれてくる。
     今でも十代で通る美貌を持つフローラだったが、その溢れる包容力はもうすっかり彼女が母親だということを表していた。
    「ごちそうさま。おいしかったよ」
    「おそまつさまでした。けど、ロム? 口元にパンくずが残っているわよ」
     フローラが背を伸ばし、ナプキンでロムの口元を優しく拭く。
     照れくさいのか、ロムは肩をすくめて、ぺろっと舌を出した。
    「ふぅ、お腹いっぱいだ。なんだか、また眠くなっちゃったなぁ」
    「もう、おにいちゃんったら。本当にテイケツアツなんだから。これから、読み書きのお勉強でしょっ」
    「ううっ、そうだった」
     毎日の日課であるお勉強を思い出し、ロムはやや憂鬱になる。
     サラボナには一応学校があるが、六歳に満たない子供は入学することができない。ロムもフィアもまだ五歳なので、読み書きや計算の勉強はフローラが教えていた。
     母の授業は優しく、わかりやすいが、少しでもさぼろうとすると、すぐさまお説教がやってくる。そのお説教が真剣かつ親身すぎるため、居眠りの生徒には効果てきめんだ。
    「あっ、今日はお勉強はなしよ?」
     食器を片付けていたフローラが、目だけ後ろを向きながらいった。
    「えっ?」
     とたんに、ロムの目が生き生きとなる。
    「それ、ほんとう?」
    「どうして、おかあさん?」
    「うん。二人にお使いを頼みたいの」
    「お使い?」
    「リュカさん。おとうさんがね、今日お弁当を忘れちゃったのよ。だから、お昼までにそれを届けてほしいの」
    「やったぁっ、ぼく、とどける、とどけるよっ!」
     両手を挙げてロムはよろこぶ。それを横目に見ていたフィアは、どこか面白くなさそうにむっつりとしていたが、
    「ま、いいか」
     と、すぐにけろっとした。
    「二人とも、場所はわかるよね?」
    「うん、自警団の詰め所でしょ? 前、とうさんにつれていってもらったことがあるから平気だよ」
    「わたしも、道はおぼえているわ」
    「それなら安心ね。ふたりとも、歯みがきを済ませたらすぐにでかけてきてね。おとうさん、お弁当がないと困るだろうから」
    「うん、わかった! よし、フィア、とっとと歯みがきすませちゃおう」
    「もうっ、おにいちゃんったら、急にカッパツになるんだからっ」
     どたばたと二人は洗面所へと走っていく。そんな二人を微笑ましそうに見つめながら、フローラは呟いた。
    「もう、五年。本当は願ってはいけないんだろうけど、いつまでも、この穏やかな暮らしが続くといいな。ロムと、フィアと、リュカさんと、四人で、いつまでも、一緒に」
     その言葉が、どことなく弱気だったのは、彼女自身、無意識に感じていたからだろう。この暮らしが、どういう形であれ、ピリオドが打たれることに。


     自警団の詰め所までは、子供の足で小一時間半はかかるので、フローラははやめにロムとフィアを送り出した。
     どちらかというと赤道に近いサラボナは、今日も太陽がギラギラ輝き、空気もカラッとしている。
     強い日照りにもかかわらず、ロムやフィアはあまり汗をかかず、けろっと歩いている。彼らだけでなく、この町で暮らす者なら、これくらいの暑さでへばっていてはここでは生活できない。
    「ねぇ、おにいちゃん」
     ロムの後ろをちょこちょこくっついてきたフィアが、とたんに前方に回りこんでくる。
    「なに?」
    「おにいちゃん。いつも寝坊するの、単にあさがよわいからじゃないよね」
    「え?」
    「わたし、知ってるよ。おにいちゃん、いつもおとうさんの書斎からこっそり絵本を持ち出してるの」
    「絵本じゃないよ」
     ロムは、ちょっとむっとして答えた。
    「冒険小説だよ。しょうせつ! 絵なんて表紙にしか載ってないんだぞ。皆字ばっかなんだぞ」
    「……おっどいた」
     ぽかん、とフィアは口を開ける。
    「おにいちゃん、あれだけ読み書きの勉強きらいなのに、もうそんなに字が読めるんだ」
    「きらいじゃなくて、ついつい眠っちゃうだけなんだよ」
    「ねえ、本読むのが、そんなにすきなの」
    「本が好きとか嫌いっていうかさ。冒険小説が好きなんだよ」
     フィアは気づいた。兄の眼がいつも以上にキラキラ輝いていることに。
    「ぼくは、まだちいさいから、この街から出ることはできないけど、だけど、本の中なら、どんな世界にだって冒険しにいけるんだ。太陽の届かない深い森や、ドワーフ達が作った地下迷宮。妖精族の住む村や、天空に浮かぶ城……あぁ、いってみたいなぁ」
    「知らなかったわ。おにいちゃんが、そんな夢をもっていたなんて。いつもは食っちゃね食っちゃねしているだけなのに」
    「ふん、なんとでもいうがいいさ」
     いつか、自分も大きくなったら、冒険家になって世界中を旅するんだ。お父さんや、お爺ちゃんみたいに。
     それが、ロムの小さな胸にしまいこんだ夢だった。
     いつからだろう。未知なる外の世界に興味が沸いてたまらなくなったのは。
     ひょっとしたら、物心ついた時から、すでに好奇心で胸が一杯だったのかもしれない。その証拠に、ロムは三歳のころ、こっそりとサラボナを飛び出して、広い草原で迷子になってしまったという苦い経験がある。そのときは自警団総出で捜索にあたり、見つかった時はリュカとフローラに大目玉を食らったものだ。
    『もう二度と勝手に外に出歩いちゃだめだぞ』
     その言いつけを、ロムはこの二年間、ずっと守り続けている。
     だが、冒険に対する夢が萎んでしまったわけではなく、むしろ、強まったといってもよかった。
     実際に旅ができないのであれば、書物の世界で冒険すればいい。幼心にそう感じたロムは、こっそりと父の書斎に足を踏み入れた。
     そこは小難しい本や辞典ばかりが並んでいた。ロムは背表紙を見て、ためしに一つ、面白そうな本を手に取ってみることにした。
     それは、十代後半向けの本だった。三歳の子供には字ばっかりがひしめいていて、ロムは最初目がくらんだ。
     何度も挫折しそうになった。だが、ロムは最後まで投げ出さず、一ヶ月かけて、その本を読破してみせた。
     それは、三歳児としては恐るべき才能だった。
     以来、読書はロムの大切な時間となった。
     彼はいつも、書斎の片隅で隠れるように冒険小説を読み漁った。書斎は普段鍵がかかっており、ロムはいつも鍵の壊れている窓から出入りする。その後ろめたさからか、ロムは書斎で本を読んでいることは、父はもちろん、母やフィアにさえ内緒にしていた。
     しかし、ひょんなことから、一人だけの秘密を母に知られてしまったのは、四歳の時だった。
     偶然書斎を掃除しに来たフローラの存在を、読書に夢中だったあまりロムは気付かなかったのである。
     その光景を目のあたりにした母は驚き、そして感心した。
     このことは父さんには内緒にしてね、というロムのお願いを快く聞き入れたフローラは、ロムにかつて自分達が旅をしていたことを話した。
     自分の父と母がかつて冒険者だったということに、ロムは目を輝かせて喜んだ。
     それからというもの、ロムには読書以外にもう一つの楽しみができた。それは、母が語る冒険談だった。
     母や、父や、祖父が旅した経験を耳にするたびに、ロムは自分も冒険にでてみたい、という気持ちで胸が一杯になっていった。
     そんな彼だからだろう。ふと疑問に思ったことがあり、それを母に聞いてみた。
    「ねぇ、どうしてとうさんとかあさんはたびをやめちゃったの?」
     その時の母の顔を、ロムは今でも忘れることができずにいる。
     母はそのことについては何も語らなかった。ただ、悲しそうに微笑み、首を横に振るだけだった。
    (なんで、あの時、かあさんはあんな悲しそうな顔をしたんだろう)
     そんなことを考え込んでいたロムは、突然前に飛び出してきた一匹のスライムに気付かなかった。
    「うわわっ!」
     スライムの発した声に、少年ははっと我に返り、慌てて足を上げる。
     間一髪だった。あとワンテンポ遅れていたら、足元にぐにゃりとした感覚が残るところだった。
    「あ、あぶないわね! もう少しで踏まれるところだったじゃないっ!」
     ぴょんぴょんと跳ねて抗議する。この種族にしては珍しく、イチゴゼリーのように赤い身体をしたスライムだった。
    「あ、あぁ、ごめん。って、なんだ、ベスじゃないか」
    「あっ、ロム。それにフィア」
    「おっはよ。ベス」
     お互い顔を合わすなり、さきほどのムードはすぐに吹っ飛んだ。
     ロムとフィア、そしてスライムのベスは、物心ついた時からの付き合いだ。人間と魔物という種族間を越えて、三人は兄妹のような関係を保っている。
    「二人して、どこかにおでかけ?」
    「ええ、おとうさんのところに、お弁当を届けにいくのよ。ベスもいっしょにくる?」
    「あたしはいいわ。これから、狩りの時間だし。うふふ、今日の獲物は一角うさぎよ。あれが獲れれば、二、三日は食料に困らないわね」
    「そ、そう、がんばってね」
     返り討ちにあわなければいいけど、という忠告の言葉を、フィアは胸の中でこっそりと呟いた。
    「じゃあね!」
     ベスは別れを告げると、そそくさと草むらの中へと消えていった。
    「……ベスってさ、おとうさん似だよね、ぜったい」
    「たしかに、ベホマンさんには似てないね、性格」
     双子は顔を見合わせて苦笑した。






     その頃、子供たちが食べた朝食の皿を洗い終えたフローラは、リビングの床を箒で掃いていた。
     ほんのりと甘みと清涼感が鼻腔をくすぐる。箒を使う前に、紅茶の葉を絨毯に撒いたためだ。こうしておくと、消臭剤のかわりにもあるし、アロマテラピーの効果もある。
     五年前までは家事に関しては皆メイドのクレアが仕切っていたが、今では、この屋敷に使用人は一人もいない。
     子供たちに胸を張ってお母さんと呼べるようになりたい。そのフローラの希望に、父であるルドマンやクレアは異を唱えることはできなかった。もともと、そのために修道院に花嫁修業に出したのだし、母親になりたいという娘の気持ちを踏みにじりたくはなかった。
     こうして、クレアは今までどおりルドマンの屋敷のメイドに戻ったが、今でもときどき、手伝いにきてくれる。そんな彼女の親切心を、フローラは素直に嬉しいと思っていた。
    「あの子たち、迷子になってないかしら? だいじょうぶよね。ロムはともかく、しっかりもののフィアがついているんだから」
     そんな時である。
     コンコン、と、玄関から扉をノックする音が響いてきた。
    「誰かしら?」
     フローラが、首をかしげて玄関へと足を運ぶ。
     鍵を開け、ドアノブを回す。
    「はい? どなたさま……」
     戸を開けたフローラは、思わぬ来訪客を前にして、声を失った。
     そして、あまりの懐かしさに口元が綻ぶ。
    「お久しぶりです」
    「元気じゃったか?」
    「ピエール、マーリンッ!」
     眩しそうに笑みを浮かべる二人に、フローラは感激のあまり抱きついた。
    「おっとっと、こりゃ、役得じゃのう。ピエール?」
    「マーリン、だらしなく目元を垂らさないでください」
     銀髪の美丈夫であるピエールは、やれやれとばかりにため息をつく。
    「あぁ、ごめんなさい。二人が尋ねてくるのは、前々から知っていたけど、まさか、今日来るなんて」
     フローラは二人から身を離すと、彼らを屋敷の中へと招待した。


     ピエールとマーリンはリビングに案内される。椅子に座ってくつろいでいると、紅茶とお茶菓子を用意してフローラがやってきた。
    「私が庭で育てているミントティーと、クッキーです。お口に合えばいいけど」
    「ふぉっふぉっふぉ、お前さんの手料理がうまいことは、わしらはよく知っておるよ」
     マーリンはクッキーをほおばり、うまい、と素直に感想を洩らす。
     それを聞いたフローラは嬉しそうに頬を赤く染めて、自分も席につく。
    「私が最後にあなた方とお会いしたのは、もう五年も前のことなのですね」
    「ええ」
    「五年なんか、あっという間じゃっただろう。わしは住んでいる場所がルラフェンだから、ちょくちょく遊びにはこさせてもらっているがのう」
     カップを片手に、しみじみとマーリンはいう。
    「あなたも、変わりがなくて安心しました。そうそう、たしか、あの後、お子様が生まれたのでしたね。ロムくんと、フィアちゃん、でしたか? お二人に似て、さぞや、かわいいことでしょう」
    「ふふっ、親の私がいうのも何ですけど、とても、いい子に育ちましたわ」
    「そうですか。ぜひ、会ってみたいですね」
    「ごめんなさい。いま、二人ともお使いにでてもらっていて。夕方頃には、帰っていると思います。お二人とも、今日は泊まっていかれるのでしょう?」
    「それは、もちろん。ねぇ、マーリン」
    「そのつもりじゃよ。まぁ、楽しみは後にとっておくことにするかの」
     三人とも、会話が弾むにつれて、自然に笑みがこぼれる。
    「ピエールさん、リドルくんと、マムちゃんはお元気ですか?」
    「えぇ、それはもう。二人とも、もうすっかり大きくなりましたよ。二人とも、もう十三歳になりましてね」
    「まぁ。それで、今日は二人は?」
    「ははは、二人とも、あなたに会いたいといっていましたよ。けど、妻と子のこともありますからね。あの子達には、アルカパに残ってもらっています」
    「妻と、子? えっ?」
     意外な発言に、フローラは目を丸くする。
    「ふぉっふぉっふぉ、わしもこやつの口から初めて聞かされた時には仰天したよ。まさか、こいつに妻子ができたなんてな。しかも、相手はあんたがよく知る人物じゃ。誰かと思う?」
    「えっと、その、失礼ですが……」
     フローラは首を横に振った。
    「ピエール。教えてやらんか」
    「は、はぁ」
     フローラよりも一回りも大きい背丈でありながら、ピエールは恥ずかしさに縮こまって頭を掻く。たが、ようやく観念したのか、こっそりと、ここにはフローラとマーリンと三人だけしかいないのに、耳打ちで彼女にそのことを伝えた。
    「ええっ!?」
     いったい、これで今日何度目の驚きだろう。しかも、最後の一発は、今まで聞いたどの衝撃の事実よりも驚がく的だった。
    「いったい、いつの間に……」
    「いや、その、以前、彼女の旅に付き合ったことがありまして、その、色々あるうちに……」
     ピエールは照れくさそうに笑う。
    「妻は、くれぐれもあなたがたによろしくといっていました。本当は、自分もついていきたかったのだけど、うちの娘は、少し身体が弱いせいもありましてね。こうして、留守番です」
    「そうでしたの。それは、残念ですね」
     それを聞いたフローラの声が、急に弱弱しくなる。その原因が、単に旧友に会えないことではないことを、マーリンは感じ取った。
    「……フローラや。今回の旅のこと、お前の子供達は知っているのか?」
    「……いいえ。まだ、話してはいませんわ」
     そのことを聞かれて、フローラは一瞬息を呑んだが、観念したかのように首を縦に振る。
    「ううん。なかなか、言い出す機会がなくて」
    「フローラ。余計なお世話とは思いますが、なるべく、早いうちに二人に話した方がいい。我々は、あと十日で旅立たなければならない。もう、遅いくらいなのですよ」
    「そうですね。ピエールさん。あなたの仰るとおりです。本当は、私が残らなければならないのだけれど」
    「フローラ。それはならん。一年前のあの事件のことがあったじゃろう」
     マーリンは目を細くして言う。
    「……はい」
     一年前に起きた、忘れることの出来ない出来事が、彼女の胸をよぎる。
     この五年間、ひそかに恐れていた危惧が、とうとう現実化してしまった。
     それは、魔族達の襲来だった。
     光の教団は、フローラが伝説の勇者の子孫だということを知った上で、野放しにしておくほど甘くはなかった。
     彼らはとうとう、このサラボナの町に彼女達が帰って来ているということを突き止め、娘のフィアを人質に取るという卑怯な手段に乗り出したのだ。
     その時はリュカとフローラ、そして、偶然サラボナに来ていたマーリンの活躍により、撃退することができたのだが、いつ、また同じような事件が起こるかわからない。
     そのことを事前にマーリンから知らされていたピエールも、気が気ではない。
    「ですが、なぜ、その四年間の間、やつらは何も行動を起こさなかったのでしょう?」
    「それどころじゃなかったからさ」
     マーリンでもフローラでもない、その声は、窓の外から聞こえてきた。
     木の枝に立っているのは、鳥と蛇が同化した、奇妙な体形をしているキメラという名の魔物だった。
    「メッキー。帰ってきていたの?」
     フローラは窓をあけて、彼を部屋の中へと招きいれた。
    「お久しぶりだな。フローラの奥さん。おっと、それに、なにやら懐かしい顔ぶれじゃないの」
    「おおっ、メッキー。久しぶりじゃな。確かお前さんは……」
    「ああ。リュカの旦那に、情報屋として雇われている。今、ようやく長旅から帰ってきたわけなんだ」
     メッキーはソファーの上にふんぞりかえった。
    「おかえりなさい。メッキー。今、お茶を持ってくるわね」
    「おかまいなく。それより、一刻も早くリュカの旦那にネタを提供せにゃならないんでね。少し休んだら、すぐにまた飛んでいくよ」
    「メッキー。あなたが入手した情報というのを、聞かせてもらえませんか?」
     ピエールが尋ねるが、メッキーはちっちっち、と指を振る。
    「だめだな。オレの雇い主はリュカの旦那だぜ」
    「お願いです。メッキー」
     今度はフローラが頼み込む。
    「うっ」
     メッキーは喉を唸らせた。
     この、フローラの真剣でまっすぐな眼差しに、彼は弱い。
    「……ちぇ。しょうがねぇな」
     ぽりぽりと羽で頭を掻きながら、メッキーは観念することにした。
    「さっき話していたことだけどな。もう一度いうが、光の教団がリュカ討伐に乗り出さなかった理由はただ一つ。あんたらに関わっている暇がなかったということだ」
    「どういうこと、です?」
    「それどころじゃなかった、ということさ。あんたたち、片翼の刃っていう組織の名前を、聞いたことがあるかい?」
    「???」
     フローラ、マーリン、ピエールはお互いに顔を見合わせたあと、揃って首を横に振った。
    「だろうな。こいつはな。光の教団に対抗するレジスタンス組織……つまり、反乱軍の名前だ」
    「反乱軍? 私達のほかに、光の教団に抵抗する人たちがいるのですか?」
     フローラは思わず身を乗り出す。
    「いや、正確には、いたっていうべきなんだろうな。片翼の刃は親兄弟、友人、恋人を光の教団に奪われた者達が結成して作った組織なんだが、三年前に壊滅させられてしまった。光の教団の内部の武力組織『光明騎士団』にな」
    「光明騎士団……その名は聞いたことがあります。
     ピエールがいった。
    「無償で魔物退治や盗賊退治を行う、光の教団の治安維持のための騎士団……ということになっていますが」
    「そいつは表向きだよ。裏では、自分達の布教活動に邪魔な存在を消すための暗殺者集団さ。もちろん、構成員のほとんどが魔物と魔族、そして洗脳された人間達だ」
    「なんてこと……」
     いまさらながら、フローラは光の教団に嫌気を覚える。
    「壊滅したとはいえ、片翼の刃は精鋭揃いの戦士たちが集まっていてな。光明騎士団もかなり手を焼いたらしい」
    「なるほど。それで、光の教団は我々に目を向けるだけの余裕がなかった、ということですか」
    「だが、さっきもいったように、片翼の刃はやつらの手によって滅ぼされた。そして、教団は再びあんた達に狙いをつけている。一年前の事件は、彼らにとっては一種の宣戦布告だろう。今のうちに逃げる準備でもしておけってね」
     メッキーはフローラの目を見て言う。
    「リュカの判断は的確だな。これ以上、この町に留まるのは危険だ。このサラボナには、太古の昔、イブなんとかっていう邪悪な魔物がこの町を攻めてきた時に張った強い結界が施されているらしいが、魔族の手にかかれば、そんなものはすぐに無効化されちまう。フローラ、あんたたちははやくグランバニアとかいう国へ目指して旅に出たほうがいい」
    「……えぇ」
     フローラはシリアスな眼差しで頷く。
    (もっとも……)
     メッキーは心の中で付け足す。
    (子供たちを残していく、というのも、どうかと思うぜ。光の教団が真っ先に倒しておかなければならない標的は、あんたやリュカではなく、実はあの双子のどちらかかもしれないしな)


      
     2



     その頃、旧友達が家を訪ねてきたことも知らないリュカは、いつも通り、デスクに座り面倒な書類相手に悪戦苦闘していた。
     彼も今では自警団の副団長である。団長であるギアノスが留守の際は、彼が普段受け持つ仕事をこなさなければならない。
     自警団で使う武器や防具の発注から、出資者への資金援助の要求、はては様々な種類の苦情まで、それら全てに目を通し、判を押さなければならない。
    「ふぅ」
     とうとうリュカはペンを投げ出し、背もたれにしなだれかかった。
    「副団長。そろそろ休憩になさったらいかがです?」
     横から手が伸び、彼の机にお茶を置く。
     振り向くと、そこには銀髪碧眼の美しい女性が温和な微笑みを浮かべている。彼女もリュカと同じく、白をメインに黒のラインをあしらったサラボナ自警団の制服に身を包んでいた。
    「あぁ、クレネット。そうさせてもらおうかな」
    「えぇ。それに、もうすぐお昼ですよ」
    「あっ、しまったな」
     リュカはばつが悪そうに頭を掻いた。
    「? どうかしました?」
    「いや。今日は急いでたものだから、弁当を忘れてきてしまってね」
    「まぁ」
    「仕方がない。今日は購買部でパンでも買ってくるかな」
    「それでしたら、あの」
     クレネットは、少し頬を赤らめる。
    「わ、私のお弁当、ご一緒に食べませんか?」
    「えっ、君のを、かい?」
    「は、はい。今日は、ちょっと作りすぎちゃって。その、たまたま」
     後ろの語尾が、やや細くなる。
    「それはありがたい。けど、いいのかい?」
    「は、はい! それは、もちろんっ!」
     クレネットの嬉しそうな表情に、リュカはやや圧倒される。
    「そ、それじゃあ、私、急いで準備してきますね!」
     早口でまくし立てるなり、彼女はきびすを返して、タタタタと自分のデスクへと急ぐ。
     その後姿を、リュカはぽかんとした表情で見つめていた。
    「やれやれ。まったく、羨ましいヤツめ」
     突如、横からそのような声を出したのは、同僚のカインだった。
     ギアノス団長と同じく、リュカが自警団に入隊してから最も付き合いが古い仲間だ。本当ならあと二人、気心の知れた同僚がいたのだが、サージュとウルゴットの二人はそれぞれの事情ですでに自警団を脱退してしまっていた。
    「我が団の紅一点、クレネットちゃんの手作り弁当……あぁ、もったいない」
    「なんだ。カイン。もしかして、妬いているのか?」
     リュカは苦笑まじりに言った。
    「バカ」
     カインは唇を尖らせ、彼の頭を指で小突く。
    「お前、仮にも妻子ある身だろ。少しは遠慮しろよ」
    「何をいっているんだか。彼女は俺の大切な部下だ。それ以上でも、それ以下でもない」
    「はぁ。お前のその、分け隔てのない性格が、羨ましく思えてくるよ」
    「それなら、俺から頼んでやろうか?」
    「それこそ大バカだ。そんな恥掻くかっこ悪い真似ができるかよ。おっと、それよりお前」
     カインは表情を変えて、大真面目な目つきで顔を近づけた。
    「今日、ギアノス団長とついにやりあうって、本当か?」
    「人聞きの悪いことをいうなよ。だが、真剣勝負だ。俺が勝ったら、あの人から免許皆伝を貰う」
    「そうか。ついに来たか。お前、この五年間、あの人から一度も一本を取れなかったもんな」
    「今日こそは勝つさ。いや、絶対に勝たなければならない。でなきゃ、胸を張って、旅になんか出れないよ」
    「……やっぱり、旅に出るつもりか」
    「あぁ」
     リュカは頷く。
    「やっと、どんな荒波にも負けない船がポートセルミで完成したんだ。ルドマン……義父さんの造船所でね。そう、準備は整っている。あとは、俺たちが乗り込むだけだ」
    「そう、か。寂しくなるな。それに、悲しむだろうな。クレネットちゃん」
    「そう思うんだったら、デートにでも誘ってみたらどうだ?」
    「バッ! それができたら、苦労はしねぇよっ!」
     顔を真っ赤にして叫ぶ。そう、この男は世渡り上手に見えて実はシャイなのだ。そのことを、この五年間の付き合いでリュカは良く知っている。
    「おっと、噂をすれば、彼女、戻ってきたぜ」
     タタタタとお弁当を胸に抱いて、クレネットが小走りで駆けてくる。
    「嬉しそうな顔をしてさ。まったく、なんでこいつばっかりもてるんだか」
     カインはくしゃくしゃと髪をかき回しながら、彼の席から離れる。
    「副団長。さぁ、ご一緒に」
     召し上がりましょう、と続けようとした時だった。
     がらっ、とルームのドアが開かれ、元気のいい子供の声が部屋中に響き渡った。
    「おとうさーんっ! お弁当もってきたよーっ」
    「あっ」
     かくっ、とクレネットが首を折ったのは、いうまでもない。
    (すまないな。クレネット)
     リュカは落ち込む彼女を尻目に、子供たちを招き入れるべく、椅子から立ち上がった。
    「ロムにフィア。わざわざ来てくれたのか」
    「うん。お母さんが、届けてって。はいっ」
     ロムが両手でお弁当を差し出す。
    「ありがとう。二人とも、いい子だな」
     リュカは嬉しそうに二人の頭を撫でるようにかき回す。
    「えへへ」
     双子は柔和な笑みを浮かべて喜んだ。
    「よし、そうときまったら、一緒にご飯を食べに行こう」
     リュカは二人の手を取る。
    「え、でも、僕たちのぶんがないよ?」
    「そのお弁当、いつもよりも大きいだろう? それは、お母さんがロムとフィアも一緒に食べれるようにって、多めに作ってくれたからさ」
     リュカはそういってニコッとウィンクする。
    「うん! 食べるっ!」
    「私もお腹ぺこぺこっ」
     子供たちは揃って笑顔だ。
    「それじゃ決まりだ。庭の芝生で召し上がろう。おっと、クレネット。君も来るかい?」
    「は、はは、遠慮しておきますわ」
     その時のクレネットの笑みは、とても乾いているようにカインには見えた。



     


     自警団の施設の中には、人工的に植えられた木や芝生が生い茂る庭園が存在する。普段は静寂と安らぎに満ちているが、昼間ともなれば、多数の団員達で賑わう場だ。
     リュカと二人の子供たちは、木陰に座る事にした。ここなら、強い日差しにやられることもない。
     弁当の蓋を開けると、いつもに比べて、豪華なレパートリーにリュカは感心した。
    (きっと、朝早くから拵えたんだろうな)
     そう思うと、うかつにも忘れてしまった自分が恥ずかしく思える。
     頂きますの挨拶の後、三人は仲良く輪を囲んで昼食を楽しんだ。
    「フィア。お魚もちゃんと食べなきゃだめだぞ」
     さっきから魚と野菜に手をつけない娘を見かねて、リュカがメッをする。
    「だって、お魚には骨があるんだもん。お野菜は苦いし」
    「好き嫌いが激しいと、大きくなれないぞ?」
    「そうだよ。こんなにおいしいのに」
    「むー。ロムはいいよね。嫌いなものがなくてさっ」
     フィアはくやしそうに頬をふくらませる。我が娘ながら、そんな他愛のない仕草が可愛らしいと、リュカはつい微笑んでしまう。
     そういえば、見かけによらずおてんばでおませなフィアを見ていて、フローラに「君には少し似ていないな」といったことがある。その時、彼女は笑いながらこういったものである。私も小さい時はこんな感じだった、と。
     そのことを思い出して、若い父は何気なく娘の頭を撫で回した。
    「な、なに? おとうさん」
     とたんにフィアの頬が林檎のように赤くなる。
    「ん? つい、な」
     ニッ、と笑うリュカ。
    「あっ、フィア。照れてるっ」
    「て、照れてなんかないよっ!」
    「だって、顔真っ赤だよっ」
    「てれてないってばっ」
     からかう兄と、冷やかされてむきになる妹。
     リュカにとっては、もうそれが当たり前の光景となっていた。
     ロムがいて、フィアがいる。今の自分の日常……
     だけど、彼は、それを手放さなければならない。それも、自分の意志で。
    (……ごめんな、ロム、フィア)
     喧嘩する二人を、リュカはどこか遠い目で見つめた。




     昼食を食べ終わると、双子達は空になった弁当箱を持って家へと帰っていった。
     最後まで手を振る二人を、リュカは姿が見えなくなるまで見送っていた。
    「よっ」
     いつの間にか、隣にはカインの姿があった。
    「カイン……」
    「名残惜しそうだったぞ。今日は、特にな」
    「…………」
     リュカは、黙って俯く。
     カインは、そんな友人の肩に、そっと手を置いてやる。
    「つらいな。今がかわいい時期なのにさ」
    「今が、なんていうなよ。俺にとっちゃあ、何歳になってもかわいい息子と娘だ」
     リュカは、苦々しい笑みを浮かべながら、そういった。
    「お前が留守の間は、あの二人のことはまかせな。自警団が、責任を持って双子ちゃんたちの面倒を見てやるよ」
    「……ありがとう。カイン」
    「気にするな。ロムとフィアは、我がサラボナ自警団のマスコットキャラだからな」
    「なんだ、それ」
     くすっ、とリュカに笑みが戻る。
    「さぁ、今から試合なんだろう」
    「あぁ」
    「勝ってこいよっ! 意地でもなっ!」
     そういって、カインは彼の背中を思いっきり手で叩いた。
     
     意地でも勝ってこい。
     そういわれたものの、リュカに絶対の自信があるわけではなかった。
     この五年間、リュカは常に全力でギアノス団長に向かっていった。しかし、その力量さは歴然だった。
     五年前は軽くあしらわれ、自分の未熟さを嫌というほど痛感した。
     それからの三年間は徹底的に基礎をみっちりと叩き込まれた。
     一年前になると、なんとか互角にやりあえるようになったが、時間がたつにつれて、じょじょに技量の差が開き、そのまま決着がついてしまう。
     ギアノス団長は、剣術だけなら確実に父であるパパスと同等か、それ以上の持ち主だ。
     五年間稽古をつけてもらったリュカだからこそ、確信をもって言える。
     だが、今日だけは負けるわけにはいかない。
     今日だけは。
     リュカは道場の中の控え室で、胴着に着替えた。
     そして、量産型の鋼の剣を手に取る。
     今日のものは、刃はつぶしてはいない。
     真剣勝負。失敗すれば、命はない。それが、ギアノスの出した卒業試験だった。
    (やってやるさ)
     リュカはぐっ、と柄を握り締める。
    (見ていてくれ。父さん。俺は……いや)
     リュカは、この時、この一瞬だけは、自らの戒めを解いた。より頼もしい父親でありたいという思いから、妻であるフローラの前以外では決して呼ばなくなった一人称を。
    (……僕は、きっと勝ってみせる!)
     

     時間は来た。
     控え室を出たリュカは、舞台へと出る。
     そこには、すでに胴着を身に付けた屈強な男が待ち構えていた。
    「来たか、リュカ」
     鋭い、重厚な目から放たれる眼力が、リュカを襲う。
     だが、彼は動じない。すでに、肝は据わっている。
    「お待たせしました。団長」
     リュカも、舞台へと上がる。
     周りには、自分達以外の人影はいない。
    「道場へと立ち入りは禁止した。これで、お前も全力が出せるだろう」
    「お心遣い、感謝します」
    「ふっ。正直言うとな。俺とお前との真剣勝負を、見世物などにしたくはなかった」
     ギアノスの口元からこぼれる笑みは、戦を好む好戦的な戦士の微笑に他ならない。
    「リュカ。遠慮することはない。全力でぶつかってこい」
    「もちろん、そのつもりですよ」
    「そうじゃない。俺のいっていることはだ」
     いっそう、ギアノスの目が鋭くとがる。
    「……命の覚悟を決めてかかってこい、ということだ」
    「……!」
     リュカの眉間が険しくなる。
    「俺は今この瞬間、サラボナ自警団の団長ではなく、かつて、戦場で幾度となく修羅場を潜り抜けてきた傭兵へと戻る。俺にとって、もはやお前は倒すべき敵兵だ。全力でいく。この意味が、わかるな」
    (……わかるさ。ぼさっとしていたら、首が胴体から離れる、ということだろう)
     リュカに、笑みはない。
     澄み切った黒曜石の瞳が、よりいっそう透明感を増す。
     それは、まさに、嵐の前の静けさのようだった。
    「……覚悟は、できているようだな。ならば……!」
     ギアノスの手が、腰に帯びた剣へと伸びる。
    「……勝負っ!」
     勝負の火蓋を、切って落とす。
     ギアノスの手が剣に触れたと思った瞬間、
    「……ッ!」
     リュカはとっさに後ろに飛ぶ。
     そこには、すでにギアノスが目の前にいて、重い踏み込みと同時に剣を振るっていた。
     尋常ならぬ瞬発力と瞬間的な運動力だった。ギアノス団長の縮地に気付くのがもうワンテンポ遅れていたら、今頃リュカの命はなかっただろう。
    (間違いない。この人は、こと剣術に関するだけなら、父さんよりも強い……!)
     バランスを崩しつつも着地を決める。
    (……だが!)
     もう片足が地面につくよりも早く、リュカは地面を蹴り、低空で飛んだ。ギアノスの縮地に劣らぬスピードで迫る。そのまま、勢いに載せた一撃を放つ。
     しかし、下から降り上げる斬撃を、ギアノスは難なく剣で受け止める。それも、片手で。
    「くっ!」
    「あまいっ!」
     ギアノスが剣を払う。
     吹っ飛ばされたリュカは空中に投げ出されるが、回転しつつ見事に地に舞い降りる。
    「……いったはずだぞ。リュカ。殺すつもりでかかってこなければ、俺は倒せん、と」
     並の男ならにらみつけるだけで殺せる迫力を持つ眼力が、リュカを襲う。だが、彼は真正面からそれを受け、跳ね除けた。
    「俺は、俺のやり方であなたに勝ちますよ」
    「……なるほど」
     にやっ、とギアノスは笑う。




     その頃、ロムとフィアは夕暮れ時の畑道を仲良く手を繋いで歩いていた。
     ロムは手にススキを持ち、鼻歌を歌いながらそれを振り回している。
    「ねぇねぇ、ロム」
     フィアが兄の袖を引っ張った。
    「あそこにいるの、私達のおかあさんじゃない?」
     フィアが指差すと、確かに、こちらに向かって歩いてくるのはフローラだった。家事の途中だったのだろう。エプロン姿のままだ。
    「心配してきちゃったんじゃない。ロムが道草ばっかりしてるから」
    「むっ、フィアだって、乗り気だったじゃないか」
    「ロム、フィア」
     フローラは二人においつくと、困った顔をして両手を腰に当てた。
    「もう五時ですよ。三時までに帰ってこなきゃだめっていつもいっているじゃない」
    「ごめんなさい。おかあさん」
    「つい、遊んでたら時間をわすれちゃって」
     ロムは舌をぺろっとだす。そんな仕草を見せられては、フローラも叱ることができない。
    「もうっ」
    「ははははは、いいじゃないですか。フローラ」
     声に気がつくと、母の横に一回り大きい屈強の男が立っていた。歳は三十前半といったところ、長い銀髪の、顔の彫りの深い伊達男だった。
    「だれ? あのひと」
    「知らないよ」
     ロムとフィアはひそひそと小声で言う。
    「おっと、君たちとは、初対面だったね。はじめまして」
     男はかがんで、二人の前に面を近づけた。
    「私の名はピエール。君たちのおとうさんの古い友人だ」
    「とうさんの?」
     ロムは目をぱちくりさせる。
    「あっ、聞いたことあるわ」
     ぽんっ、とフィアは手を叩いた。
    「マーリンおじいちゃんといっしょに、昔おとうさんと旅をしていた人でしょ」
    「えっ、そうなの!?」
     旅の仲間だと知ったとたんに、ロムの目は水を得た魚のように活発化する。
    「おやおや、目の色が変わったな。さすが、リュカの子だ」
    「二人とも、ピエールおじさんにご挨拶は?」
     くすくすと笑いながら、フローラがぴっ、と指を立てる。
    「あっ、はじめまして、ピエールおじさん。ロムです」
    「わたし、フィアです。おあいできてこうえいですっ」
     二人を背を伸ばして、かわいらしく挨拶する。
    「おじさんはショックだなぁ。でも、二人とも、よく挨拶できましたね。えらいえらい」
     ピエールは満面の笑みを浮かべて、二人の頭をくしゃくしゃと撫でる。
    「私にも、君たちより二つ年下の娘がいてね。名をアステルというんだ。もし、今度出会うことがあったら、友達になってくれないかな?」
    「うん、約束するっ」
    「そうか、ありがとう」
     ピエールはほっと胸を撫で下ろす。
    「ねぇ、おかあさん。マーリンおじいちゃんも来てるの?」
    「そうよ」
     フィアの問いにフローラは首を縦に振る。
    「今は留守番をしてもらっているから、ここにはいないけどね」
    「ふぅん、わたし、はやくマーリンおじいちゃんに会いたいわ。だって、おじいちゃんのするお話って、おもしろいんだもん。ねぇ、早く帰りましょう」
    「待って。せっかく来たんだから、おとうさんに挨拶していきたいわ。それに、ピエールおじさんにとっては、五年ぶりの再会なのですし。ね?」
    「……うー、わかったよ」
     フィアは少し不満そうだったが、素直にこくりと頷いた。


     ロムとフィアは自警団の詰め所へと引き返した。
     しかし、事務所へと向かっても、副団長のデスクに父はいなかった。
    「おや、二人とも。忘れ物か?」
     休憩中だったのだろう。仲間の団員と談笑中だったカインが、二人の姿を見つけて声をかけてきた。
    「こんばんは。カインさん」
     二人の後に入ってきたフローラが、挨拶する。
    「おっと、こりゃ奥さんじゃないですか」
     フローラを見るなり、とたんにカインの表情が柔和になる。
    「サラボナのマドンナのあなたが来て下さると連絡をいれてくれれば、お茶菓子ぐらいは用意しますのに」
    「は、ははは」
     どう返事を返していいのかわからず、フローラはただ笑うのみだ。その時。
    「お茶です」
     ことっ、とクレネットが無表情で四人分のカップをテーブルに置いた。そして、フローラを見るなり、ぷんっ、とそっぽを向いて、またすたすたと歩いていってしまう。
    「……えっと、私、何が彼女に失礼でも」
     困惑気味なフローラに、カインは軽く笑い飛ばしながら言った。
    「あ、お気になさらず。彼女、普段からああなんです」
    「……カインさん。あとで覚えていてくださいね」
     ……というクレネットの恨みの小声を、彼はあえて無視した。心の中で、「あとでフォローが大変だな」と呟きながら。
    「すまないが」
     最後に入ってきたピエールが、カインに尋ねる。
    「リュカ・エルドは今はどこにいるのでしょう」
    「うおっ」
     カインは、思わずのけぞった。自分よりも一回り大きい武漢に圧倒される。
    「……ん? なにか」
    「い、いや、なんでも。あ、あんたは?」
    「私はピエール。あの人の友人です」
    「あぁ。そういえば、あいつから聞いたことがあったな。そうか、あんたが、なるほど、噂以上ってわけだ」
    「?」
    「リュカは今、離れの修練場にいる。だけど、今は誰も入れないぜ」
    「……? それは、どういうことです?」
     ピエールが尋ねると、カインはかいつまんで説明した。リュカとギアノスとの真剣勝負のことを。
    「リュカのやつ。ギアノス団長に勝てれば、この町を出るのを許してくれっていってみるみたいだけど、どうなんだろうねぇ。オレが予想するに、勝率は半々ってとこかな?」
    (……えっ?)
     カインが何気なく言った言葉を、敏感に捉えたのは、ロムだった。
    (とうさんが、町を、でる……?)
     ロムは焦るように母の方を振り向く。だが、彼女は特別動揺したようには見えなかった。カインの言葉自体がさりげないものだったためか、あまり気にもとめていないみたいだった。




     結局、四人はこっそりと修練場へと向かった。
    「戦いに水をさすわけではありませんよ。私は、ただ見守りたいだけです」
     そうピエールはいったが、内心、リュカがどこまで上達したのか、気になって仕方がなかったのである。
     修練場の中へと忍び込んだ一行は、足音を立てずに、目的の部屋へと進む。
     そして、鉄で出来た頑丈な扉まで来る。どうやら、ここらしい。中から響いてくる、剣と剣がぶつかり合う音がその証拠だった。
     フローラはわずかに扉を開き、隙間から顔を覗かせた。
     リュカとギアノスの姿は、すぐに発見することができた。
     二人とも胴着姿で、全身汗だくになって戦っている。
     すさまじいまでの熱気と張り詰めた緊迫感が、こちら側にも伝わってくる。
    「……すごい」
     フローラは呆然と呟く。
     そして、衝撃を受けたのはロムとフィアも同じだった。
     彼らは今まで、まともに剣を振るう父を見たことは少ない。
     いつも優しくて、おおらかな父が、怖いくらい真剣な顔をして剣を振るっている。まるで別人のようだ。
     一合、また一合と、はげしく剣がぶつかり合う。
     勝負は全くの互角だった。攻めと守り。守りと攻め。それらが交互に繰り返される。
    「……驚きました。リュカの成長ぶりにもたまげましたが、あのギアノスという男、まさか、これほどとは……」
     ピエールも興奮が伝染したのか、その手は多量の汗でにじんでいる。
    「私と同等、いえ、それ以上の技量の持ち主です。しかし、リュカも決して劣ってはいない」
    「……そうでしょうか」
    「えっ?」
    「私にはわかります。確かに二人の技量は限りなく近いものです。ですが、同一ではない」
    「……フローラ?」
    「ほんのわずかな差が、勝敗には大きく響いてくるものなのです。このままでは、リュカが……」
     斬っては斬り返す。斬り返されてはまた斬る。
     それは、まるで連鎖反応のような攻防だった。ただ、それが化学と異なるのは、一歩タイミングを誤れば、確実に片方が大怪我を負うということだった。
    「……!」
     フローラが、目を大きく開く。
    「……均衡が崩れますっ!」
     ギアノスがリュカの剣を弾くと、大きく後方へと跳んだ。
     一気に距離を開かれ、リュカも追撃の手を止める。
     白熱の後の静寂が訪れる。
    「……やるな、リュカ。ここまで成長するとは、思ってみなかったぞ」
    「はぁ、はぁ、こ、今度ばかりは、負けられないんでね」
     リュカの息が荒い。それに比べると、ギアノスはまだまだ体力的に余裕がありそうだった。
     ほんのわずかな技巧の差なのに、消耗するスタミナの量はまるで異なる。
     なぜだかわからないが、ギアノスが引いてくれなかったら、リュカは体力が尽きて負けていただろう。
    「……リュカさん」
     フローラは、ただ見守るしかない。
     そんな彼女を、ピエールはただならぬ目つきで見つめる。
    (私にもわからなかったのに、この人はギアノス殿とリュカの、ほんのわずかな力の差を読んだのか? いや)
     ピエールは、がむしゃらに顔を左右に振る。
    (そんなはずがない。この人は、魔術ならともかく、こと剣術に関しては素人のはずだ。きっと、まぐれだ。そうに違いない……)
     そんなピエールの困惑など気付くはずもなく、フローラは息を呑んで止まったままの二人を見守る。
    「リュカよ、お前ならわかっているはずだ。このまま戦えば、おまえの負けは確実だ」
    「……えぇ、そうでしょうね。でも、俺にはまだ切り札があります」
     リュカは剣を両手に持ち替えた。そして、精神を集中させる。
     ……! ピエールには、リュカが何を繰り出そうとしているのか、すぐにわかった。
    「……そうくるか。よし、わかった。ならば、俺も全力を持ってそれに応えよう」
     ギアノスは一度剣を鞘に収めると、腰を低くして、足を前に出した。
    「……! これは、居合いの構え!」
    「居合い、ですか?」
     フローラが聞く。
    「えぇ。東方に伝わる極意です。一度刃を鞘に収め、次の瞬間、神速の抜刀を繰り出す奥義です。鞘から放たれる斬撃は、目にも止まらず、たとえ敵がどんなに離れていても闘気によって一刀両断にされてしまう。よほど剣術に秀でていなければできない秘術です」
    「そんな技を出されてしまっては……」
    「えぇ、ギアノスという男、本気です。獅子は我が子を谷から突き落とし、這い上がってきた子だけを育てるといいますが、ギアノスという男は、まさに獅子、いや、獅子を超えた竜だ……」
     リュカはギアノスの構えに圧倒されることなく、自らも構えを取る。
    「ギアノス。俺は逃げません。真正面から、あなたの技に打ち勝つ」
    「……リュカ」
    「あなたにお見せしますよ。この五年間の、修行の成果を」
     リュカは、大地を蹴って飛び出した。
     それはまさしく突撃だった。猛烈な勢いでギアノスめがけて突撃する。
    「いけない!」
     ピエールは叫ぶ。
    「あれでは、みすみす犠牲になりにいくようなものだ!」
    「いえ」
     フローラは冷静に見守る。
    「あの人は、勝ちます」
     リュカの剣が振り下ろされるのと、ギアノスの鞘から刃が引き抜かれるのは、ほぼ同時だった。
     交差する、刃と刃……
     ピエールとフローラは、息を呑んだ。
     激しさの後に、静けさだけが残る。
     まるで、時が止まったかのような静寂が、道場内に漂う。
    「ど、どっちだ」
     ピエールが、乾いた声で言う。
    「どっちが、勝った」
    「……とうさん」
     その時、ロムがぽつりと声を洩らす。
    「……とうさんだ」
    「えっ?」
     思わず、ピエールは目をしかめる。
     すると、どう、とギアノスの巨体が地面に沈むのが見えた。
     リュカは、すぐさま振り向くと、彼の身体を抱き起こす。
    「大丈夫ですか」
    「参ったよ」
     ギアノスは、真っ二つに切断された剣を、その場に投げ捨てた。
    「まさか、剣ごと俺を倒すとはな」
    「あなたの技に打ち勝つには、魔神一刀流しかなかった。今の技は魔神一刀流の数ある技の中では、基礎的なものでしかなかったけど、俺は、この五年間、こいつの技を徹底的に磨き上げたんです。これしか、知らなかったものですから」
    「いや、この俺の振り上げた剣を真っ二つにしたんだ。今の技は、並の剣術の奥義にも匹敵しよう。リュカ……」
     ギアノスは、満面の笑みを浮かべて、リュカの手を握った。
    「お前の勝ちだ」
    「……団長」
    「俺を、みね打ちで倒したんだ。卒業試験は、合格だ。お前の覚悟、確かに見せてもらった。許そう。旅に出る事を」
    「……ありがとう、ございます」
     リュカは、ぎゅっ、と強く、ギアノスの大きな手を握り返した。
    「……いきましょう」
     微笑ましそうに二人を見つめていたフローラは、そっと、きびすを返した。
    「そうですね。師弟の邪魔をしては悪い」
     ピエールも、目頭を熱くして、退場していくフローラに続く。フィアも二人についていく中、ロムだけは、じっと、リュカとギアノスを見つめていた。
    (旅……やっぱり、とうさんは)
     ロムは、何もいわず、ただ、下唇をかみ締めた。



     続く


    コメント
    コメントする








     
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    Calendar
      12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  
    << May 2018 >>
    web拍手
    お読み頂けたらぽちっとおして頂けると大変うれしいです。
    Twitter
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Recommend
     (JUGEMレビュー »)

    小説執筆には必須ともいえる日本語入力ソフト&ワードです。
    Recommend
    キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック
    キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック (JUGEMレビュー »)

    管理人も使っているシンプルメモ帳。小説執筆にも使えますぞ!
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM